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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第七十話

 半ば信じられない思いで部屋の扉に視線をやった。


「レオヴィス……」


 呆然とした私の顔を見て、僅かに不機嫌そうだった顔を緩める。

「まったく、お前の周りはいつも忙しいな。おかげで緊張感が保てると前向きに考えればいいのか……」

 そんな緊張感、こちらとしても固くお断り申し上げたい。

 その気持ちが滲み出たのか、レオヴィスは苦笑を深めて部屋に入ってきた。いつもならいるリィヤがいないのが新鮮だ。

 いないんだー珍しい…と思ってから、ふと気付く。


 ……………あれ?レオヴィスって男の子じゃなかっただろうか。


「あ、あの、ここ、女子寮……」

 思わずきょろきょろしてしまう。自室なんだからここに知り合い以外いないのはわかってるのに、確認せずにはいられないくらいドキドキする。

 女子トイレに男の人にしか見えない人がいた時のような衝撃だ。わけわからなくてごめんなさいって出た後入口の性別標識を指さし確認してから、もう一度おそるおそる入ってたぶん二度どころか三度見くらいはするような気分だ。

 私の不安に揺れる姿を見てくすりと笑う。

 その顔を見て、ああどうにかしたんだ大丈夫なんだなと安心した。よくよく考えれば当然だ、どうにかしなければ今頃レオヴィスは感電死しているに違いない。

 彼はそれを裏付けるように力強く頷いて、話し始める。

「大丈夫だ。私はここに入れる許可がある。褒められたことでないのは、確かだが。……それよりランス、お前は実に優秀な護衛だ。国王の護衛さえ務められるだろう実力がある。私は優秀な護衛を、これからもユリフィナに付けておきたい。……意味はわかるな?」

 それはつまり、護衛以外になることは許さない、もしそうなれば護衛を外す。そう言っているのだ。

 そして魔力のないランスはここにいる理由を作れるはずもなく、追い出されることになる。この学院からはもちろん、ユーリトリアからも。

「ちょっと待って、そんな勝手に……」

 私の従者であり護衛になった二人の処遇を、いくらレオヴィスが手続きしてくれたとはいえ勝手に解雇されては困る。

 そう憤慨して留めようとすると、苦い顔をしたレオヴィスに諭された。

「ユリフィナ、未来の婚約者に言いよる男が近くにいることを許すのが、どれほど忍耐を強いるものなのか想像するといい。私は気が長い方だと思ってはいるが、何せ未来の婚約者のことだ。一瞬で気が触れてしまってもおかしくないと思わないか?」

「気が触れるって……レオヴィスが?」

 そんな馬鹿な、と思ってすぐに思い直した。

 レオヴィスは気が長いと自分でも言うように、私から見てもそう思う。でもそれは周囲の人間や生まれ育ちの環境がそうさせたのだ。

 彼は欲望を抑圧することに酷く慣れている。その鉄壁の理性が崩れる瞬間など想像もできないくらいで、だけど本来そんなことできるはずないのだ。たった九歳の子供に。

 シグマは七歳で、劣悪な環境にいたせいか大人びてはいたけど、やはりあどけない子供らしさもあった。貧困層にいたせいもあるだろうけど、自分のしたいことを貪欲に求め、自力で足りなければ周りに訴えることも躊躇わなかった。

 レオヴィスは違う。確かに、彼は自分の目的のために私を利用しようとしている。おそらく今現在は強行しようとしている。でも、決して私の意思を踏みにじろうとはしていないのだ。曲げようとはしているのだろうけど。

 この圧倒的な権力を持つレオヴィスなら、私の意思なんて踏みにじったところで非難を受けることはないだろうに、彼には九歳らしからぬ鉄壁の理性があるために私の意思を聞こうとする。

 まるで大人だ。

 それも酷く落ち着いた中年のような理性と忍耐のある、だ。

 九歳なのに……前世の弟と一歳しか違わない、まだほんの少年にもならないような、そんな子供なのに。

 どれだけのプレッシャーがあればそんな子供が出来上がるのか。これはもはや公然の虐待ではないかと思ってしまう。

 気が触れると聞いて、全く想像できなかった自分が恥ずかしい。前世で二十年も生きていながら、この幼い少年に中身で完全に負けている。

 普通に考えて、だ。

 そう、確かに自分に置き換えて考えてみれば、未来の婚約者にと望む相手の周りに、はっきりと言いよっている異性がいればそれは面白くない。例え政略結婚だとしても、嫉妬とまではいかないけど不愉快にはなるだろう。それも少なからず好意があれば。

 私はレオヴィスに対して失望はしたけれど、それがつまり嫌いになったというわけではない。いや、嫌いではないから失望した、と言ってもいい。

 恋愛感情なのかと聞かれれば首を傾げるけど、決して嫌いではない。そんな人と将来婚約することがほぼ決定していて、なのにその人が異性と一線を越えようとしたら……

「ムリ」

 激しく首を振って想像しようとしたイメージを振り払った。

 ムリだ。貞操観念は恋人同士なら婚前交渉したっていいよね、というレベルの私だけど、相手がいるならどんなに好きでも諦めるべきだと思っている。親同士が決めた婚約者だろうがなんだろうが、相手がいる時点でお互い身を引くべきだ。燃え上がる恋心のまま結ばれたって、それは傍から見たらただの浮気でしかない。婚約者に問題でもあるなら同情の余地はあるけど、それでも浮気は浮気だと思う。

 つまり、今の時点で私がレオヴィスではなくランスに靡いて寄り添おうとしたら、私は私を浮気者だと断罪せねばならない。

 そしてレオヴィスが浮気をしたら、最低だなんだと心ゆくまで罵り続けるに違いない。

 この鉄壁の理性を持ったレオヴィスが甘ちゃんな考えの私と同じ行動をするとは思えないし、気が触れるなんて考えられないけど、とても不愉快に思うことは今の発言で分かった。

 ……少しは好かれてるんだな、という結論に至ってなんだか面映ゆくなったけど。


「勝手なことはわかっているが、護衛を解雇させたくなってもおかしなことじゃないだろう?わかってくれたところで、ここに来た用件に入ろうか」

 神妙に頷いた私に小さく微笑んでから話を切り替えた。

「実はノエルとシーナ…黒猫の検査結果なんだが、ノエルは許可されてこちらに来ているんだが、黒猫の方は検査に引っかかった」

「えっ、何で?ノエルじゃなくて?」

 赤ちゃんだし目の色を偽装する魔法もかかってるから、普通ならそっちが引っかかるはずなのに、何でシーナが?

 レオヴィスはぱちぱちと大きく瞬きする私に苦笑いした。

「私もそう思ったがな、どうやら……普通の猫になりきっておけばよかったものを、魔力を封じ切らなかったようだ。それで魔力を持つ動物は珍しいと詳しい検査をしに研究棟へ連れて行かれた。学院内には来ているが、ユリフィナの手に戻るのは少し遅れる。まあ少し見に行ったが、実に不愉快そうにしていただけで検査内容もそう荒いものじゃない。私の目もあることだし、じきに終わるだろう。私が終わらせてもいいしな」

 私がここまで聞いて思ったことは、なんて間抜けなという呆れではなかった。

 いや、ちょっとは思ったけど、それ以上に大きな不安があった。

「……レオヴィス……女神イリアを信仰する人の中でも過激な人って、どんな人たち?」

 酷い不安感に襲われて顔が悪いのだろう。唐突な質問にも、レオヴィスは怪訝な顔をしながら気遣わしげな色を乗せる。

「イリア狂信派のやつらか?まあ……一言で言えば厄介だ。幹部は揃いも揃って名を馳せてもおかしくない力の魔法使い達で、たまに捕まっても法律すれすれの犯罪で罪になろうが軽微な罰、そのくせ黒い噂が頻繁に立つのに尻尾も掴ませない。実に厄介だが、関わらなければどうということはないし、彼らも表立って動くことはないから、イリアはもちろん魔女イリーナを公然と声高に侮辱するようなことをしなければいい。……彼らがどうかしたか?」

「うん……」

 知らないのだろうか。……知らないのだろう。

 イリア狂信派がこの学院の生徒にいることを。

「あのね、実はそのイリア狂信派の人が、生徒にいるみたいなの」

「イリア狂信派が?……お前のその容姿では彼らに極上の餌をくれるようなものだな。どんなやつなんだ?」

「私は見てないの。アーサー、見てきたんでしょ?どんな人だった?」

 どんな人物かは私も知らない。

 陰気臭い男だとは聞いたけど、実際見てみなければわからないこともある。陰気臭いと聞いていたのに会ったらやけにハイテンションだったから気づかなかった、なんて言い訳にもならない。

 気になってアーサーに視線を移すが、アーサーは難しい顔で重苦しいため息を吐いた。


 あ、すごく嫌な予感。


「それが……」


 あ、ものすごく嫌な予感。


「シギルというらしい生徒ですが、確認しに行ったところ普段いる場所にいなかったので、まだ本人の顔の確認ができていないのです。一緒に言ったリーナという女生徒によれば、癖のある背中の半ばほどの白金の髪に、濃い緑の目、顔立ちはそう悪くないらしいのですがいつも酷い隈があり、やつれ気味の細い顔と体をしているそうです」

「なるほど……言われたイメージと実際会った時のイメージが違う可能性があるな」

「はい。目立ちそうな白金の髪などは染めてしまえばいくらでも変えられますし、緑の目はそれほど珍しくもありませんし、隈や細い体なんかは一週間もすれば十分印象は変えられる。……今日その話をした食堂でかなり人目を集めましたから、周囲の人間が話の内容を聞いていてもおかしくありません」

「そうか。……本当に、ユリフィナは忙しいな」

 深い労わりのこもった視線で慰めの言葉をくれる。

 ありがとう、ありがとう。だけどね。

 そんな言葉ごときで私の逆剥けた心が治るはずもないのが、余計に空しかった。

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