発露
4月の忙しさが殺人的で、控えめに言って"ヤバイ"です。
私死ぬんじゃないですかね……(死んだ目)
ぼやける視界の先に、見慣れた天井がある。
無駄に高くて、張られたキャンパスには絨毯の模様の様な、ぐにゃぐにゃした……まあ、決して見苦しくは無いが、やや不思議な気分になる模様が描かれている。
毎回毎回、学校の寮で起きると見る光景……ん?確か俺は……マデレイネ姫の蛮族退治に付き合って……。
「……どうなったんだ?私は……」
静寂に支配された部屋に響く、その声に応える者は居なかった。
外からは僅かに廊下を行き交う使用人の足音が、一つか二つ聞こえるのみ。
窓から差し込む光は太陽の暖かなそれで無く、月の柔らかな……それでいて冷徹な明かりだ。
恐らくは夜中、夜もまだまだ長いだろう。
しかし、不思議と目が冴えてしまって……少なくとも3日以上は眠っていた筈だ……月の形が、大きく変わっている。
少し寒いが、テラスから外に出る。
完璧な三日月だ、菓子でも食べながら月見と行きたい所ではあるが、生憎菓子は常にニーレイが食い尽くしてしまうから常備していないのだった。
上、軒の先までは4m近くあるが、ひょいと軽く飛び乗る……裸足に屋根の雪は冷たく、寝ていた所為か、暑いくらいに火照った体にはこの上無く気持ちが良かった。
「……まだまだ、魔王には届かんか」
あんな何処ぞの馬の骨とも分からない戦士をぶつけるだけで、俺を殺しかける程の力を持つ存在……正直な話、甘く見ていた。
そして、今回の件……最終的にどの様な決着が付いたのかはまだ分からないが、恐らく俺もアリエテ中央に目を付けられるだけの事はしてしまった……少なくとも、マデレイネ姫は俺に興味津々だろう……良い方向にも、悪い方向にも。
本気で力を付けねばなるまい。武力も、政治力も、全てにおいて。
やはり、魔術が真面に効かない相手が苦手だ……有象無象を相手するには負けは無いが、ある一定以上の能力を持つ者に弱いというのはマズイ。
せめて、自分くらいの実力の持ち主なら、簡単に殺せるくらいにはならないといけないだろう……いや、俺よりも硬く、速く、より高火力な敵も瞬殺出来る事が望ましい。
あの剣を思い出す……此方の最強クラスの魔力障壁を障子紙の如く貫き、俺の……自分でも異常だと思える強度を持つ皮膚や肉を簡単に割いた一撃。
『ラスチェータ・フォルザーン』でも追従するのがやっとな速度と、俺の出力にも対抗する様なパワー……あの影の戦士は、見た事もない様な戦闘能力を持っていた。
油断していては、慢心して現状に甘んじていてはダメだ。
そうと決まれば、計画を色々と練らねばなるまい。
魔の森で修行でもするか、もっと奥……そこならば、何か強い生き物が居るかも知れない。
地龍の甲殻を貫く自信はあるが、噂ではもっとすごいのが、森の最奥には住んでいるという……魔術の練習相手に不足はない。
「……許さんぞ、私の安寧な生活を脅かす不届き者は……」
1414年の冬の夜は、まだ長い。
「で?ほぼ準備無しで模擬戦大会、エリアスからしたら演舞会かな?の前日を迎えた気分はいかが?」
「……は?それ、本気で言っているのか?」
朝、改めて起きた俺を見てにっこりと微笑み、カレンダーを突き付けて来たニーレイが開口一番発した言葉がソレであった。
8度見くらいしたが、俺の目があの闘いで障害を負ったか、俺の頭がどこかおかしくなければ、間違い無く明日は模擬戦大会……俺が開会式で魔術演舞を披露する本番である。
「マズイ!!どうして起こさなかった!!!というか、一週間も寝ていたのか私は!!!」
マズイ、普通にマズイ。
授業の方の欠席は、事情が事情だし、後で何処をやったのかを聞きに行けばいい。
だが魔術演舞は……マデレイネ姫の依頼を片付けてから本格的に練習しようと、そう思って流れしか覚えていないのに!
「いやー……正直、何でこんなに眠ってたか分からないんだよねー?魔力も回復してたし、身体もボクが見つけた時には完全に治癒してたしー……だから、大事をとって、ね?」
俺を回収したのはレズンか……当然な事だが、感謝だな。
「それで?……ここ数日間は大慌てだったぞ?何せ、主が倒れたと聞いてシレイラ殿が血相を変えて飛び込んで来たりな、部屋でケイト殿と殴り合いを始めたり、マデレイネ姫が見舞いに来た所為で学校中が大騒ぎになったりだな……何があった?この国の騎士団が何も出来ずに纏めて輪切り、主にも手傷を与える等……尋常ならざる事だぞ?」
そう言って指したのは……脇腹に大穴の空いた、赤黒く汚れた肌着……やはり見事に貫通しているな。
「おまけに言うと左手の指も3本取れた……話すと長くはならないが……この話は人払いしてからした方がいいかも知れない」
戸の前に立つ使用人と、ベッドメイキングをしている使用人に退室を促し……常識に疎い俺でも、突然魔王の話をしだすのはマズイであろう事は分かる。
「それより……今、私はどういう扱いになっているんだ?クリストフ殺害の容疑が掛かってるとかは……無いよな?」
「掛かってないし、気にすることも無いけど……殺したの?」
それについては安心した。
「まさか!……何も無ければ殺していたかも知れないが、その前に……魔王が殺した。正確には、魔王が呼び出した、真っ黒な影で出来た戦士に、だが」
それは……と話を聞いたニーレイが俯いて考え込む仕草をする。
「……魔王の試練、か。よく知っている……魔王が、己の足元まで辿り着くと踏んだ者を選り分ける時に送り込む最高峰の刺客だ。アレに当てられて生き残れる者は少ない……どんな相手だった?アレは実在の人物が呼び出される仕組みになっている筈だ」
口を開いたのは以外にもスィラであった。
「……剣士、だったな。得物は長剣、かなり強力な魔術でも通じなかった……力も私に迫る程強い、技量は……悪いが、レズンよりもスィラよりも上だったと思う」
『ブレイズ・ストレルカ』も剣で弾かれた、と言うとレズンとスィラは顔を見合わせて呟く。
「ボクたちを超える連中なんて限られてる。ましてやエリアスちゃんを圧倒する様な技量?……人間じゃーないね……まあ、見当は大体付くけどー」
「……獣人最強の剣士、魔力を弾く剣……一人しか居ないな」
スィラはやや機嫌が悪くなった様だ……目頭に皺が寄っている。
「だって、その人……スィラ、まだアレは言ってないの?……貴女の、家族の事……」
ニーレイの一言に彼女の眼光は更に強く、眉間の皺は深くなり……要らん事を言うな、とばかりにニーレイを睨んだ。
「エリアスはさ、スィラの本当の名前……知ってる?聞いててもどんな意味の名なのかは知らないかもしれないけど」
「ああ……心の名というヤツか?」
人間ならざる人々は皆一様に心の名……秘めたる真実の名を持っているという。
如何なる意味を持つかは、俺も触りをニーレイに聞いたのみだから分からないが、兎に角大切な物であるというのは知っている……ニーレイも、レズンも、俺にその名を預けているが……。
「そういえば、スィラのは知らないな?」
彼女と知り合ったのは、ニーレイやレズンと出会う前の事……心の名など存在すら知らなかった時だ。
魔族だけでなく、獣人にもあるのだな。尤も……正直なところ、あまりその重要度と価値を俺が分かっていないからして、無理に聞くというのも良くないと思うが。
「別に無理して言う必要は無いぞ、スィラ。そこまで私に預けずとも、お前の事を私は信頼しているし、一度たりとも疑った事は無い……馬鹿正直に義理堅いだろう?お前は」
馬鹿は余計だ、とそっぽを向いて小声でごにょごにょと……。
「……すぐ照れるんだから……それで?兎に角その剣士には勝った、騎士団の雑魚はそいつに斬られた、っていうのが今回の結末ね?エリアスも……原因は分からないけど倒れた。そこがちょっと心配だけど、結果的には何事も無く、かな?」
まあ、取り敢えずはな……マデレイネ姫にも挨拶に行かねばなるまいし、ケイト女史や母上にも無事を伝えねば……。
「今後の方針としては……力を付ける。暇があれば魔の森を攻略するぞ。高防御力の相手に対する攻撃手段が足りないのと、魔力量的な制約が常に付き纏う事がネックになっている……魔術面の強化が主になるだろうな」
最大魔力量の増加という課題に、今回は取り組もうと思う……かなり難しい話だが、やる。やらねばならない。
「……今でも足りないって……当面の予定はそうね。あ、あとね……もうちょっとしたら、エリアスをヤールーンの……私達の里に招待したいと思ってるんだけど、いい?」
……妖精族の里か。興味はあるから行きたいのは山々だが……。
「……期間によるな、軽い旅行か遠征単位なのか、暫く向こうで生活するレベルなのかを知りたい」
「うーん、一つ用事を済ませたら、その後はエリアスの好きなように、って感じかな。ドワーフの街も行きたいんでしょ?」
まあ、時計は早く欲しいな……体感時間とのズレを修正したいし、やはり俺は文明人であって、時々無性に時間が気になる事がある……予定を組む上でも不便だからな。
「この学期が終わったタイミングが良いな。模擬戦大会と幾つかの食事会が済めば、すぐ新年の休みだ……新年明けはブレームノで過ごして、粗方新年の行事を終えたところで行こうか」
決まりね、とニーレイがぴょこんと飛び上がり、どこかへ飛んで行ってしまった……落ち着きが無い奴だなぁ。
「食事をしたら、魔術演舞の練習にアリーナの使用申請をしに行くか……それと、スィラ。考え事もそこそこにして、仕事に掛かれよ?」
むむむ、と腕を組んで何事かを悩むスィラの脇腹を突っついて、伸びをする。
今日は一日中魔術演舞の練習だな。
魔術演舞での最大のネックは技の構成の順序、技と共にしなければならない振付を覚える事だ。
コレについては特に問題では無い。一番時間を使うであろう所であったから、最初の方にさっさと済ませた。
詰めなければならないのは表現部、具体的に踊ってみて、観客席からどう見えているかどうか、振付は適当であるか、魔術の出力は……などなどの具体的かつ細かい所を調整しなければならないのだが……一週間寝ていた為、何も手をつけていない状況だ。
ケイト女史の所に申請用紙を提出しに行けば、根掘り葉掘り何があったのかを訊かれそうになったので、面倒そうな事に巻き込まれている事を匂わせつつ煙に巻いて逃げた……どう考えても追求が長引きそうだったからな。
アリーナの申請は早い者勝ちである。幸いにも俺は普段から比較的早起きであり、いつもはダラダラと30分以上使う所、今日は朝食を10分以内で済ませて校長室に駆け込んだ。
今回は事情が事情なので、一面借り切って全力で一日練習する……審査員はレズンとニーレイ、ケイト女史も午後からは見に来る。
アリーナは楕円形のすり鉢状の形状をしている。
この国のこの手の建物はほぼ皆その様な形状をしているが、ここのアリーナと例に漏れず、という訳だ。
魔術演舞は基本的にこの中央、同じく楕円形の最下層の真ん中に置かれた、長方形型のステージの上で行う。
術者本人はそのステージの上で魔術を行使すると同時に舞い、魔術の方は観客席の方に飛び出したり、被害を出さなければ何をしても構わない。
演技時間は5分前後、舞、踊りの方は規定があって、数百ある歌や踊りの中から選択して実施する。振付の小改造等は許可される。
魔術の方、エフェクトの方は完全に自由で、先に行った制限を超えなければ、何を使っても良い。極論を言えば、空に打ち上げるなら『スヴェルコ・ノーヴァ』だって、『コメット』だって使っても構わない。
それが果たして美しい表現として評価されるのかどうか、という所は置いといて、だが。
使う術はもう殆ど決まっているし、最終的な消費魔力量も大した事は……いや、一般的な視点から見れば莫大な量を消費しているに違いないが、俺からすれば、というだけである。一日中練習しても、魔力切れになるという事は無いであろうという事は、大きなアドバンテージだ。
まずは振り付けの確認、ステップと上半身の動き……。
「ちょっと動きがちっちゃかったかなー……いや、背じゃなくてね、伸びるところはしっかり伸びないと……」
と、この調子で批評を受けつつ、完成度を高めて行く作業だ……気が遠くなる。
おまけにこの手のモノというのは、まず明確な正解が無く、殆どが感覚的なそれで説明される物だ。
つまりは、説明から何から何まで分かりづらい。説明する方も伝える事に四苦八苦する。
この分野に関する明確なアドバイスというのは極めて難しい。
「そろそろ、魔術も織り交ぜてみるか」
テーマは火炎。
そこに俺の得意な水系統、氷の魔術を少し混ぜてやろうと思っている……全く相反する属性の魔術だが、コントラスト的には非常に際立って見えるから、演出上、理想形といえば理想形だ。
拡がる花弁を模した炎と、その中央に聳える氷の雌蕊。
うねる炎の蛇が連なって輪となり、日輪の如く燃え盛る。
舞台を覆い尽くす氷と、アリーナ全てを満たす水。
全てが魔力で生み出されたプラズマと水であり……全てが本物の熱量と冷気を伴っている。
端的に言うと、冬なのに蒸し暑い。
此処はほぼ屋外みたいな場所なのだが、それにしても練習を重ねれば水が炎もぶつかり合って蒸発し、湿度が跳ね上がる。
アリーナ中を飛び交う青白い炎や、意図的に温度を下げた赤い炎は気温を真夏かと勘違いしかねない程に、この広い会場の温度を叩き上げていた。
その上、このアリーナに水を張って氷山で足場を作って炎を纏い、飛び移りながら踊る演出の練習は……最初からやろうとすれば、大量の水の始末に困った。結局は全て蒸発させる事となったが……水蒸気でアリーナ内が大惨事、途中昼飯を食べに行ったニーレイの話によれば、立ち昇る蒸気がまるで製鉄所のそれに見えたよ、などと……。
実際に湯気が凄かったのは確かだ……本番では変に炎で水面を叩かない様に注意しなければな……本当に何も見えなくなる。
「後は、もう少し火の温度を下げてもいいと思うよ?アリーナ内が灼熱火炎地獄になるよ?」
そうだな……普段程の高火力は必要無いのだったな。
炎はどんなに暑くとも青、それ以上は単純に観客が眩しくて見られない為、評価されにくい……使い方によってはアリかも知れないが。
まあ、兎に角は何とか本番には間に合いそうだ。後は完成度を高めるのみ。
「ところでさー、衣装って……どうするの?」
ビシリ、と生成していた氷山に罅が入る。
「……………った」
「……え?」
……何で今更そんな事を言うんだ……マズイ、非常にマズイ。
「考えて……なかった」
ガラガラと氷の山が崩れる音が響いた。
片付けを瞬時に済ませ、校長室に直行……ずんずんと歩く俺を避けて割れる人混み……おお、コレが噂に聞く人が割れるというヤツか、気分はモーゼだ。
お?あれは何時しか絡んで来た下級貴族の娘共の集団では無いか。悪いな、今お前達に構ってやる暇は無いんだ。
彼奴らは言葉が基本的に通じないから……避ける。
「なっ!?お待ちなさい!!」
跳躍して頭上を一っ飛びだ。
やはり何か用事があった様なのだが、知らん。一昨日来やがれ、だ。
階段は全段飛ばし、廊下は人の合間の隙を確実に見つけて駆け抜ける!
ラスト、扉を開ける時はノックしつつも既にドアノブを回す、と。
「ケイトさん、居ますか?」
「……扉を開けてからする挨拶ではありませんよ、エリアスさん」
いい加減に彼女も俺の行動には慣れた様だ……よくよく考えれば、何故今の俺はこんなに自然に、子供っぽい行動をしているのだろうか?……身体に中身が引っ張られているのだろうか?それとも元々俺はこんなんだっただろうか?
意識せずともあざとく生きる術を身につけつつある自分の才能が怖い。
……ジョークだからな?
「明日の魔術演舞の衣装なのですが……何か、使えそうな物はありませんか?」
「……用意してなかったので……それも仕方ありませんか……」
何せこちらとら一週間気絶していたのだ。本当ならその間に採寸、注文して、多分昨日には受け取れていた筈なのだから。
「ツィーア伯爵と仲が良いのでしたよね?彼女から借りては如何ですか?……体型も然程変わりませんし」
おお、その手があったか……だが……あまりツィーアに借りを作りたく無いのだがなぁ……この場合、背に腹は代えられないか。
「分かりました、その方向性で考えてみます」
さて、ツィーアの部屋に向かおう……と、校長室を出ようとすると、ケイト女史に止められた。
「……あの依頼で……何があったのか話してくれませんか?」
……どうなのだろうか、アレは話しても大丈夫なのか?
「……相応のお覚悟を持って頂けるのなら、お話ししますが、恐らく……ケイトさんの想像よりも事は大きいと思いますが」
どちらにせよ、と。
「レズンとニーレイに相談してみます……今はそれでよろしいですか?」
見れば、彼女は酷く難しそうな顔をして、はぁ、と溜息を吐く。
「……もう少し、大人を頼る事をしても良いのですよエリアスさん。私はこの学校で、如何なる生徒に対しても学を授けると決意した段階で、そんな覚悟はついています」
大方、ヤールーン絡みの事でしょう?と。大体合っているな。
「……ええ、魔王ウルティム・アメイジアが動き始めました。私に接触し……試練なる物を与えて行きました……強力な戦士をけしかけて……」
その結果が、あのザマです、と締めくくり、話を終えた。
負傷箇所は既に完治しており、変な感覚も無いから、既に過去の事となってはいるが、今後の俺の課題は残った。
逆に言えば、ボロが出る程逼迫した戦いでないと、中々改善点が出て来ないという所から考えると、実力を付けるという意味では非常にありがたい事だとは思うが。
「……次はあんな無様な負け方はしません……返り討ちにしてやります」
……それとコレと、姿も現さずに勝ち逃げした奴への報復は別だ。
これほど身体にやる気が満ち溢れているよはいつ以来だ?少なくとも今世では無い。
強くなる事、強い存在となる事……人が持つ、向上心という強大な欲望の産物だ。
俺も一度は枯れたとはいえ、やはり人の子であったのだろう。
「……そうですか……魔王が……」
少し彼女は考え、口を開く。
「……行くのでしょう?ヤールーンに」
流石にその質問には虚を突かれた気分になる。
「……ええ、幾つか用事がありましてね」
流石に魔王にその場で挑む様な愚行はしませんが、と付け足した。
すると彼女は……シャツの襟元に手を突っ込み、再び取り出した手には……鎖で繋げられた指輪?があった。
「これを持って行き……長耳族に会う事があれば私の名と共にこれを見せなさい。きっと、力になってくれる事でしょう」
それから、と。
「一つ、火属性の魔術についてですが……直接教える事が幾つかありますので、それはまた今度……時間を作っておきなさい」
ケイト女史の直接指導、か。
火属性魔術の概要については、母から既に習った事はあったが、あまり深い所まではやっていない……。
その内母に訊こうとは思ったのだが、母、シレイラの説明は擬音や抽象的な例えが多く、理解するのに難い部分が多く……ちょっと、ほんの少しだけ躊躇していたのだ。
「渡りに船です、喜んでお受けしましょう」
話はそれで終わりだ。校長室を辞して廊下へ出ると……おやおや、君達は暇なのか?俺は暇ではないのだがな、下級貴族諸姉共。
ケルスク準男爵家の……テペル嬢だったか?……をリーダーとする女子グループの一つだ。
濃い茶髪と青い眼、髪型は……昔のカリナ・ヴァン・マリョートカの下位互換みたいな容姿をしている。
何度も何度も絡んで来て難癖を付けて、結局は向こうが手を出した所で逃げているのだが……正直なところ、よくもまあこっちに絡んで来るような時間があるな、というのが此方の感想だ。
そいつらが取り巻きを連れて……ひとつ、ふたつ、みっつ……17人、廊下を塞いで……ん?標的は俺ではない?
見れば彼女らは中心の二人の黒制服……庶民の生徒の方に注意を向けている様だ。
一人はもう一人の背に隠れる様に縮こまり、隠れられている方は……見たことがあるな、あの子は……。
「……何をしている?廊下に屯して人の道行を妨げている事に気付かない程に、お前達が愚かだとケイト校長に報告したくは無いのだがな?テペル準男爵令嬢殿?」
俺の声が放たれると同時に、庶子生徒を囲む人垣はざっと左右に分かれる。
その中央でテペル嬢本人が振り返り、「あら、先程ぶりねぇ?」なんて嘯いた……ああ、そういえば途中で飛び越した連中の中に居たな。
「そのお無礼なお声は、エリアス・スチャルトナさんではないですかぁ?わざわざ皆様の機嫌取りにお忙しい中、私などに声を掛けてくださるなんて……どういう風の吹き回しでして?」
「聞こえなかったのか?単に廊下で道を塞ぐなと言ったんだ。やりたかったら、勝手に校庭ででもやっていろ」
頭も悪ければ耳も悪いものな、と内心舌打ちするが、表面上は無表情、無表情である……魔力放出の特訓を伊達にやり切った訳ではないからな。
俺が重ねて邪魔である旨を伝えると、一瞬顔を歪めた後、何かに気が付いた様に……ニィっと彼女は嗤った。
「もしかして……この庶民の娘を助けに来たのでして?ああ!貴女も庶民の子でしたものね!」
……?話の流れ的にそれはおかしくないか?
片方は知らん奴だし、もう片方とて、何時しか階段で上から落っこちて来た娘だから、印象が強かったが為覚えていた訳で……別にそんな態々助ける様な動機など無いのだがな。
「……何を邪推すればそんな考えが出るのかは想像もしたくは無いがな、察しの通り私は忙しいのだ、お前と違って付き合っている者の格が違うからな」
ぐっ、と呻き、瞬く間にテペル嬢が顔を真っ赤にする。
事実だからだ。俺の交友関係というのは……意図など断じてしていないが、妙に大物が多い。
筆頭は現役の伯爵であるツィーア・エル・アルタニク。これだけでも後ろについていれば頼もしい存在は中々に無い。
次点でアイク・ベル・イオリア第二王子。未だ権力は大した事は無いが……彼に気に入られるという事は、将来的に必ずや良い方向に働くに違い無い。
次々点ではカリナ・ヴァン・マリョートカ……今は既にマリョートカの姓は名乗っていないが、それでも尚美しく、強い彼女に付き従う配下の様な存在は多い。
そして、ケイト・ヴァシリー校長……これはまあ、単に学校の責任者であるという事もあるが、何より彼女は有数の強力な火属性魔術師である。恐らくはこの学校の中で過ごしている者の中で、最も戦闘能力の高い存在の一人だろう。
ケイト女史を除いた3人、それが恐らくは貴族寮に於けるトップと言っても過言では無い。
ツィーアは伯爵ではあるが、アルタニク伯爵領という強大な地力を誇る地を取り纏める、王国西部最大勢力の元締めである。王都に数だけはいる爵位だけは上の連中と比べても遜色無いどころか、上回る影響力を持つ。
それと仲が良い、ツィーアが個人的には自領、自宅に招待する間柄であるというのは、ツィーア本人が吹聴している……人聞きが悪い言い方かも知れないが……ため、貴族連中の間では周知の事実だったりする。
「という訳だ、さっさと道を開けたまえ……面倒ごとに……?」
ならん内にな、と続けようとした俺は……気が付いてしまった。
茶髪のボブカットの少女……この間階段から落ちて来た娘が、必死で此方に、「助けて!」と目で訴えている事に。
俺は今、白制服を着てはいるが、先の庶民、俺が貴族で無い事に賭けているのか?だとしたら見立てが甘いぞ?俺はそんなに甘くは無い。
だが……そんな、自分で言うのも何だが、冷めたスタンスを取る俺をして尚……動かしかねない程の強い眼光。
身体は鍛えている様には見えないが、制服の下から伸びる脹脛はしっかりと筋が通り、健康的な雰囲気を放っている。
顔立ちは平凡より少し上程度か。しかし、先に述べた通り、眼だけは……恐ろしく力強いのだ……。
意図せず心が揺れる。いや、俺の勘は此処で助けろ!と言っている……滅多に当たる事は無いが……。
要は……俺は彼女を助けたいと思った事になる。
その事実に俺は激しく動揺した……何故?何故……関係の無い存在、今見て見ぬ振りをすればそれで済む筈の、取るに足らぬ存在に心を揺さぶられているのか。
顔には決して出さぬが、ポケットに突っ込んだ手は確実に汗ばんで行く……俺は……。
4/21 16:51 書きかけの文の残骸が混じっていた点を削除
4/21 21:50 誤字修正




