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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第三章
82/94

柵新たに

もっと血みどろい話を書きたいですね。


正直なところ、政治的なしがらみの話は苦手なのです。








意を決し、心中で一つ溜息を吐きつつも結論を出した。


視線を助けを求める彼女に合わせずかずかと近付いて行く。


そして……。


パァン、と平手打ちの音が廊下に響き渡った。


「「「ッ!?」」」


その場の誰もが息を呑んだであろう……その音の発生源は、俺の手と……庶子の娘の頬だ。


「どうやらお前は、私の事を甘く見ている様だ……立て、幾つかお前には教育(・・)が必要な様だな?」


庶民の黒い制服……半分で丈を切ったローブの襟を掴んで無理矢理立たせ、テペル嬢にはガン飛ばして黙らせた。


おっと、忘れる所だった……もう一人も、縮こまってしまっている娘も居たな。


そちらも猫の様に襟首を捕まえて担ぎ、ずるずると引き摺って、空き教室に放り込んだ。


……一応、人がいない事を確認しておくか。


誰も居ない。その事実をいち早く確認したのは、恐らくこの二人の……すっかり怯えきった二人の庶民の娘だろう。


後手にガチャリと戸に鍵を掛け……さて、先ずは落ち着かせる所から、か。


「……はぁ、まあいい、そこに座れ」


適当な席を指すも、彼女達は動かない。


仕方がないので、俺だけ取り敢えず座る。二人は床にぺたりとへたり込んだままだ。


……痛い、そこまで怯えきった、瞳孔も開き、顔を青ざめさせたその顔が心に痛い。というか、非常に心苦しい……頰っぺたに付いたある赤い手形も……。


大分手加減したつもりだったのだが、ちょっと強く叩き過ぎたかも知れないな。


「そっちの……名前が分からん……髪が短い方、こっちに来い」


出来うる限り穏やかな声色を意識して伝えた……効果はあった様で、おずおずと、足取りは覚束ないが寄って来た。


「悪かったな、少し強くし過ぎた。大丈夫か?」


水属性の治癒魔術の光を放つ左手で彼女の頬を撫でれば、真っ赤に腫れていた皮膚は瞬く間に平時のそれに戻って行く。


痛みが引いたことに驚いたのか、抜けた顔をする彼女と、ほぇー、と目を丸くするもう一人の……背中まで伸びた黒髪と黒い目、白い肌と泣き黒子が特徴的な娘が、興味を示した……警戒心を解く事には成功したか?


「済まんな、後腐れ無くあの場からお前らを連れて去る方法がアレくらいしか思い至らなかった……さて、そろそろ名前を聞いても良いか?」


あ、と二人が今更気付いた様だ。


ボブカットの方の娘……見覚えがある方が気の強いのだったな。そちらが先に口を開いた。


「み、ミレイ……ミレイ・ヘラ、です……」


「……ネーナ・アリウムです……」


髪が茶色くて短いのがミレイ、長くて黒いのがネーナ、だな。


「……アホな貴族に絡まれた時はな、名前を聞かれても答えず、さっさと逃げる事だ。名も名乗らず逃げる事は、貴族からすれば忌むべき行動だが、お前達は庶民だ……向こうも、勝手に幻滅して興味を失うだろうな……既に名を知られたのなら……そうだな、一般生徒寮にでも逃げ込めば、追い掛けて来ないだろう」


プライドだけは高い連中だからな、と。


「奴らに自制させればいい。そこまで手を出せば格が落ちると認識させれば、大抵の事……そこまで事が大きくなければ引いてくれるだろう。連中は馬鹿だが算用は得意だ、自ら評判を落とす様な事は滅多にしない」


尤も、単独で向こうを敵に回して打ち勝てるだけの後ろ盾や力が有れば、そんなビクビクして暮らさずとも済むが。


お前らは魔術は使えるのか?と聞くと、二人は揃って首を横に振った。


「……私の血族に魔術師は居なかったので……でも、どうしてですか?」


魔術師は例外はあれど、基本的に遺伝的な物だ。非魔術師の子が魔術師になる事は滅多にない。


「……それは何に対する質問だ?助けた理由なら……勘、だ。それ以下でも、それ以上でもない」


さて、もう行かなくては、と。


「お前達は少し時間を置いてからここを出ると良い……また、アレにばったり出くわすのは嫌だろう?」


「ま、待って、ください!」


立とうとした俺をミレイ・ヘラが、慌てて引き留める。


まだ何かあるのか?と振り返れば、二人は顔を赤らめて、畏まり切った様な雰囲気で並んでいた。


「あの……貴女は、エリアス・スチャルトナ様、ですよね……?」


如何にもそうだが、と返す……自己紹介もしていないのに、彼女らが俺の事を知っていても別に不思議だとは思わない……自惚れで無く……この学校においての私は良くも悪くも有名人だからな。


「……まだ、何か?」


忙しい事を述べてさっさと去れば良いのだが、それは少し良心が無い対応だろう。


あくまで私は特権階級では無い。偉い人間では無い……力が人より少しあるだけの、単なる軍属の娘である。アホ貴族と同じ様な事はしない様にしたいものだ。


「あ、あの……その……!」


二人でこそこそ、話そうとすれば吃って話にならない……そんな状況に、眉が寄りそうになった、その時、意を決した様にミレイとネーナが顔を上げた。


「「私たちを、貴女の召使にしてくれませんか!?」」


頭の痛い問題が、また一つ……。











妖精族にとって、同族で無い者を隠された里に招くという事は、人が想像するよりも遥かに重大な事である。


彼女ら妖精族は知識の種族だ……戦闘能力は決して高くは無く、文字を読み書きする以外の行動も基本的に好まない。


だから、政治家の真似事などしていたニーレイというのは……中々妖精の中でも異質な存在なのだろう。


そんな闇妖精の彼女が気にかけるのは現在の主人……であり、興味深い研究対象であるエリアスの事。


強大な魔力と身体能力、やや直情的な所はあるものの高い知性を持つ人間……。


ニーレイが望む事は一つ、彼女が極限まで成長し切る事である。


魔力的にも、身体的にも。


「はーぁ……ままならないもんだねぇ、お楽しみは新年までお預けかぁ」


ぐでーん、と机の上に寝っ転がった彼女の両手に握られたペンが、紙に……常人が見る事では意味を成さぬ、数多の線を描き続ける。


アリエテ・ハノヴィア語の筆記体ではない。


妖精文字と呼ばれるもので、これが彼女達が知識を書き記す時の文字……普通には読めず、その読み方は一般に明らかにされていない。


「でも、エリアスが危機感を持ってくれたのは良かったかなー?充実は進歩を呼ばないからね」


「レズンも悪い奴だねぇ……」


くっくっく、と二人、レズンとニーレイは顔を見合わせて笑う。


エリアス周辺でも数少ないの魔族陣営の二人は、暗くなった部屋の片隅……ただ一器の燭台の元に、顔を突き合わせていた。


「……それで?あの二人の人間の素性はどうだったのだ?よもや害にはなるとは思ってはいないが……」


椅子には腰掛けず、ただ仁王立ちするスィラが、二人の馬鹿馬鹿しい遣り取りを竦めて漸く話が進む。


「利用価値はあったよー?……あの二人、ミレイ・ヘラの実家はアリエテ王国東北部を占めるエイン・ヘラ商会の元締めで、ネーナ・アリウムに至っては、ハノヴィア帝国公営の貿易商会、西ヤールーン通商連合の副会長の娘……あの二人を吊るし上げてたケルスク準男爵家の娘はアホだね、あの二人がそれぞれの親にテペル嬢の事をチクったらどんな事になるか……にしても、なんでこーも大物が引っ掛かって来るんだろーね?」


金持ちを引き寄せる誘蛾灯でも頭にくっ付いてるんじゃない?と。


エイン・ヘラ商会は王国北部最大の商会の一つであり、主に食料品を扱っている……特にエルク〜キルキノラインに至る北東部の食料流通の殆どを担っていると言っても過言ではない。


「況してや、庇護を求めて召使い、使用人になると来た……本来貴族の元に商人の娘が使用人として入るのは一般的な話だけど、庶子の下に付くっていうのは……なんか、後々問題が起きそうな話だよね」


西ヤールーン通商連合というのは、帝国の海運、特にヤールーンとの航路を結ぶ交易商会たちが、近年高まる海賊や水生の魔物の脅威に対して共同で対処しようと集まった、商人が組む会の様な物である。特徴は……海軍顔負けな戦闘艦と、よく訓練された獣人の私兵を多く持っている事だ。


……エリアスはあっさり快諾しちゃったけど、と溜息。


何が言いたいかといえば、貴族でなくとも、学校に通っている庶子というのは多かれ少なかれ金持ち……世間に影響する何らかを持ち合わせている物であるという事。


「……面倒な問題を抱えちゃった事を再認識してくれた所に油をぶち込むような話をするのは気が引けるんだけどー……おまけにあの二人だけどねー?実は嫁ぎ先がもう決まってるらしくてねー?」


げ、とアリエテの法に比較的詳しいニーレイが頭を抱える。


「側室とは言っても、貴族の妻を使用人にって……はぁ、まあいいっか……エリアスにはいい経験なんじゃない?もしかしたら、アリエテに住めなくなるかも知れないけど」


「そこは大丈夫だろうな、ツィーア嬢が上手く庇ってくれる事を期待すれば……五分五分だろう。向こうからの直接的な攻撃は除いて、だが」


あーあ、とは言いつつも楽しげなニーレイに、スィラの眉間の皺が深くなる。


「そんな顔しないのスィラ……別に人の不幸が好きなんじゃなくて、私が好きなのは劇なんだよ……喜劇も悲劇もね」


いいかい、スィラ。と前置いて。


「劇はね、脚本家が居て、演出家が居て、それで役者が居る。勿論舞台で踊るのは役者、演出家はその劇の出来栄えを後ろの貴賓席から眺める。脚本家は家で、劇の評判を聞くのさ」


ニーレイがインク瓶に羽根ペンを放ると……外れて机を黒く汚した。ありゃりゃー、などと言ってる場合では無い。


「この世界の物語の脚本を描いているのはきっと魔王様……でも、演出家は何を隠そう私達(・・)だよ。エリアスでも、ツィーアでも、この国の王でも無い」


レズンが拭こうとするも、今度はインク瓶を倒して大惨事である……ニーレイの書いていた論文が板海苔みたいに真っ黒になってしまったが、彼女は一瞬固まるだけで意識を取り戻した様だ。


「幸いにもこの劇は役者には事欠かないくらいに、イイ(・・)人材が集まってる。私達は演出するだけ……後はなる様になるよ」


魔王様が仕組んでるんだからね、と。


「今足りないのは有能な敵だよ。エリアスが予想以上に有能なのか、もしくは……」


真っ黒になった論文を見て、うぇー、なんて顔を真っ青にしている様子からは、威圧感など欠片もないが。


「……作っちゃえばいいんだけどね、結局の話」


ふっ、と燭台から火が消えた。











学園は朝から盛り上がっている。皆血の気が多いのだな。


模擬戦大会は2日間に渡って開かれる。初日は貴族及び優秀な一般生徒、2日目で庶民の生徒のそれが開かれる予定である。


俺はと言えば、朝から心が折れそうだ。


通り掛かりの知り合いから一様に、頑張れ、なんて言われて大して煮詰めてもいない魔術演舞を披露しなければならない俺の心中など、誰も察してはくれまい。いや特に察して欲しいわけでも無いが。


特にツィーアが酷かった。ある程度こちらの事情など分かっているに決まっているのに、ただ一言、「期待してるわよ?」だ。鬼としか思えない。


そんな俺はと言えば、模擬戦大会の開会式の真っ最中である。


出場生徒の殆どが、こうしてアリーナに並び、校長の訓示、アズブレル伯その他参列者の中でも地位の高い者の挨拶を受ける。


驚いたのは現王妃……アイクの母親であり、現アリエテ王国国王、アルノルド・ベル・アリアル・イオリア陛下の正妻、エドラ・ベル・アリアル・イオリアが訓示を行った事だ。


流石に国王が王都を簡単に離れる事は出来なかったのかも知れない。マデレイネ姫も一緒であった。


アリアルは正規の王族、その内実際に王権を持つ者に付く名で、第一王子すら持たぬ、ただこの国で二人しか持たない高貴な名で、それが真なるアリエテ王家である事を証明となる。


三十代前半にしか見えない、非常に美しい容姿で、亜麻色の髪と輝く様な空色の碧の瞳を持つ美女であり、言葉もハキハキとしていて聴きやすい声だった。


あまり理知的な印象は無く、元気があるというか……マデレイネ姫と良く似た性質だな、いや、マデレイネ姫の方が似たのか。


ん?マデレイネ姫が此方を見て笑った?


「……此度私の我儘に付き合い、血を流すまでに献身を見せてくれたエリアス・スチャルトナに、この場を借りて礼を言いたい」


あれよあれよと言う間にステージに上げられ、以前見た時よりも6割増して綺麗に着飾った彼女の前に連れて行かれてしまった。


「つい先日まで床に臥せっていた彼女が目覚め、此度の会の場に立っている事は正しく……」


幾つかの口上を述べた様だが、最初の3行で内容を理解する事を辞めた。何故なら……貴族が並ぶ列の中でも一際目立つ彼女……ツィーアが酷く険しい顔でマデレイネ姫を睨んでいたからだ。


何か確執でもあるのだろうか?ツィーアの機嫌を損ねぬ為には、あまりマデレイネ姫にくっ付くのは良くないな。気をつけるべきだろう。


「……この功績を讃え、エリアス・スチャルトナに第2等スプレンデンス勲章を賞与し、エリアス・スチャルトナを1代限りの騎士爵に任命する!」


……ん?騎士爵?


「……私の聞き間違えで無ければ、爵位を与えると?」


ぼそりと呟いた独り言を、マデレイネ姫は耳聡く拾った様だ。


「エリアス、君はそれくらいの事をしたのさ。何せ騎士団員以上の働きを以て、私の命を救ったのだから」


話が良く見えないが、コレは騎士団員の中でも比較的強力な存在であったクリストフ……彼を瞬く間に斬り殺した影の戦士を撃破した事に対しての恩賞らしい。


戦闘の余波は容易く地上にまで届き、一部地面から飛び出した火属性魔術が家を吹き飛ばしたと。


そこでレズンが上手く立ち回り、彼女を含めた地上の騎士団を避難させる事に成功した様だ。


何とかレズンの指示で安全な場所まで避難した後、戦闘が収まったであろう頃合いを見計らって、洞窟に突入したらしいが……中は地獄だった様だ。


ゾンビや騎士団員の死体が焼けて独特の臭気が漂い、気温は奥に行くに連れて暑い。


最奥部は強烈な火属性魔術の影響で岩が溶けて煌々と溶岩が滴り落ち、そこら中に転がった斬られた(・・・・)岩の断面は鏡の様だったと。


「誰が見てもあの場で行われたのは死闘だっただろう。そうまでして闘わなければならなかった相手……君が倒れてその敵が私達の元にまでやって来ていたと想像するのは、考えるだけでも恐ろしい事だ」


騎士爵は1代限りの半ば名誉位であるとはいえ、公式に貴族と分類される位になる。王都の貴族院の名簿に名が載り、ファーストネームとファミリーネームの間にミドルネームを持つ事を許される。


その他、参政権を与えられたり、各自治体で様々特権を受ける事が出来る。王城への非常時以外の立ち入りが許可される……などなど出来ることは多いが……制限というか、義務も当然発生する。


例えば今自分が如何なる立場にいるのか、何処に住んでいるのか、どんな仕事をしてどれくらいの収入を得ているのか、使用人や武官または私兵はどれくらい保持しているのか、等々を纏めた報告を年に一回、王都の貴族院に提出しなければならない。


国外に出る場合も行き先と目的、期間などを申請する必要がある。許可が下りないことは滅多にないというが……。


他にも色々とやらねばならぬ事は多い。尤も、臣下……特に武将に関しては、その実力次第で補助金が出たりするなど、良い事もある……戦争等へ、要請があればまず参戦しなければならない等の縛りも大きいとは言えども、だ。


……おっと、こんなところで考え事をしていてはいけないな。えー……礼儀作法、そうだ礼儀作法……。


「……王国臣民として、慎んでお受け致します。これより私は王の剣となり……」


こんな文言いつ覚えたのかと?覚えている訳が無いだろう。壇の裏にカンニングペーパーが用意されていた。


後は儀礼のしきたり通り、膝を突いて右拳を胸に、左拳を地に。


俺の制服の左胸を差し出し、第2等スプレンデンス勲章なる等級の勲章を証明するバッジが付けられた。形は……多花植物、花だな。重さ的に金造りだ。


後で聞いた話だが、コレを授与される事は王国でも五指に入る程の名誉らしい。スプレンデンス勲章は王室の危機を救った者に与えられる物で、"救国の騎士"に贈られる物だそうだ……いや、俺はそんな大層な事をした憶えは無いのだが……。


何というか、予想外に大きな事だ。周りの環境がガラリと変わってしまう。


今後の予定も幾つか修正が必要だ……そんな憂鬱を感じた俺は、ふん、と一つ息を吐く。


再開した開会式で喋っていた有象無象の話など、一つたりとて頭に入って来なかった。


式は滞りなく終わった様で、ぞろぞろと来賓や生徒が退場を始める。


俺は直ちに控え室で余興の準備に取り掛からねばならない。


準備運動と魔術を行使する上での軽いウォームアップ、演目の確認とやる事には事欠かない……大して練習もしていない演舞を全生徒及びその保護者、更には貴賓席の者々に披露する際の感情諸々を抑えるだけでも一苦労だ。


端的に言えば緊張している。しかし、逆に妙に……俗な言い方をすれば、イケそうな気もしている。


アレだ、大して勉強していないのにも関わらず、試験直前は何となく根拠無しに出来そうな気分になる謎の高揚だろう……そんな自分に本気で危機感を憶え、血の気がやや引いた。


「……泣こうが喚こうが、やらねばならぬ事実は変わらないからな」


そう自らに言い聞かせる様に呟いた言葉を拾ったのは……。


「なんか大変な事になったね、さて最下位とはいえ貴族の仲間入りをした感想を一言」


「……一体何を期待している?」


気付けば紫翅の妖精ニーレイが、控え室の姿見の上辺に立っていた……丸っこい木枠の上によく立てるものだ。


「べーつに?わたしはその辺りは関知しないよ。でも……ヤールーンに行く時の書類を書く時は教えてね、色々と細工(・・)が必要になるだろうから」


「……そうか、曲がりなりにもヤールーンとは戦時下だったな」


あまりに平和過ぎて忘れていたが、この国は一応戦争中であった。


彼女はそゆこと、としたり顔で笑う。


「あと、件の二人の事だけど、これで正式に貴族の使用人にしても大丈夫だよ。それでも扱いには気をつけて欲しいけど……」


まだ詳しくは聞いてはいないが、あの二人はどうやら……やや面倒な立場にある人間の様だ。


「ああ、その点については問題無い……少し怖がられている所はあるがな」


もう少し付き合う内に、打ち解ける事は出来るだろうと。


それならいいけど、と前置いて。


「あとレズンから伝言」


「なんだ」


嫌な予感しかしない。


「頑張れ(笑)って」


後で覚えておけよ。












ー これで良いのかと。


ー 果たしてそれは正統な評価であるのか、と。


ー ポッと出の運が良いだけの者に名誉があって良いのか。


多くのこの国の貴族からすれば、その問いの答えは大抵の場合、否である。


古くから王国に仕え、身と財を削り、その威光の下生きてきた者共は、基本的に新たな貴族の誕生については否定的である。


あくまで人口に比して、という程度ではあるが、王国貴族の数はそれ程多くは無い。


王家より降った大公は少なくも無いものの、実質的に仕事をしない名誉職で、偶に王国直轄領の管理をする程度などで割愛する。予備の王族でもあるからだ。


大まかに東西南北と中央を管轄する公爵が5人、辺境伯7人、侯爵15人、伯爵37、子爵61、男爵89、準男爵109、騎士爵……と数はどんどん下に行くにつれて増える。


騎士爵は現状188人、エリアス・スチャルトナを追加すれば189人で、早計512人がこの王国を支配する貴族階級という事になる。


この王国に住む人間の総数は、詳しくは不明なものの、断片的に調査された結果と消費食料量、耕作面積を加味して簡単に計算すると、少なくとも80,000,000人は下らぬだろう。ハノヴィア帝国民が大体その4分の1である事を考えると、アリエテは相当な大国である。


貴族階級の者は実に総人口のたった0.000006%だ。この大国はその実に全人口の15万分の1程という僅かな貴族と王侯により管理されて居るのだ……中々恐るべき事実では無いだろうか?


故に格差も実にとんでもない事になっている。


金の保有量についての比率は実に王侯貴族側が、確認されて居る量の実に60%以上を保有していると言われて居る。


一般市民や公益、更には商人の間にに流れている金の量は実に全体の40%にも満たないのだ……これが貴族が強い理由である。


勿論、その金を始めとする財というのはインゴットや金貨の形で存在するだけの物ではなく、実に様々、それは時に宝飾品であり、建築物であり、土地の利権だったりする。総合的に貴族が保有している資産だと思ってもらえば分かりやすいだろう。


この国には多くの市民が住んでいるが、その殆どは貴族の土地の上で生活し、畑を借りて耕し、ただ生産するのみの存在だ。


貴族はそれをひたすらに吸い上げる。何せ市民が作った物は自らの土地で育った物であり、貴族が貸し与えた溶鉱炉で作られた金属で出来ており、貴族が作った用水路の水を使い、何より貴族が運営する軍に護られて生活しているのだから。


厳しい言い方をすれば、大小の差はあれど、基本的にこの経済社会というのは所詮貴族によって作られ、貴族が自らを肥えさせる為に作られた箱庭に過ぎないのだ。


さて、この箱庭は王国を隙間なく埋め尽くしている訳だが、新たな王国貴族が産まれるという事は、この箱庭をそれぞれ少しずつ、ごく僅かずつ切り出して新たな貴族に与える事に他ならない。


単純に利権が減る。それは誰をしても気持ちの良い事では無い筈だ。


それは土地であったり、金であったり……兎に角、リソースというのは限りがあるのだから、減るには違い無い。


元の貴族共の凡そ7割はそう考える訳だ。一部、高々騎士爵が一人増えた程度ではビクともしない程の権力と利権を保有している者と、また新人の面倒を見たがる変わり者は別ではあるが。


凡そ7割は思う。どうにかして新人君には不慮の事故で退場してもらいたいなぁ、と。


だが余計な事をして今回の事を決めた王女様や姫様に睨まれたくもない。ならばという大多数の者は考える……食いつくのは馬鹿の仕事、適当に煽って後は知らぬ顔をしよう、と。


身の丈に合わぬ敵に挑んで獅子の尾を踏むのは特に問題ではない。これはある意味で……「お前の存在を不満に思っている者が居るぞ」という脅しなのだから、別に謀が成功せずとも良い。賢い者はどちらに転んでも良い事しか滅多にしないからだ。


さて、"正統な"だとか、"正しい"だとか……"Correct"の意味合いを持つ言葉というのは、しばしば人を惑わす際に使われる。


己に正義あり、と確信した人間の行動力には目を瞠る物がある。歴史上、宗教戦争に於ける敵への処遇を初めとした出来事ならかんが見るに、正義というのは時として人をこの上無く無謀に、盲目的に、そして残虐に仕立て上げる。


尖兵は無知で良い。下手に相手を知っていると怖気付いて役に立たなくなる。


だが、そんな無知だけで何か出来るとは思わないから"投資"しておく。金だけ出してより良い結果が出るならば占めたものだ。金だけは余っている連中からすれば、大した事ではない。


ー 相手は無力な女児だと伝えれば良い。


……その相手が、どうしようもない屑でも使える物は使うのだ。


ー ならば奴を差し向ければ良かろう。彼奴の権益はやや惜しいが、結局は相応しくない(・・・・・・)者だ……。


ー 彼奴こそ"正統な"ブレームノ伯であるからな、多少は必至にもなるだろう。


嘲笑が混じる姿無き声は、王国の闇の中で溶け消えた。







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