第六十八話
食堂は寮に隣接した建物の中にあった。居住棟はほぼ生徒の自室に割り当てられていて、食堂やお風呂などをこの建物の中に作ることで生徒数を最大限増やすようにしているようだ。その他にも多目的スペースがあり、生徒の団らんの場となっているらしい。それらを簡単に説明された後、食堂に入る。
中は広く、セルフ式なのかカウンターがある以外はすべてテーブルとイスが整然と並んでいて、夕食には少し早い時間でありながらすでに半分近く席は埋まっていた。
「食事は三種類くらいのセットが用意されてるわ。魔力を消費する魔法使いは大食家が多くてボリュームがかなりあるから、まだ魔力消費の少ない授業の新入生は知らずに頼んでげっそりするの。男の子なら大体一か月くらいで食べきれるようになるけど、……ユリフィナは……どうかしら」
「え、と……」
頭の先から足の先まで視線が一往復して、小さく首を振られた。
……無理だと判断されたらしい。
「まだ五歳だものね。普通はこの学院に入る子供は十歳くらいだし、早くても八歳。五歳はかなり珍しいくらい早いし、それだと魔力消費というよりは魔力制御の授業が多いから食べきれなくてもしょうがないわ。もらう時に少なめと言えば大丈夫よ」
「普通は十歳からなの?」
「そうよ。大体の子は近くの魔導院で魔力制御を練習してから、素質がある子は都市の魔法学校に行って、ない子はそのままね。あっても家の事情で魔法学校には行かない子も多いし、よほどの素質がなければ授業料なんかが免除される推薦もされない。こうしてこの学院に来れるのは、本当に一握りの才能の持ち主なの」
その言葉は傲慢ととれるけれど、ミネアの表情は本当にきらきらとして喜びと誇りにあふれていた。
確かに、この広い大陸で名門中の名門とされるのにシヴァイン魔法学院の生徒数は少ない。寮の規模から考えて、おそらく三百人いるかどうか。その狭き門の中に入るには、よほどの才能と生まれ持っての魔力量が必要なのだろう。
彼女はその狭き門をくぐり、更には女子寮を束ねる長として就いているのだ。溢れるほどの誇りを持たずして、こうはなれない。
「ユリフィナの魔力量はすごいわ。これならあのレオヴィス様がお連れになったのもわかる……」
「あの?」
含みのある呼び名に首を傾げかけると、ミネアの顔色がさっと変わった。
「深い意味はないのよ。だってレオヴィス様と言ったらあのと言いたくなるくらい有名な方だもの」
確かにそうだけど……
何か、レオヴィスには噂なりあるのだろうか。あのと呼びたくなってしまうような、そんな逸話が。
だけど今それをミネアから聞くのは無理そうだ。彼女は居心地悪げに視線をそらしたままだし、その口は何も言うまいと引き結ばれている。これを緩めさせる話術は私にはないし、無邪気さを装って再度尋ねる気にもなれなかった。
「……そうだね。ところで、あの、今更なんだけど……私、ミネアさんに失礼な口調ですよね」
「え?あ、ああ、いいのよ。ここでは身分は関係ないし、生徒同士の上下は多少あるけど……私はあまりそういうの好きじゃないの。出身が貴族とかじゃないから、かしこまった口調とかマナーとか、授業だけでもう疲れちゃって。だから相手がそういう人でない限りは、この口調だし相手にもそうお願いしてるから」
「それならよかった」
ミネアは突然話を変えた私に戸惑いながらもほっとした様子だった。しかし話が長く続かない。上手く盛り上げられない自分に心底がっかりした。
彼女もこの微妙に気まずい空気を感じ取っているらしく、視線が周囲に飛びがちだ。
夕食のセットをカウンターでもらった後も、ややぎくしゃくとした雰囲気が続く。
「……ええっと、」
「あ、ミネアー!その子、新しい……」
不自然な形で途切れた理由は、振り向いた私を見る驚きと陶酔を浮かべた目で察した。
……もうホント、ナルちゃん街道を突っ走ってしまいそうだ。会う人間が一度は固まる美貌って、五歳児が持っていいものなのか?しまいには「私の美貌の前に跪きなさい!」とか言ってもいいんだろうか。
しょうもないことを考えながら、小さく息を吐く。
「あの、ユリフィナです。よろしくお願いします」
「あ、うん……、……ちょ、ちょっと待ってね!…ミネア、ミネアちょっと!」
「え、まっ、ちょっ!ユリフィナ、えーっと、そこ、そこの席に座って待ってて!」
ずるずるとすごい力で引きずられていくミネアを呆然と見送り、ぱちぱちと瞬きをした後大人しく言われた席に着く。
アーサーとランスは後で交代で食事を摂るらしく、背後に控えたままだ。
ミネアと話しかけてきた少女は、少し離れたところで話をしている。……が、その声は、潜めようとしているのだろうが丸聞こえであると注意したい。
「ちょっと!何あの美少女!ていうか天使!いや妖精!?あんなの寮監に見つかった日には拉致よ!監禁よ!やだときめく!」
「落ち着いて、お願いだから。拉致監禁は犯罪だし、そこにときめいたらだめ!」
「いや寮監じゃなくたって拉致監禁コースまっしぐらだよ!なんだったら私がしたい!」
「駄目だから!ホントにダメだから!お願いだから犯罪だって気が付いて!」
「おっそろしい!おっそろしいくらい可愛い……!やだどうしよう呼吸と脈が早くなっちゃうわ!は、鼻血出てない!?よだれは!?」
「出てない、出てないから深呼吸しよう?お願い、犯罪者も犯罪者予備軍の友達もちょっと勘弁してほしい」
「はぁはぁはぁはぁ、あの子の部屋……何号室だっけ……」
「やだ!ホントちょっと勘弁してよ!お願い、イケメン好きのあなたにピッタリの男がいることに気づいて!そっちに目を向けて!」
「ユリフィナちゃん……はぁはぁ、お、お友達から始めたらイケるかな……」
「どこに!?何がイケるの!?ねぇイケメン好きじゃなかったの!?」
「時代はイケメンじゃない、美少女…美幼女だ!」
「ど、どうしよう……!通報しなくちゃいけないかもしれない……」
「さぁミネア、私にユリフィナちゃんを紹介して!そして自己紹介させて!あの子のためなら性別も乗り越えて見せる!」
「乗り越えちゃダメだってば!」
……。
………………………に、逃げようかな。
背後から冷たーい冷たーーーーーい、ぞくぞくするような冷気が漂って来てて気を失いそう。
しかし無情にも少女の話は続く。
「うふふ、男は女子寮に入れないけど、私は入れちゃうもんね。あーんなことやこーんなことも……」
「お、おおおおおお願いだから変なことはしないで間違いは間違いなの犯罪はダメ絶対!なのよ!!」
「今まで女同士は物語の中で想像するのが一番だと思ってたけど、現実世界に理想が存在してるならありよね」
「ない!断じてないよ!!理想は必要だけど、マイノリティにあえて手を出す必要はないと思う!ましてやその相手が犯罪中の犯罪になりそうな年齢ならなおさら!!」
「やだなー今手は出さないよ」
「今!?今って限定した!?じゃあいつか手を出すの!?」
「うふふ」
…………………。
…………………………………………………逃げるべき、だな。これは。
冷気は最高潮だ。もはや生きられる気がしない。氷の中だってもう少し優しいよ。
誰か火をくれ。いやそれよりも彼女の口を閉ざす方法を教えてくれ。切実に。
「どうしよう……まさかイケメン好きの意味がそのまま顔の好みだったなんて」
「そりゃ性別は男がいいに決まってるけど、あれだけ可愛いんだもん、大人になったらもう……うふふふふふ」
「ダメなの、ホントにダメなのよ、彼女は!」
「もー、別に犯罪にならない年齢までお友達で我慢するって言ってるのにー。何がダメなの?」
「……あの子には、レオヴィス様が付いていらっしゃるのよ!」
「え……え?レオヴィス様って……」
「あのレオヴィス様よ」
「ええ!?……ってことは……あれってホントなの?」
「そうみたい。だから……」
「……わかった。そういうことなら気を付ける。……でも、まさかあのレオヴィス様がねぇ……」
そこで急に声のトーンが落ちて聞こえにくくなってしまった。
やはりレオヴィスには何かあるらしい。それとも考えすぎなんだろうか。ただ単に、レオヴィスが人嫌いなのに私を連れてきたから驚かれたとか、そういうことなんだろうか。
彼女たちの話が聞こえにくくなったので自分の考え事に没頭する。
そうしているうちに話はすんだのだろう。ミネアが戻ってきた。
「ごめんね、待たせちゃったわね」
「ううん、大丈夫」
「それで、この子なんだけど……」
「リーナよ。部屋番号は312号室で、趣味はイケメン観賞。あなたの護衛もとっても素敵」
にこりと微笑んで視線をアーサー達に向けてからすぐに私に戻す。……趣味がイケメン観賞ならもう少し見てもいいのでは、と思ってしまうがこれは私の偏見だろうか。穿った考えだろうか。
「それにしても、本当に……天使みたいね。ブルー混じりの銀髪にエメラルドの眼……女神イリアの聖教画に出てきそうだわ。というか、女神そのものみたい。これなら寮監も気をつけなくちゃいけないけど、シギルって陰気な男にも気を付けなきゃいけないわ」
「シギル……?」
「熱狂的な、っていうか狂信的な女神信者なの。女神イリアの信奉者は魔法使いには多いけど、あいつはその中でも女神の復活を本気で信じて供物を捧げてるような、危ない奴なのよ。近づくなんてもってのほか、見かけたらすぐに顔を隠した方がいいわ」
あまりにも真剣な表情に危惧を感じた。
ぴりりと空気が緊張を孕む。アーサーとランスが本気の仕事モードに入ったようだ。
「いい?シギルは妖精に至上の愛を捧げただけの寮監なんて目じゃないくらい、危険なの。絶対に近寄っちゃダメ。…えーと護衛さんのどちらかは後で顔を確認しに行きましょう。たぶん多目的スペースの一角で仲間と話してると思うから」
「では私が行きます。……ランス、私がいない間のことはわかってるな?」
「ん、任せろ」
張りつめた空気に不安が募る。
不安…これはもう嫌な予感だ。すでに遅いんじゃないかと、私の頭の中で警鐘が鳴っている。
落ち着かない気分のまま視線が周囲に逸れ、ミネア達がちょっとした騒ぎを起こしたせいか思ったより多くの注目が集まっていたことに気づく。
まさかこの視線の中にシギルって人がいたりしないよね……
ああいそうで怖い!と肩を震わせ、急いで視線をミネア達に戻す。
その視界の端ですっと動いた影があった気がして、すぐに目をやったがおかしな動きをしているような人はいなかった。
不安が募る。
左手首の腕輪をいじりながら、どうか、どうかどうかどーーーーーーか!何事もありませんように、とうすうす無駄と知りつつもお祈りした。
そのお祈り先の神様を思い浮かべようとして失敗する。
不在、もしくは……この世のものとは思えない美貌の顔がよぎったからだ。
失敗だ。ああ失敗だ。神なんてこの世にいないんだ!と地団駄を踏みたい。
私の神様募集中です……




