Named 《名札付き》
戦いは一方的だった。
部屋の内装はメタメタに破壊し尽くされて、床には家具の残骸と無残に果てたザコザコお兄ちゃんの部品で埋め尽くされている。
「こいつも違ったか」
黒ずくめの男、ブラックは息ひとつ切らせることなく、ダブルベッドの上でズタボロになったメスガキ星人を踏みにじり、幼い肢体に鮮血滴る紫紺の刃を突き立てている。虐待なんて表現では生温い、猟奇現場なのだが相手が超極悪メスガキ星人なので何も問題は無い。
「すげえ……」
ユウリはかろうじて破壊を免れた合皮ソファーの上で目の前の惨状に息を詰まらせた。
ボロ雑巾に成り果てたメスガキ星人は今にも消えそうなか細い声でうめく。
「かはぁ…♡なんでぇ…♡」
「ザコザコお兄ちゃんがダメージを肩代わりするならば全滅するまで斬り刻めば済む話だろう」
「そんなぁのぉ…♡むりにきまってるぅのにぃ…♡」
「だが実際に全滅した」
「うそぉ…♡うそよぉ…♡うそぉ♡うそぉ♡うそぉ……♡」
「やはりメスガキ星人は頭がザコいな」
ブラックがメスガキ星人の下腹部に刺さった刀身をえぐると、メスガキ星人は苦悶混じりにヨガる。
「ぐあっ♡がはぁ♡」
「理解できなくていい。俺が上でお前は下だ。それだけ分かって消えろ」
「いやぁ…♡ざぁこおじさんのくせにぃ…♡」
ブラックはつまらなさそうに嘆息すると、メスガキ星人の眉間に照準する。メスガキざぁこざぁこ脳を吹き飛ばすべく引鉄に指がかけられた。
「すごぉい♡それでこそわたしのお兄ちゃん♡」
瀕死のメスガキ星人とは違うメスガキボイスに緊張が走る。
ブラックとユウリは同時に声の出所へ目をやる。いつの間に現れたのか、ユウリのすぐ隣、ソファーの上に真っ白なゴシックドレスに身を包んだ少女がちょこんと座っていた。金髪のツインテールを微かに揺らしながら、ドールのように整った顔が妖しく微笑みを浮かべている。
少女の瞳が紅く萌えた。
ブラックは闖入者に向けて撃発した。
「うわあッ!」
ユウリは反射的に身を竦ませる。
しかし、放たれた弾丸はゴスロリ少女には当たらず天井を穿った。少女は面白そうに目を細めてクスクスと笑う。
「いきなりダメじゃなぁい♡お兄ちゃん♡
お友達が怖がってるよぉ♡」
「その瞳の色……」
ブラックは目を見開き呻いた。
「おい。メスガキ星人」
「『メスガキ星人』じゃなくてぇ♡『リリィ』だよぉ♡」
「質問に答えろ、メスガキ星人」
「もぉっ♡つれないお兄ちゃんも大好きぃ♡」
ブラックとメスガキ星人のやりとりに、ユウリは耳を疑った。
今なんて?
メスガキ星人が名乗った?
通常、メスガキ星人は名前を持たない。個体ごとの趣味嗜好や体格の差異はあれど、なぜか個人を主張することはほとんど無い。
「お前、二年前に町を焼き払ったことはあるか?」
「なにそれぇ♡知らなぁい♡」
メスガキ星人調査学会ではメスガキ星人は高度な社会性を持ったアリのような生物であり、人類にマウントを取る統一意思に従い活動しているという見方が定説だ。
「とぼけるなよ。
知っていることはなんでもいい。全て話せ」
「だからぁ♡なぁんにも知らないってぇ♡
しつこいドーテーは嫌われるよぉ♡
あっ♡でもでもぉ♡
わたし以外の女にはぁ♡嫌われたほうがぁ好都合かもぉ♡」
それ故、メスガキ星人に個体名は不要なはずなのだが、まれに自己主張が激しい名前持ちの個体が報告されている。
「ふざけてろ。まあいい、直接その身体に聞いてやる」
「なになにぃ?♡わたしとヤりたいのぉ?♡」
なぜ『名札付き』が存在するのか。
なぜ『名札付き』は自らを誇示するのか。
確かな理由は何も分かっていない。
「メスガキが……大人の男を舐めるなよ」
ブラックは漆黒の銃と刀を構えて腰を深く落とす。
「いいよぉ♡きて♡きて♡きてぇ♡」
メスガキ星人の周囲に白い奔流が渦巻く。
ただひとつだけ、ハッキリしていることがある。
名札付きメスガキ星人は異常に強い。
☆彡
ブラックがメスガキ星人に飛びかかり、右手に持つ刀で斬りつける。しかし、その刃はメスガキのかざした手に易々と受け止められた。
幾度も刃が翻り、その全てをちっちゃな手が払い退けていく。その度に白黒のエネルギーが火花となって辺りに飛び散った。
火の粉が床に転がるザコザコお兄ちゃんに当たると、脂ぎった肉に火がついてキャンドルサービスのように灯火が増えていく。
ユウリは繰り広げられる剣戟から目が離せないでいた。
「よかったのかなぁ?♡あの子ぉ逃げちゃったよぉ?♡」
「雑魚はどうでもいい。お前が先だ」
「やあんっ♡わたし今ぁ求められてるぅ♡」
華奢な身体から溢れる嬌声をかき消して轟音が鳴り響く。メスガキ星人は至近距離で放たれた銃弾をふわりと躱すと、白いドレスをはためかせながら、かつてダブルベッドだった残骸に着地する。
ブラックは慎重に相対しながら、ユウリに話しかける。
「おい、立てるか」
「や……腰が。抜けちゃって……」
「ちっ!」
ブラックは牽制とばかりにメスガキ星人にありったけの銃弾を放つ。だがそれも全て、白いエネルギーの渦に弾かれてしまう。
跳弾が床に転がるザコザコお兄ちゃんの亡き骸に当たると、白濁の汚らわしい飛沫が絨毯を汚す。
「お兄ちゃんやっさしぃ♡
でも安心していいよぉ♡
その子にナニかする気はないからぁ♡」
「アイツなに言ってるの?」
「メスガキ星人の言葉に耳を貸すな。付け入られるぞ」
「そんなコトないのにぃ♡
でもぉ♡そーゆー慎重でクールなところもぉ好きぃ♡」
メスガキ星人が身体をくねらせる。一見、隙だらけのメスガキに刃を向けながら、ブラックは器用に片手でマガジンを再装填した。
「次はナニしてくれるのぉ?♡」
唇に指を当てて物欲しそうにするメスガキ星人。ブラックは油断なく構えながら次の出方を窺っている。
静かな睨み合いの中、メキリメキリと奇怪な音が部屋に響く。不審に思ったユウリは音の出所を探し、巡らせた視線が床に散らかったゴミに止まる。
「なんだろ? ザコザコお兄ちゃんが……膨らんでる?」
床を埋め尽くす無様に事切れたはずのザコザコお兄ちゃん達が気色悪い音を立てて風船のように膨張し始めていた。中途半端に人の形を残した形状がことさら気持ち悪い。
ザコザコお兄ちゃん風船を見たブラックは、そこで初めて焦りの色を見せた。急に刀を納めるとユウリを引っ掴む。
「うわっ!?」
「逃げるぞッ!」
ブラックはユウリを肩に担ぐと窓へ向かい銃弾を放つ。分厚いガラスが粉々に砕けて闇夜に飛び散った。
「まさか窓から飛ぶ気じゃ……」
「そのまさかだ」
「嘘ッ! だってここ三階───ッ」
窓から飛び出す瞬間、ザコザコお兄ちゃん風船が急激に膨れ上がり、パンパンになった毛根死滅頭が光を放つ。そして大爆発が起きた。
爆炎と衝撃波と浮遊感にユウリの意識が飛びかける。かろうじて繋いだ思考力が身を丸めて防御姿勢をとれと警報を鳴らしたが、無情な重力がユウリの悲鳴と意識を暗闇へと引きずり込んだ。
☆彡
「なんだァ!? あの爆発は!」
「へへっ。景気良く燃えてんなぁー!」
「祭りかぁ!? ヒィーッヒャー!」
突如、離れた通りから上がった火の手に荒くれ者達が色めき立つ。
ここは区画で最も高いビルの屋上。
粗暴な男共がどよめく。その中でもひときわ屈強で大柄な荒くれ者のボスはすだれ頭の男に詰め寄り胸ぐらを掴んだ。
「おい、情報屋! 一体どうなってやがる!?」
情報屋と呼ばれた前髪スカスカのおっさんは情けない声で喚く。
「ひぃぃ! すみません私にも何がなにやらで……」
「チッ! 役に立たねえヤロウだ」
乱暴に突き放された情報屋はあっさり尻餅をつき情けなく尻をさすっている。
荒くれボスは唾を吐き捨てると自分の荷物をひっつかみ、他の荒くれ者たちに指示を出した。
「テメエら荷をまとめろ! 移動すんぞ!」
「へへっ。ボス。どこへ向かうんです?」
「爆発したトコロに決まってんだろうが!」
「へぇ。火事場泥棒でもするんですかい?」
「バカ言ってんじゃねえ」
荒くれボスは荒くれ者Aを小突く。
「もう忘れたのか! オレ達のターゲットは運び屋のガキだったろうが!」
「へへっ。そうでした。んで、それと火事が何か関係あるんで?」
「こんな廃墟にオレ達と運び屋以外に人がいるわけねえだろ!
だったらあの爆発に運び屋が関係してるって考えるのがスジだろうが!」
「へぇ。なるほど!」
「さっすがボスだ! あったまいぃー! ヒィーッヒャー!」
となりで聞いていた荒くれ者Bがアホみたいな声を上げた。
荒くれボスは部下たちの馬鹿さ加減に頭を抱えながらひとりごちる。
「ああは言ったが本当に運び屋が見つかるのか?
それになんだこの奇妙な状況は。
情報屋の言っていた通り、最初こそザコザコお兄ちゃんが沸いてたが、
それがいつの間にか、すっかり全部くたばってやがる。
いったい、いつ、誰がやったんだ?」
何にせよ、情報が少ないまま、こんなところで手をこまねいていても始まらない。異変を調べれば何かとっかかりが掴めるかもしれない。
荒くれボスはこの世紀末風アウトフィールドを共に渡り歩いてきた錆びついた大剣を天に掲げ、大声で部下達を鼓舞した。
うおおおお!、と廃墟の屋上に荒くれ者達のトキの声が上がる。
そんな中、ビルの中から慌てた様子の荒くれ者Cが姿を現した。
荒くれグループの伝令役である。
「ボス!」
「おう。いい所に来た。出るぞ、他のチームにも伝えろ」
「そ、それどころじゃねえでさ!」
「あん?」
ボスの不機嫌な反応に尻込みしつつも荒くれ者Cは必死に報告する。
「ブラヴォーチームが壊滅してます! みんなザコザコお兄ちゃんにされてやした!」
「なんだとッ!?」
「探索に出ていたデルタチームからの定期連絡もありやせん。もしかしたらみんな……」
荒くれ者Aは荒くれ者Cに掴みかかった。
「へっ! テメエ! いい加減なこと言ってんじゃねえ!」
「でもよう! 状況から考えるとよう!」
「へっ! まだ言うかコノォ!」
「止めねえかッ!」
荒くれボスは部下たちの諍いを一喝する。
「動けるヤツを集めて移動すんぞ」
ボスの静かな有無を言わせぬ口調に、荒くれ部下たちは一斉にうなづいた。
その時。
「ハロハロォ~♡
活きのいぃーざぁこざぁこおじさんたち♡みぃつけたぁ~♡」
どこからともなく、カンに障るメスガキの声がした。
すぐさま互いを背にしてメスガキ星人の襲撃に備えた荒くれ者たちは、各々の武器を手に周囲を警戒する。
「なんでい!? どこにいやがる!」
荒くれ者Cが怒鳴るが、臆した様子も無くメスガキの独り言は続く。
「ラッキィ~♡クッキィ~♡
養分いっぱぁーいだぁ♡
あー。
それにしても、ムカつく。
アイツ絶対に許さなぁい。
いーっぱぁーい食べてぇ♡元気になったらぁ♡
あのダサダサ真っ黒おじさんをわからせてやるんだからぁ~♡」
メスガキの決意表明を聞かされながら、荒くれ者たちの間に緊張が高まっていく。
その空気に耐えられなくなったのか、情報屋が薄い頭を掻きむしり悲鳴を上げた。
「ひぃぃ! た、助けてくれぇー!」
「バカ! テメエ!」
とっさに荒くれボスが止めようとしたが、情報屋は制止を振り切って屋内へ駆け込もうとした。
しかし逆に扉から飛び出してきた人影が情報屋を押し倒す。
情報屋は情けなく喘ぎながら、突然の襲撃者に抵抗する。
そこへ鉄パイプを持った荒くれ者Bが飛び掛かった。
「ヒィーッヒャー! くたばれェー!」
鋭い打撃が襲撃者を打ちすえる。攻撃をまともに受けた襲撃者は派手に吹き飛び一回転すると顔面から落ちて地面を舐めた。
ワンテンポ遅れて動き出していた荒くれ者Cは転がった襲撃者に駆け寄り、その頭を乱暴に掴み上げた。
「ボス!
こいつデルタチームのヤツですぜい!
すでにザコザコお兄ちゃんにされてやがる!」
「クソッタレが! もう喰われていたか!」
部下をザコザコお兄ちゃんにされた荒くれボスは怒りに吠える。
「出てきやがれメスガキ星人がッ!
てめえのパステルピンクな脳漿ぶち撒けてやる!」
「ゲロゲロォ~♡
だからぁおっさんはきらぁーい♡
やっぱりぃ♡りゅーこーとニンゲンはぁ♡
あたらしーほーがぁいいよねぇ~♡」
荒くれボスは荒々しい怒声を上げる一方で、彼の脳は至って冷静だった。長年、荒くれ者たちをまとめ上げ、何体ものメスガキ星人を狩ってきた男は静かに囁く。
「テメエら気を抜くなよ」
「へへッ」
「プアプア~♡
オトナのくせにぃ♡びくびくしてぇー♡
なさけなぁーい♡」
荒くれ者たちはメスガキの挑発にも動じず警戒を崩さない。
「ハリハリィ~♡ざぁこおじさんたちはぁ~♡
だまってぇ~♡あたしのごはんになってねぇ~♡」
そう言うなり、服がビリビリに破れて際どいトコロが見えかかっているホットパンツのメスガキ星人が闇空から降ってきた。ポッケからじゃらじゃらとキーホルダーをぶら下げて荒くれ者たちに妖しい視線を向ける。
「俺が先に出る。一斉にかかって押さえつけるぞ」
「ヘッヘッヘッヘヘッ」
荒くれボスは部下に指示を出して、メスガキを襲うタイミングを見計らう。
その様子にメスガキ星人はにたりと笑った。
「オヤオヤァ〜?♡おじさぁん?♡
だれとぉー♡おはなししてるのぉ~?♡」
「ああん?」
「ヘッヘヘッヘッヘッヘッ」
メスガキ星人は怪訝な顔をする荒くれボスを余所に、舌舐めずりをする。そして、ネイルを塗った小さな指が荒くれボスの背後を指差した。
「そこのおじさぁんはねぇー♡」
異変に気付いた荒くれ者BとCが血相を変えて叫んだ。
「ボスッ! うしろッ!」
「もぅあたしのザコザコお兄ちゃんだよぉー♡」
「なッ!?」
「へへへへッヘップワォォォォン!」
ザコザコお兄ちゃん化した荒くれ者Aは荒くれボスに抱きついた。
「クソがッ!」
「へへップワワォン!」
慌てて引き剥がしにかかるが、しがみついて腰をヘコヘコ振ってくるザコザコ荒くれお兄ちゃんは異様な力を発揮して離れない。
「マジワロォ~♡おっさんどーし♡きんもぉ~♡」
メスガキ星人の高笑いを合図に、屋上の扉から新たなザコザコ荒くれお兄ちゃんたちが押しかけてきた。
荒くれ者BとCはザコザコ化した元仲間たちに襲われて、ボスを助けに行くことができない。
必死に抗っていた荒くれボスも、たちまちザコザコお兄ちゃんにのし掛かられて地面に押しつけられる。
「クソっが!」
「シット♡シット♡シットゥ~♡
ごいひんじゃくぅー♡」
メスガキ星人が荒くれボスの頭を両手でホールドする。
「ワォ♡いっただきぃまぁーす♡」
「クソが、やめ……」
荒くれボスの言葉はメスガキ星人のぷりんとした唇に塞がれた。
「ちゅぅー♡」
「むぐぁ……」
甘い香りと共に意識が遠のいていく。
「ぷはぁ~♡ごちそうさまぁー♡」
それが荒くれボスの聞いた最後の言葉だった。
☆彡
ビルの一室からから吹き出した火柱は、文明の明かりが消えた闇空を茜色に照らした。
爆ぜる炎と崩れる瓦礫が荒廃した街の静寂をかき乱す。
「……無事か?」
くぐもった男の声に、ユウリはハッとする。ショックで意識を失っていたようだ。
ブラックの胸の中でユウリは答えた。
「うん、大丈夫みたい」
「そうか」
「あっ。その。ありがとう……」
ユウリは抱きしめられている事に気恥ずかしさを感じながらも感謝を口にした。
ブラックは「良かった」と言ったきり黙ってしまう。
「あ、あのさ。もう大丈夫だからその……」
「あ? ああ、すまん」
ブラックはそう言うとユウリを解放し、ひと呼吸おいてから燃え盛るビルを見上げた。
ユウリもつられて見上げると、火の粉が舞い散る中、白ゴスを纏ったメスガキ星人がふわりと降りてくる。荒々しい炎に曝されながらも、煤一つ無い純白のスカートが翼のように広がり、その悠然とした姿はいつか絵本で読んだ、世界の終わりを告げる天使のようであった。
「もぉ♡
お兄ちゃんったらお友達に優しいのね♡
ちょっと妬けちゃうかも♡」
バレリーナのように着地したメスガキ星人はいたずらな笑みを向けてくる。
一方でブラックは敵対心も露わに再び刃を抜いた。
「炎に飛び込んで焼け焦げてきたらどうだ?」
「いじわるぅ♡」
ブラックは腰を落とすと地面を蹴り、唇を尖らせるメスガキ星人へと肉薄した。ブラックの振るう闇色の刀が鋭い軌跡を描いてメスガキ星人の首筋を狙う。
しかし、刀は見えない防壁に阻まれてしまい、ギチギチと火線をまき散らす。続く斬撃もやはり全てがメスガキ星人に届く前に弾かれてしまい、激しい激突音がユウリの鼓膜を震わせる。
「あいつ、さっきより強くない?」
ブラックの動きはビルの一室で見たときよりも、さらに鋭く苛烈になっている。ユウリも運動神経には自信があったが、この黒づくめのハンターの身体能力には驚かされてばかりだった。ユウリをかばいながら三階から飛び降りてもピンピンしており、本当に人間かと疑う様なスピードとパワーで刀剣を振り回す。戦いの世界に身を置く大人の男とは、ここまですごい物なのかとユウリは息を飲んだ。
しかしそれでも、ユウリは危機感を覚えていた。
メスガキ星人はクスクスと笑いながら追いかけっこを楽しむかのように飛び回り、その真っ白なドレスには、傷一つ、いや汚れ一つ無い。異常に強いはずのブラックが完全に遊ばれている。
まだ12にも満たない人生の中で、一度も名札付きメスガキ星人を見たことがなかったユウリだが、本物を目にしてからずっと、生き物としての本能が警鐘を鳴らし続けていた。
人類はメスガキ星人に敵わない。
この荒廃した世界の理不尽な不文律を突きつけられて、ユウリは本能と理性の間で葛藤する。
早く逃げて身を隠さないと。だがその一方で、自分を助けてくれたブラックを置き去りにすることに強い抵抗を感じていた。
戦いにおいて、非力な自分は足手まといにしかならないのは分かっている。分かってはいるのに、腹の底がぎゅっと締め付けられる。
自分にも力があれば。
ユウリは無力な拳を握りしめて歯噛みする。その時、視界の端に黒光りする一物が映った。
ブラックの銃だった。ビル脱出の際に落としてしまったのだろうか。
ユウリはふらふらと吸い寄せられるように近づき、その"力"を手にした。
銃口を持ち上げると、ずしりとした重みが両手にのしかかってくる。
熱に浮かされたかのように、吐息のかかる距離でまじまじと銃に見入っていた。
故郷で偏屈ジジイに銃の手ほどきを受けたことがあったが、あの時のジジイの粗末な骨董品とは違う、重厚で逞しいメスガキを分からせるための武器。その暴力的な力を秘めた銃身にユウリは生唾を飲み込んだ。
この銃弾は名札付きメスガキ星人には効かないかもしれない。だけど、少しでも隙を作ることができればあるいは。
ユウリは両手でしっかりホールドして狙いを定める。
ゆっくりと呼吸して、心を落ち着かせて、全神経を標的に集中させた。
炎の爆ぜる音がすべて消えていく。
あとは引鉄を引くだけ。
その時、ブラックと目が合った。
ずいぶんと焦った表情で、こちらに何か叫んでいる。
は? よく聞こえない。
「上だッ!逃げろッ!」
「えっ」
ユウリが空を見上げると、燃え盛る空から瓦礫が降ってきた。
MESUGAKIX
続くかもしれない。