こちら側へようこそ
すっかり太陽は沈み、辺りに漂う夜の気配はより濃くなっている。肌寒くなっていくのを感じるとともに、だんだんと歩く速度も早くなった。仲間も心配しているだろうし、完全に夜になる前にあちらに戻っておきたい。
道中、意外にも澄河は静かについてきた。しかし足音や、歩幅、態度は学校にいた時よりも大きく、ヨミチに掴みかかって来る前と比べると、明らかに変わっていた。やはり大人しい振りでもしていたんだろうか。聞くべきかどうかは分からないが、気になるものは気になる。
「スミカ、スミレって誰だ?なんで君を傷つけると、スミレを傷つけることになる?ずっと、その子の演技をしていたのか?」
澄河は横目でヨミチをちらっと見たが、すぐに前を向き直し、呆れたように大きくため息をついた。
「·····なんでなんでって、ガキかよ。じゃあこっちも聞くけどさ、先生はホントにいいわけ?俺のこと勝手に弟子にしちゃって。偉い人に怒られたりして」
質問を質問で返される。澄河が言ったことはまさにその通りだ。ヨミチにはとてもそんな権限は無いし、怒られる所か、普通なら二人まとめて秘密裏に処刑も有り得るだろう。しかしヨミチの祝福は、替えがきかない便利で確実なものだ。そんなヨミチが庇えば、おそらく澄河は殺されないだろう。
「君が自分自身で他の道を潰したからだ。君を守るためには、もうそうするしかない。僕と出会ってしまったんだから、その責任くらいは取るさ」
澄河が求めている答えなのかは、よく分からない。不器用な会話しか出来なくて若干気まずくなったが、澄河はふーん、と言うと押し黙ってしまった。自身がした質問への回答を聞いていないが、まあいいか。いつかまた話したくなったら話すだろうと、ヨミチもただ帰路を急いだ。
細い通路の前で足を止め、澄河に手を差し出す。手を取れ、と言えば素直に従った。するとヨミチの手首についていたブレスレットのような魔術具がスルスルと紐のように解け、二人の手を少しの隙間も無いほどに包んでいった。驚いたように澄河が手を引こうとするが、固く締まったそれは決して緩まない。
「初めて渡る時は気分が悪くなることが多いから、目を瞑っていた方がいいぞ」
そう伝えるとすぐに固く目を閉じる。落ち着いて見えてもやはり不安や恐怖があるのだろう。顔色が少し悪くなっているように見えた。
扉はいろんな場所に潜んでいる。こちらとあちらの世界は色んな場所で重なっていて、ここもその一つだ。渡るために通る狭間には他にも様々なものが混じっているから、出口を知らない者は一度入れば決して出られない。実際に、目を開けているヨミチには、朽ち果ててもなお歩き続ける何かや、誰かの落し物が闇の中にぼんやりと見えていた。そうやって澄河の手を引きながら暗闇の中を歩いていくと、目を閉じたまま小さな声で彼が話し出した。
「澄礼は、俺とそっくりな双子の姉。あれも澄礼の真似してただけ。でも·····もう俺以外にあの子のこと知ってるやつは居なくなったから、そっちでは演技するつもりは無いよ」
「·····最後に姉の顔を見ていかなくて良かったか?」
澄礼は彼にとって、とても大切で大好きなものなんだろう。胸倉を掴まれた時の様子を思い出し聞いてみるが、必要ないと言われた。
「言っただろ、あの子と俺は瓜二つなんだよ。鏡があれば、いつでも思い出せる。澄礼はいつでも俺の一番だから」
暗闇の先に光が見える、出口だ。そこに足を踏み入れると賑やかな街の喧騒がワッと耳に飛び込んできた。当たり前に行われている夜の光景は、やっと自分の世界に戻ってきたとヨミチに実感させた。大通りに入る前に、目を開けてもいいと振り返りながら伝えると、澄河は既にキョロキョロと辺りを見渡していた。二人の手を繋いでいた魔術具は、ブレスレットの形に戻り既に拘束を解いている。彼は興味深そうに目を輝かせて様々なものを見ていて、油断するとすぐにどこかへ行ってしまいそうだ。苦笑しつつ、自身のマントを脱ぐと澄河の肩に掛けた。彼の服は、ここでは少し浮いて見える。
「おー、ありが·····は?な、それ、何·····?」
澄河が驚いたような、怖がっているような声で、ヨミチの腰の辺りを指さす。なんだろうかと一瞬考えるが、その視線が凝視しながらも左右に動いているのを見てピンと来た。試しに心当たりを更に速く揺らしてみると、彼の瞳もそれを追いかけて動く。おかしくなって、大声で笑い出した。
「そうか!マントで隠れて今まで見えていなかったんだな。とは言っても、耳は見えていただろう?」
帽子を脱いで伏せていた耳も真っ直ぐ立ち上がらせて見せると、澄河はぎこちなく首を横に振った。
「そんなにちゃんと見てなかった·····ね、猫·····?」
澄河が、呆けたように答える。彼のキャパを越えてしまったか、あるいは自分が普通に話していた者が、異質な生物だったことを目の当たりにして、ようやくここが異世界である事を理解したのかもしれない。
「僕か?僕は猫じゃない、狼だ。·····ほら。あの人は角を持っているし、そこのお嬢さんにも綺麗な耳や尾があるだろう?君の世界ではヒトは一種類しか居なかったようだが、ここには色んなヒトが暮らしてる。おそらく半分は君が初めて見る姿をしているよ」
ついさっき見ていた時には夜に紛れてよく目に入らなかったのだろう。もう一度街を行き交う人々を夢中で観察し始めた。いつまで道端に突っ立っている訳にもいかないので、落ち着かない澄河の背中を押して人混みの中に混じる。
「それにしても気づいていなかったとはなあ。僕の何を見ていたんだ」
覗き込むようにして言うと、校庭での自身の発言に絡めてからかわれているとわかったらしい。無言で足を蹴られた。笑いながら内心で思う。澄河は想像よりもずっと落ち着いている。いくら十代後半とはいえど、まだ子供で本来はもっと取り乱したり、不安がったりするだろう。失礼にならない程度にチラチラと辺の人を見渡す澄河から、知らない場所や物への興味の色は見られるが、恐怖は全く感じられない。違和感を感じはしたが、怖がられるよりは余程やりやすかった。しばらく歩いていると、澄河が見上げて聞いてくる。
「今どこに向かってんの?」
「とりあえず、僕の店兼家に帰っている。今日は休んで、明日にでも偉い人達に話しに行こうか」
点々と並ぶ街灯の温かな光が、導くように道を照らしていた。その先は明かりもない、森の中へと続いている。街から少し離れれば人々の声も遠のき、今度は虫の鳴き声や動物の立てる微かな音ばかりが響く。ヨミチの店はそんな、人と動植物たちの間に立つようにひっそりと佇んでいた。
次回は来週の同じくらいの時間にきっと




