第五十話
ランスの殺意をいつもの方法でアーサーが黙らせ、レインを捕縛した私達は、夕闇に紛れるように王宮に帰ってきた。
一日も経ってないのに、何日も経った気分。そう思いながら、初めてここに来た時と同様の夕日に照らされた王宮を見上げる。
疲れた……ああ疲れた。
レインは騎士団長のリオールという人が一足早く王城に連れて行った。颯爽と歩く姿はこれぞ騎士!というものだったけど、愛想の欠片もないのはいただけない。笑えば絶対に婦女子の人気を掻っ攫えるだろうに、とものすごく残念な思いだった。
レインは私と別れ王城に連行されるのを非常に嫌がった。この世の終わりかというぐらい悲壮な顔で過剰な愛を叫んでいたが、その抵抗も空しく乗り心地のよくなさそうな堅牢な馬車に押し込められていった。
ちなみに、レインが実践してくれたように、簡単に魔力の糸はレインからレオヴィスに再び結び直されている。
変態の相手をしなければならなかった私は、精神的疲労もピークに達しており第二王子であるアレクスシスの登場にもはや言葉もなく、早く部屋に帰って寝てしまいたかった。
それを引き止めたのは、ランスでもアーサーでもレオヴィスでもなく、第二王子のアレクスシスその人。
「可愛らしいスリファイナの姫君。よかったら少し話がしたいんだ。夕食前にお茶でも飲もうよ」
にこにこと(私にはへらへらしているように見えた)目映い笑顔で言いながら、いつの間にか隣に立ち私の手をエスコートするように引いていく様は、レオヴィスが警告したように神業のようだった。
いったいいつ私の隣に立ったのかもわからない。さすがユーリトリア王族、と半ば感心する私に、レオヴィスが向ける視線の痛さと言ったら……
必死に視線で土下座をするという器用なことをして許してもらう。
そしてレオヴィスが苦々しい様子でアレクスシスを睨み、自分の部屋がある西宮に行こうとする兄王子を、南宮の応接間に案内する手腕は見事だった。さりげに私をエスコートする手を自分の手に置き換えることも忘れない。
すごすぎる技だったけど、レオヴィスにそんな技が身についてると思うとなんだか複雑だ。
九歳だよ?忘れがちになるけど、レオヴィス君、貴方は九歳なんですよ?
いったいなんだってそんな、間男から恋人を取り返してかつ角が立たないなんて技を身に付けられるの?
胡乱な眼をレオヴィスに向けそうになり、慌てて首を振った。
ユーリトリア王族だもん。そんなことくらい朝飯前なんだよ、きっと。
だいぶ疲れた頭で考えたせいか、そんな免罪符で納得しようとする自分に驚く。
……まあいいか。ユーリトリア王族だし。これからどんな能力が披露されても驚かない自信があるわ。
遠い目をする私の前に、アーサーが甘い匂いのする温かいミルクを置いた。
つくづく本当によくできた従者だ。素晴らしいよ、アーサー。これで貴方に拷問が得意なんて裏の顔がなければ文句なしだったのに。
深い溜め息を吐きそうになり、紛らわすようにミルクの入ったカップを手に取った。
「疲れているところを悪かったね。でも一度見て話をしたかったんだ。このレオヴィスが寵愛する姫君をね」
ぶっ、とミルクを噴き出しかけて気合いでこらえる。
唖然としながら視線を上げると、にっこりと甘い微笑みとやらを私にくれた。
甘すぎず、かつ品も十分に備わった王族の一員として相応しい微笑みだ。深紅の瞳は苛烈な印象を与えるが、それを柔らかい笑みに包むことで人好きのする目になる。
自分の顔が相手にどういう印象を与えるか、本当によくわかっていないとこんな表情は作れない。
レオヴィスから話を聞いた限りでは、女好きのどうしようもないちゃらんぽらん王子に聞こえたが、そうではないのかもしれない、と頭の隅で思う。
「……寵愛など……仲良くさせていただいております。国では城から出ることもなく、同年代の友人もおりませんでしたから」
恥ずかしそうにアレクスシスの笑みから視線をそらした。
シーナが教育した乙女の仕草は、私の勘では一癖ありそうな彼にも十分に効いてくれたらしい。
にこりと笑い、その視線がレオヴィスに向けられた。
「レオヴィス、すごく可愛い子だね。こんなことなら領主の仕事を誰かに任せて、僕がスリファイナに行けばよかったな」
「アレク兄上、御冗談を。領地平定のためには兄上の尽力が一番に決まっています」
苦々しい顔は本当に嫌そうだ。
そんなレオヴィスから、またにこりと笑って私に視線を移す。
……なんか、品定めでもされてる気分……。探られてる?なんでだろ。
内心で首を傾げ、うつむきがちに視線を落としつつ彼を観察する。
見れば見るほど綺麗なクリーム色の髪だ。金髪でも銀髪でもなく、ましてや白髪でもないクリーム色。柔らかそうな髪質がなんとなくケーキを思い起こさせる。
もっとも、ケーキのように甘い性格はしていなそうだけど。
母親似と言っていた通り、国王様には似ていない美貌。唯一赤い瞳だけが似ていると言える箇所だろう。白い肌もまた、レオヴィスやエシャンテ様と同父とは思えない。
一人違う姿の王族。……それだけで何か騒動の種が詰まっていそうだった。
「あの、ところでどうしてあの場に?レオヴィス様はともかく、アレクスシス様も王族のお一人であられるでしょう?こう言っては失礼になるかもしれませんが、私とはあまり接点もありませんし……」
アレクスシスにつまる種は考えないことにして、一番疑問に思うことを口にする。
どう考えても彼の参加は周囲から猛反対されたはずだ。レオヴィスは私に対する責任があるため救出に来るのはわかる。が、彼は私とは何の接点もない、憚ることなく言えば赤の他人に等しい。よほど私の世話をする侍女の方が近しいと言えた。
好奇心もここまで来るとただただ怪しい。
顔には極力出さないようにしたが、そう考えていることがわかったようでアレクスシスの顔に苦笑が混じった。
「好奇心、と言っても信じてはくれなさそうだね。でも真実好奇心だよ。風に聞くスリファイナの秘宝、ユリフィナ王女は絶世の美少女だと、この王宮でも一番の噂だ」
探るように深紅の目を見つめるが、にこやかに笑うだけで考えは読めなかった。
「……そう、ですか。恥ずかしいですわ、麗しのエシャンテ様には及ぶべくもないですのに」
ね、とレオヴィスに話を向ける。
私の困りきった視線を受け止め、レオヴィスはやや疲れの見えるため息と共にアレクスシスに注意を促した。
「アレク兄上、お戯れが過ぎます。何度言われればその歯の浮くようなセリフをやめるのですか」
「そうは言ってもね。可憐な花を見つければ愛でてみたくもなるだろう?美しい花や可愛らしい花も、ただそこに咲くだけでは惜しい。やはり存分に愛で、育て、やがて大輪の花として咲き誇るのがいい」
「手折られる花はその後涙を流すようですが?」
「僕は手折らないよ。僕はただ眺めるだけだ。手折れば花は僕の手なしでは生きられなくなってしまうからね。それではあんまりだろう?花は土に根を張り、立つ姿が最も美しいのだから」
にっこりと微笑むちゃらんぽらん王子はご高説を説いた。
こいつ、ろくでなしだ。とはっきりきっぱり確信できるご高説を。
瞬時に私の中でこの男は女の最大の敵であり、男にとっても厄介極まりないサイテー男として位置づけられる。
何が土に根を張り立つ姿が、だ。そんなの手折った後の世話が面倒だと婉曲に言ってるだけだ。釣った魚には餌をやらない方針の男?
死 に 絶 え ろ 。
愛でて育てたなら覚悟を決めて手折るべきだ。それが男の甲斐性だろう。たとえ自由がなくなろうが、大輪の花にまで育ててくれた男に一つの情も湧かない女は存在しない。むしろこの男相手ならば必死で自分を美しく咲かせたことだろう。
それなのにこのろくでなしは……
軽く殺意さえ起こった。
「……アレク兄上……いつか女性に刺されますよ」
今すぐ刺していいと思う。
厳しい視線を向ける私にも気付いて、困ったような笑みを浮かべた。
「……そうは言ってもね。身に染みついてしまっているのだから仕方ないだろう?いつか僕だけを本気で愛してくれる人ができたら、身の振りを考えるよ」
何を言ってんのだ、こいつは。
頭の痛い思いに駆られる。
そんな存在はすぐに見つかるはずだ。少なくとも彼の周りには不必要なまでの女性がたくさんいる。そして彼自身は容姿も家柄も完璧に近い。性格は残念ながらしらーっとさせられるが、それでも本当に好きな人ができればそれも変わるだろう。
このろくでなしが本気で望めばいいのだ。博愛主義みたいな言動をすぐに改め、一人一人と向き合い、話し、好きな人だけに愛を囁けばいい。
なぜ相手の感情があって初めて自分の行動を見直す発想なの?
てめーから変えろや!と叫びたい感情をどうにか押し留め、封じ切れなかった冷たい目は御愛嬌、と寛大な心で許してもらいたい。
「姫君には少し嫌われてしまったかな?」
「いえ、そんなことは……」
ないともあるとも言わず、濁して微笑む。
それを追求しようとさらに口を開いたアレクスシスよりも先に、レオヴィスが肝心のことを聞き出してくれた。
「ところで、どうしてこのことを知っておられたのです?これは陛下もきつく緘口令を敷いたはずなのですが」
聞かれ、曖昧な微笑みを浮かべるアレクスシスに更に厳しく言及する。
「このことを知っているのは彼女についている侍女と騎士の数人、あとは陛下と騎士団長、魔法省の数人だと思うのですが」
黙ったまま微笑むアレクスシスにだんだんと不審の目を向けるレオヴィス。
その冷たい視線になぜか私の方が緊張した。
「……やだなぁ、なんだか疑われてるみたいで」
「みたいではなく、疑っているのです。納得のできる論理的な回答をお願いします」
やれやれ、と溜め息を吐くアレクスシスに、レオヴィスの視線はまだ鋭い。
「そうだなぁ……一つは彼女についている侍女の一人と知り合いなんだ。彼女はとっても真面目で素直なんだよ。慌ただしく本宮に歩いていく彼女の姿にちょっと違和感があったから、呼びとめてみたんだ。でも職務上のことですので、と言われてね。聞き出せなかった」
「では、他に誰が?」
「あとは推測さ。言っただろう?彼女はとっても真面目で素直だと。彼女があんなに血相を変えて廊下を走るように歩くなんて、見たことがない。これは何か重大な事件が起こったんだと思った。次に、彼女が最近ついた隣国の姫君は絶世の美少女だという噂を思い出してね。職務上のことで急ぐ彼女と姫君が結び付いた。その後は簡単だよ。姫君に何かあって侍女の彼女は本宮に急いでいる。本宮に急ぐ理由はいくつか考えられるが、一番は本宮にいる誰かに指示を出すため、もしくは指示を仰ぐために急いでいる。そして南宮にはレオヴィスがいるのに本宮に急ぐのだとしたら、レオヴィスより上の支持が必要な時だ。……そんな相手、国王陛下以外にほとんどいないだろう?」
なるほど、私が浚われたという事件の内容まではわからなくとも、陛下の周りに先回りすればそれに出張る機会は簡単に作れるということか。
これでますますこのろくでなし王子が、ただのちゃらんぽらん王子でないことを確信する。
レオヴィスはその弁論にため息を一つ吐き、こめかみを揉んでからまた深くため息を吐いた。
「……そこまで考えられる頭脳をお持ちなのに、どうして魔法省の件を断ったんです?私としては兄上にアレをまとめていただければ、もう少し話ができると思うのですが」
それに対してアレクスシスは声を上げて笑う。
「冗談はやめてくれ。あんなののトップになって苦労しなければいけないなんて、一人の女性に身を捧げるより難しいよ」
こいつやっちゃっていいんじゃないか?
むしろこいつに涙を流した女性達がこいつをフルボッコにしたって許される。
私に権力があればそれを許可したっていいのに、と歯がゆく感じた。
レオヴィスはこめかみをぐりぐりぐりぐりと揉んで、軽く息を吐く。
「……フィヨル地方は今年も荒れるな」
主に女性の涙で。小さく呟く声がいっそ哀れに思えた。
その時、扉をノックする音が部屋に響く。
「何だ?」
「失礼いたします。我が主がこちらにおいでと聞き、お迎えにあがりました」
「ああ……セーダか」
アレクスシスのつまらなさそうな声にセーダと呼ばれた青年が顔を上げる。
ほとんど黒に近い藍色の髪に、夏の海にも似た真っ青な瞳。端正な顔の左頬に横一文字の傷跡が印象的だ。
アレクスシスが「ではまた時間があればお茶に誘うよ」ととろけるような微笑みを浮かべて私に挨拶をするが、それよりも気になることがあって私の気はそぞろだった。
あの目の色……
どこかで見たような気がする。
それがどこだったか、なぜ目の色だけがこんなにも鮮明に記憶に残っているのか、わからぬまま私はアレクスシスとその従者のセーダの後ろ姿を見送った。
その頃、王城の地下深くの牢にてぶつぶつと呟く声が響いていた。
「なんで僕がこんな目に……僕の優秀な頭脳がなければ、いまだに転移の魔法は完成しなかっただろうに……」
恨みがましい声は自分の罪を認識できていなかった。
それこそがレオヴィスの魔法省を嫌悪する大きな要因の一つなのだが、本人達がそれを知ることはない。彼らは自己の美学に準ずるあまり、社会的なルールなどを顧みないからだ。
なおも怨嗟の声は続き、ふっと息を吐いて悩ましげな口調に変わった。
「……ユリフィナ王女……姫君。アレは……あの姿は……」
ふふ、と笑い声が漏れる。
「あの方は我らのものだ。早くここから出て知らせなければ……」
くすくすと楽しそうな声が漏れる中、その男は忽然とそこへ現れた。
「……誰へ知らせると?」
牢に響くその声は、思わず心が震えるほどに美しかった。低すぎもしないよく通る声は、いつまでも聞いていたいと思わせる。
「ッ!?誰だ!?」
「思いあがるな、人間。アレは誰のものでもない、俺のものだ」
くつくつと喉で笑い、傲然と、不遜な眼差しでレインを見下ろすその男は黒づくめであった。
その中で底光りする妖しい瞳は薄いブルーにも見えるグリーン。薄暗い牢の中で、頭の先から足の先まで美しいとしか表現のできない、空恐ろしいまでの人知を超えた美貌は神か悪魔のよう。
レインはその男を呆けたように見上げ、ふと、その姿に見覚えがあるように思った。
「お前は……?」
考え、どこでこの姿を見たのであろうかと思いを巡らせ、……直後に背筋に冷たい汗が流れた。
「あ、貴方は……!?」
「ほう……やはりどこかに俺の絵姿でも残っていたか。あの時に全てしらみつぶしに焼き払ったはずだったんだが……」
見落としでもあったか。
美しいはずなのにどこまでも底冷えのする微笑を浮かべ、ゆっくりとその足をレインへと向けた。
ごくっ
自分の喉が生唾を飲み込む音がやけに耳に響き、自分がこの突然現れた美貌の男を恐れていることを自覚した。
男は優雅に足音もなく座っているレインに近づき、細めた眼で真上から見下ろす。
「忘れろ。ここで俺と会ったことも、アレのことも。お前たち人間がアレの正体に気づくのはもっと後でいい……」
薄いブルーにも見えるグリーンの瞳は……
今は、底のない闇に見えた。
「あの姿を忘れろ。お前がそれを思い出すのは十年後。アレの成長を待て。今動かれると……アレの死期が早まって困るんだ」
囁かれる言葉が耳から脳へ無遠慮に侵入する。
「ようやくだというのに、人間ごときに俺の計画の邪魔をされるのは……」
一息吐き、
「―――不愉快だ」
その言葉を契機に、レインの記憶からいくつかの映像が消え去った。
そして、そこにいたはずの男の姿も。
「……?」
何か忘れてしまったような焦燥感が胸に込み上げ、…すぐに消えてしまう。
レインは少し前と同じようにぶつぶつと呟く。
自分の罪を認識しない、魔法省特有の怨嗟の声が牢の中に響いていた。
泡のように消えた記憶が彼の手に戻るまで、あと十年―――
文章補正しました。




