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Samsara~愛の輪廻~Ⅱ  作者: 二条順子
18/18

18.春の別れ(2)

祥吾は書斎の窓から庭にある満開のソメイヨシノを眺めていた。

崇之が生まれた時、孫の誕生を祝い崇正が記念に植樹したものである。

明け方から降り出した雨に打たれ、風が吹くたびに花びらが舞い散っている。


(あのはどうしているだろう… )

机の上にある携帯に目を遣った。

かかってくるはずのない電話をあの日以来、心のどこかで待ち続けている。

亜希は約束通り崇之の前から姿を消した。最悪の事態は回避できたという

安堵感はあるものの、雅子のように諸手を挙げて喜ぶ気にはなれない。

崇之は父親が金で全てを解決したことに嫌悪し、あれ以来祥吾に堅く心を

閉ざしてしまった。


「旦那様、成都医大の高村先生からお電話でございますが、そちらにお繋ぎ

いたしましょうか?」

ドアの外でお手伝いの声がした。

祥吾は書斎で高村の電話を受けた。


「ご自宅にまでお電話をして申し訳ありません。実は急を要する事でして、

御子息のあちらでの連絡先をお教え頂きたいのですが…」

どうやら高村は崇之が日本にいないという前提で居場所を探しているらしい。


「息子はこちらにおりますが、と言っても今は留守にしています」

「ああ、良かった。まだ日本におられたのですね」

高村の安堵した様子が電話の向こうから伝わってくる。

「お差し支えなければ、どういった用件かお聞かせ願えませんか?」

“急を要する”と言う彼の言葉が気になった。


「実は、亜希、さんの事で至急お伝えしなければならない事がありまして」

高村はまだ二人の事を知らないようだった。

祥吾は、亜希の事で急を要するという話の内容が気になった。

幸い、今日は崇之も雅子もは不在で都合が良かった。


「私の方でも二人の事で先生にお伝えしたい事があります。都内におられるなら

ご足労ですが、ここへ来てはもらえんでしょうか?」

「分かりました。今からすぐそちらへ伺います」



一時間ほどで世田谷の木戸邸に着いた。

応接室に通されると、木戸祥吾は待ちかねていたように椅子から立ち上がり、

耕平を迎えた。

「お呼びたてして申し訳ない。実は… 結論から申し上げると、亜希さんと

息子は一緒ではありません…」

耕平には祥吾の言葉の意味が分からなかった。

「…私が、二人を別れさせました」

祥吾の表情は苦渋に満ちている。


「そんな! じゃ、亜希はいったいどこに居るんですか!?」

耕平は、予想もしなかった事態に祥吾を詰問するような口調になった。

「…すみません、失礼な言い方をして。御子息は彼女の居場所を

ご存知でしょうか?」

「おそらく、知らんでしょう… 急を要すると言っておられたが、

どういうことですか?」

「すぐ治療を始めないと命に関わるような深刻な病気に罹っている

可能性があります」


耕平は詳しく説明した。

ーー血液検査の結果、亜希の赤血球、白血球、血小板の細胞の数が減少して

  いる事が判明した。赤血球の数だけ減る通常の貧血とは異なり、全てが

  減少した場合、まず再生不良性貧血(AA)が疑われる。また、急性

  白血病やMDS(骨髄異型性症候群)などの可能性もあり、診断を決定

  するには一刻も早い骨髄検査が必要となる。

  いずれにせよ、数値から判断すると亜希は重症の部類に入り、最悪の

  場合、骨髄移植が必要となるかもしれないーー


「……」

耕平の話を聞く祥吾の顔から血の気が引いた。

葉山の家の前で苦しそうにうずくまっていた亜希の姿が脳裏を過ぎる。


「助けてやって下さい! 私にできることはなんでもします。

どうか、命を救ってやって下さい!」 

祥吾は懇願するように言った。

その只ならぬ様子から、単に息子との仲を引き離した女に対する贖罪や、

同情だけではないと耕平は直感した。


「木戸さん、失礼は承知でお伺いします。なぜ、二人は別れなければ

いけなかったのですか?」

耕平の問いかけに、はっと何かに思い当たったように祥吾は逆に聞き返した。

「骨髄提供者は血縁関係のある親や兄弟の方が適合の確立が高いのですね?」

「ええ、兄弟姉妹間で四分の一、稀に両親と一致することもありますが…」

耕平は祥吾の質問の意図を測り兼ねた。


「彼女は… 亜希は、 私の娘かもしれんのです…」

祥吾は暫くじっと押し黙っていたが、意を決したように重い口を開いた。



(木戸崇之と亜希が兄妹かもしれない…)

耕平は言葉を失った。



* * * * * * * 



「亜希はそのことを知っているんですか?!」

ドアの外で祥吾の話の一部始終を聞いていた崇之は血相を変えて部屋に

飛び込んできた。

「いや、彼女は何も知らない… 崇之、許してくれ、亜希さんは金など

受け取ってはいない。おまえを裏切るような真似はできないと、

突っ返された」

崇之はその場に崩れるように座り込み頭を抱えた。


「とにかく今は、彼女を見つけることが先決です。亜希の行きそうな

ところに心を当たりはありませんか?」

「先生のところに戻ると言ってました…」

耕平の問いかけに応える崇之は魂の抜けた抜殻のようだった。

三人は押し黙ったまま、応接室には重苦しい空気が流れる。

その沈黙を破るように耕平がおもむろに切り出した。


「木戸さん、貴方と亜希の間に親子関係は成立しません」

木戸父子は驚いたように耕平の顔を見た。

「貴方の血液型は、確かB型ですよね。亜希はAB,彼女の母親はB型です。

B型同士の両親からAB型の子供が生まれる可能性はありません。

父親の血液型はAもしくはAB型、ちなみに亜希の父親はAB型でした」

亮がAB型RHマイナスという特殊な血液型であったため、両親の血液型に

ついて亜希から詳しく聞いたことがあった。

祥吾はがっくりとうな垂れた。崇之は放心したように動かなかった。

非情にも木戸父子の上に再び愛する者同士が引き裂かれるという悲劇が繰り

返された。


耕平の脳裏に五分咲きの桜を見上げていた亜希の横顔が浮かんだ。

それは、初めて彼女に出逢った時、新幹線の車窓に寄りかかり虚ろに宙を

見つめていた、あの淋しげな横顔と同じだった。


応接室のガラス戸の向こうに手入れの行き届いた木戸邸の庭が広がる。

樹形の整った見事なソメイヨシノの大木から、儚い一生を終えた美しい

桜の花弁がまるで雪の結晶のようにひらひらと舞い落ちていた。



* * * * * * * 



昨日まで都内の桜はどこも満開だった。

夜半から今朝方まで降り続いた雨のせいで今は散り始めている。

路上に積もった濡れた花びらたちが、雨上がりの柔らかな春の陽ざしを

浴びてきらきらと光っている。


「花の命は短くて… とはホント上手く言ったもんですねえ…」

フロントガラスに落ちた花片をウィンドーワイパーで掃いながら、

運転手は客に話しかけてきた。


「…これから海外旅行ですか、どちらに行かれるんです?」

タクシーはすでに東京を離れ千葉に入っていた。

「お花見に行くんです」

車窓に寄りかかり外の景色を虚ろな眼差しで見ながら客は応えた。


「外国で花見、ですか?」

運転手はミラー越しに若い女の顔を怪訝そうに見た。


「ええ、ワシントンの桜は、ちょうど来週あたりが見頃なんです」

「アメリカで花見ですか、羨ましいなあー。でも、お一人で?」

「主人と子供が先に行って、向こうで待っているんです」

女はそう言うと、シートに身を沈め目を閉じた。



亜希の瞼の裏には、ポトマック川沿いに続く満開の桜並木を元気に

駆け回る、亮と拓也の姿が映っていた。




ー了ー



Samsara ~愛の輪廻~Ⅲ につづく・・・

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