第1話 二度寝は才能です
目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の床を明るく照らしている。
枕元のスマホを見る。
午前八時十五分。
休日にしては少し早いが、平日に比べれば十分ゆっくりだ。
「よし……今日は有意義に過ごそう」
そう呟いて体を起こそうとした。
だが、その瞬間。
布団が温かかった。
いや、温かいという表現では足りない。
心地良い。
柔らかい。
安心する。
ここには平和がある。
仕事もない。
締め切りもない。
誰にも急かされない。
世界のすべての問題から隔離された、小さな楽園。
「……あと五分だけ」
そう言って目を閉じた。
そして。
次に目を開けた時には。
午前十一時四十七分だった。
「終わった……」
思わず天井を見上げる。
せっかくの休日だった。
掃除もしたかった。
本も読みたかった。
散歩もしたかった。
カフェにも行こうと思っていた。
だが現実はどうだ。
午前中が消滅している。
「何やってるんだろうな、俺……」
小さくため息を吐いた。
その時だった。
「おはようございます」
聞き慣れない声がした。
振り向く。
知らない女性がいた。
白い髪。
白い羽。
頭の上には光の輪。
そしてなぜか缶ビールを持っている。
「誰!?」
「天使のルナです」
「天使!?」
「はい」
「いやいやいや」
「大丈夫です。私もそう思います」
「何が!?」
ルナはベッドの横に座った。
勝手に。
かなり自然に。
「それで、何をそんなに落ち込んでいるのですか?」
「休日を無駄にしたんです」
「なるほど」
ルナは真面目な顔で頷いた。
「ちなみに何時まで寝ていました?」
「さっきまでです」
「素晴らしいですね」
「どこが!?」
「三時間以上も追加睡眠を獲得しています」
「獲得って何!?」
「ボーナスステージです」
「そんなゲームみたいに言わないでください」
ルナは少し考えた。
「では質問です」
「はい」
「眠かったですか?」
「まあ……眠かったです」
「寝たいと思いましたか?」
「思いました」
「実際に寝ましたか?」
「寝ました」
「身体の要望に完璧に応えていますね」
「そんな肯定の仕方ある?」
ルナは満足そうに頷いた。
「人間は不思議です」
「何がですか」
「疲れている時は休みたいと言うのに、休んだら休んだで罪悪感を感じます」
「それは……」
「眠かったのなら身体は休息を必要としていたのでしょう」
「でも時間がもったいないです」
「その理屈でいくと、充電ももったいないことになります」
「充電?」
「スマホを使うためには充電しますよね」
「します」
「でも人間は、自分の充電だけ嫌がるのです」
少しだけ言葉に詰まった。
確かにその通りかもしれない。
「でも、何もしてないですよ」
「していますよ」
「何を?」
「生存です」
即答だった。
「もっと他にあるでしょ」
「ありません」
「ないの!?」
「休日における最重要任務は生きることです」
ルナは堂々と言った。
そして缶ビールを見つめながら続ける。
「しかも今日は休日です」
「はい」
「平日ならともかく、休日まで頑張り続ける必要がありますか?」
「うーん……」
「ありません」
断言だった。
「即答ですね」
「即答です」
窓の外では鳥が鳴いている。
のんびりした昼前の空気が流れていた。
少しだけ肩の力が抜ける。
「じゃあ、今日は何もしなくていいんですかね」
「いいですよ」
「本当に?」
「本当に」
「掃除も?」
「明日でもできます」
「洗濯も?」
「明日でもできます」
「散歩も?」
「明日でもできます」
「何なら今日やるんですか」
「昼寝ですね」
「増えてる!」
ルナは笑った。
天使らしい綺麗な笑顔だった。
でも言っていることはだいぶ駄目だった。
「覚えておいてください」
ルナは立ち上がる。
「二度寝できるということは、それだけ安心できる環境があるということです」
「……」
「眠れる時に眠れるのは、案外幸せなことなんですよ」
その言葉だけは妙に胸に残った。
たしかにそうかもしれない。
少なくとも今は、安心して眠れる場所がある。
休める時間もある。
それは当たり前ではないのだろう。
「まあ、それでも」
ルナは笑いながら言った。
「今日はもう優勝でいいと思いますけどね」
「基準が甘すぎません?」
「私は甘やかす天使ですから」
そう言ってルナは窓から飛び出した。
「そこから帰るの!?」
慌てて窓に駆け寄る。
しかし外には誰もいない。
青い空だけが広がっていた。
部屋に静寂が戻る。
時計を見る。
正午まであと少し。
午前中は確かに消えた。
けれど。
少しだけ気分は軽くなっていた。
「まあ……」
大きく伸びをする。
そしてソファに座った。
「昼ご飯食べてから考えるか」
そう呟いた瞬間。
どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
「その後の昼寝もおすすめですよー」
「聞こえてるから!」
休日の空は、どこまでも穏やかだった。




