初めての悪霊祓い(9)
翌日、唯子の顔は真っ青だった。それでも熱はなく、吐き気もないので、仕事を休む理由はない。単なる寝不足だろう。
「はぁ」
職場のホテル、更衣室は四階にあった。唯子はひとり、ため息をつきながら着替えていたが、メイクのノリも最悪。ファンデーションションも粉っぽく、カサカサだ。さらにため息しかでない。
あの後、尋人からどういう意味か事情を聞いた。悪霊の侵入経路というのがあるらしい。聖書には理由のない呪いはないらしく、生まれつきの問題以外は原因があるという。
それには色んなパターンがある。先祖や家系の問題、悪習慣、念、想いなど。多くは聖書でいう禁止事項・罪が足場となり悪霊が入ってくるそうだが、偶像もその一種。
偶像と言っても像や建物ばかりじゃない。人々が「神より大切にしているものを拝んだ場合」悪霊の足場になるという。恋愛やお金、子供、ペットもそう。要は神以外は何でも対象だ。
ロゴやイラストなども例外ではない。中には悪魔を拝んで開発している企業もあるそうだが、そのケースは多くはないらしい。単なる商品として使い、ゴミ箱に捨てれば問題ない。コンビニやスーパーで売られている「悪魔の●●」といった食品も、悪霊の足場になるほどの大きなパワーはない。もっとも消費者が依存するほど大好きだったり、拝むように好きだった場合は悪霊を呼ぶらしい。
唯子の場合、例の悪魔のコーヒー自体にはなんの力もない。単なる偶像と説明されたが、問題はそこに宿っている念、想い、感情。おそらく送り手の支配人がそういった動機があり、悪霊の足場になったんじゃないかと尋人に言われていたが……。
実際、心当たりはある。唯子に対してどこか甘い態度だったし、付箋やメモ帳に連絡事項を支配人に送った後、機嫌がいいことも。ノラは「おじアタックだよ、きも!」と大笑いしていたが、唯子は全く笑えない。
「もし、支配人が原因だったら……」
唯子の口元が引き攣る。確か支配人はハイクラスのホテルにいた。それなのに今は地方都市のB級ビジネスホテルの支配人をしている。何か訳アリかと思っていたが、過去に恋愛トラブルがあった?
「とはいえ、仕事をサボるわけにはいかないわ……」
不安はあるが、もう昨日から霊的な問題は起きていない。体調不良もないし、尋人やノラの推測は外れている可能性もある。そもそも悪魔のコーヒーに支配人が念を込めて悪霊の足場にするとか、信じられない説だ。
そう思い、唯子はいつも通りに仕事へ向かった。一階の事務所へ向かい、デスクで仕事中の支配人に挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう。石山さん、体調大丈夫?」
穏やかに笑ってる支配人。いつも通りじゃないか。
それに五十歳ぐらいの支配人だ。髪もグレイヘアだし、ほうれい線だって濃い。父親と同じ年代だ。そんな支配人が職場の女に変な感情を持つとは思えない。
「ええ。大丈夫です。引き継ぎ事項などありますか?」
そうだ、そんなセクハラみたいなことは無いだろう。悪魔のコーヒーもきっと尋人の思い過ごしだ。あの人、自称・オカルト牧師なんていう変人じゃないか。
そう思うと余計に気が抜け、唯子は笑顔を見せてしまった。オカルト牧師、いくら変人とはいえ、自称するのは中二病。そう思うと余計に口角が上がってしまったが。
「石山さん」
「はい、なんでしょう?」
その瞬間、支配人の目がやけに黒っぽく見えた。いや、実際黒い目なのだが、闇があるというか、吸い込まれそうな黒さだと思った時。
「石山さん、今度一緒に食事どう?」
「は?」
「良いホテルも知ってる。こんなB級ビジネスホテルじゃなく、一晩中、ゆっくりできるところ」
「は?」
頭がフリーズ。どういうことか。これは何か。突然、支配人の声がネバネバと粘着質に聞こえてきたのは、なぜ?
その上、支配人は唯子の隣に立ち、右手をに握ってきた。じっとりと汗ばんだ手!
気持ち悪い!
それでも頭がフリーズしたままだ。咄嗟に払い除けることができない。タバコや汗の匂いも伝わり、唯子の頭は全く動かない。
「なあ、石山さん。俺とホテルに泊まろう」
「お、お断りです!」
そう叫び、支配人の手を払いのけるのが精一杯だった。
「なんだと!」
気づくと、支配人の目が怒りで燃えていた。怒鳴り声も響く。その後、普段は全く言われないような些細なミスを指摘。後からやってきたバイトのイチカも引くほど怒鳴られてしまう。
「パワハラ? 石山さん、何かした?」
休憩時間、イチカと二人になった時、そう心配されるほどだったが、支配人の逆上は止まらず、客の前でも怒鳴られるケースもあった。
「な、何これ……?」
仕事終わりの帰り道、げっそりした。ある意味、幽霊とか事故物件みたいなオカルト問題よりよっぽど怖いぐらい。
肩は重く、腰も痛い。指先もじんじんしてきた。涙を堪えていたせいで、奥歯もギシギシ痛む。
やっぱり、尋人やノラが推測していたことは本当?
この一連の霊的問題、支配人と悪魔のコーヒーがコラボレーションした結果?
当然、眠れない。金縛や体調不調もないのに、支配下に触られた感触を思い出すだけで、鳥肌がたち、ベッドに入っても、目が覚めてしまう。
「あぁ、どうしよう!」
怖い。霊的な問題に悩まされていたけれど、支配人の方がよっぽど怖いし、気持ち悪いと思った時だった。
「は? え?」
目の前に支配人がいた。いや、本人じゃない。支配人の霊だった。半分透けていた。明らかにリアルな肉体じゃなかったが。
『石山さん、ホテル行こうよ〜?』
これって何? 生霊?
『石山さん、好き! 死ぬほど好き! 超タイプだよ! 女神様みたい!』
なぜか生霊の支配人、直接、セクハラはしなかった代わりに拝んできた。
『あの悪魔のコーヒー、一緒に飲もうよ!』
身の毛がよだつ。以前、ここに現れた戦時中の幽霊のようなファンシー感は全くない。
怖い! どうしよう!
恐怖で気を失ってしまった。




