第四十六話
「……奴隷……?」
「ええ、そうです。レオヴィス殿下は姫君を奴隷として扱っていたのですよ」
哀れなものでも見るようにレインは薄く笑っている。
レオヴィスが私を奴隷に……?
……。
一瞬呆然として、やがて笑いが込み上げてきた。
「面白いことをおっしゃいますね。あのレオヴィス様に限って、このように杜撰な奴隷など造りはしませんわ。あの方ならば、もっと精神的に奴隷としての身の程を叩き込んでいるはずです」
くすくすと無邪気にさえ笑って否定する。
だってそうだろう。あの頭のいいレオヴィスが、本当に私を奴隷として扱いたくてそんな別名を持つ魔法をかけたのなら、それが知られるかもしれないのに隠すなんてことはしない。私が少なからず動揺することなど目に見えているからだ。
まあ、確かに詳しい説明はなかったのはどうかと思う。魔力をつないでじゃんじゃん使い、私が暴走しても被害が少ないようにレオヴィスが調整する、そんな簡単な説明だった。
だけどそれ以上の説明が果たして私に必要だったか。だって痛みも何もないのだ。レオヴィスはあってしかるべきだというように、再三私に何もないかと聞いていたのに。
王宮の結界を厳重にしたと言ってきた時もだ。どこか体に不調はないか?と聞かれたが、何も感じなかった。
レオヴィスは何一つ、顔色一つ変えない私に、「アリは象の顔を見上げることすらできないが、そんな気分だ」そう言って苦笑いをしていた。
これが本当に奴隷魔法だというのなら、いったいどこがそうなのだろうか。そう思いながらレインを見やった。
「……姫君は、その魔法で魔力を絞り取られているのですよ?御意思に関係なく」
「ええ、そうね。それがどうかしたのですか?あいにく、レオヴィス様に何度も聞かれましたが痛くも苦しくもありません。何が問題だというのでしょう?」
本当にそう思う。
いや、その名前はどうかと思うけど。奴隷魔法って物騒すぎる。
私があまりにも平然としているのをどう思ったのか、レインは絶句して顔をしかめた。
「……姫君は……少し、鈍感でいらっしゃる?」
むっ!
このイケメン気取りめ……馬鹿にしたな?
しかもその単語はどこかの死神様がいつだか私に言った言葉!許すまじ……
もはや私の中に、レインに対して好意という感情が生まれる可能性すら消える。まあ、運が悪かった。よりにもよってあのド鬼畜野郎と同じ単語を言ったのがいけない。相乗効果というやつよ。
それにも気付かず、レインは一人でブツブツと何かを呟いている。
「いや鈍感というよりこれは……。……まあ、いいか。規格外だというだけのこと。僕の計画には何の支障もないし、むしろ僥倖だ」
納得したように頷く。
私は全く納得できてないのに。説明しろ、説明。
ひとしきり呟いていたレインは、私の心の声が聞こえたのか、偶然か、得意げな顔で私に説明し始めた。
「その魔法の正式名称は魔力連結供給魔法と言って、魔力をつなぎ根こそぎ搾り取るのが目的の魔法です。今でこそ禁術ですが、戦時になればまた活躍する魔法でもあります」
「根こそぎ……?」
「ええ。魔法使いの魔力が少なくなってきた時に、他者から魔力を補給する目的でした。また致命傷を負い、助からないと判断された魔法使いの残った魔力を他者に移すということもでき、戦時中は便利な魔法として多くの者が使用しました。……中には別の利用法としても活用されましたが」
別の利用法。
意味ありげな言葉に私が顔をしかめるのを見ると、なぜか嬉しそうになった。
こいつ、もしかしてそっちの性癖でもあるんだろうか。変態はランスだけでいっぱいいっぱいなんですけど。
「いわゆる拷問です。捕虜とした敵兵の魔力を削ぐと同時に、この魔法は酷く痛みを伴うものらしいのです。されたことがないのでわかりませんが、絞りつくす最後は断末魔の声すら可愛く思えるような悲鳴をあげるほどだとか。なので、捕虜以外でこの魔法をかけられた者は、身分の低い奴隷たちだったそうです」
「だから、奴隷魔法と?」
ふふふ、と実に楽しげに笑い、レインは首を振った。
……いったいこんな話のどこが楽しいのだろうか。趣味を疑うわ……ああ、そういえば趣味は最悪に悪かった。あの嫌がらせの数々はこんな趣味でもなければ扱えない。
私がしらーっとした目で見ているのに気付かず、レインはだんだんと話を白熱させていった。
「いえ、違います。この魔法はおよそ四百年ほど前、カース子爵という方が発明されたものなのですが、本来は他者の魔力が他者へ移った時、どのような変化をするかという実験のための魔法でした。というのも、魔力は一人ひとり違う色や個性を持ち、特殊な魔法においては魔力の適性がなければ使えないこともありました。それを解消するための実験が行われていたのです。残念ながら、他者に移った魔力はその個性を失うという結果に終わり……」
「あ、あのー、レイン様?どうやらお話が脱線気味のようですが……」
これは話が長くなる!ととっさに遮った。
詳しい歴史など、今の私には必要ない。私が聞きたいのは、何で奴隷魔法なんて物騒な名前が付いてるか、よ。だいたい、そんな知識を知ったところで披露する機会など私にはない。
私の様子に不満を持ちつつも、渋々話の軌道修正をした。
「……失礼しました。この魔法がどうして奴隷魔法と呼ばれるか、でしたね。それはこの魔法の特性にあります」
「特性?」
「ええ。そもそもほんの百年ほど前まで奴隷は国のものでした。つまり、国のためにある程度の貢献をしている者…多くは貴族、豪商たちに奴隷を扱う権利を与えるという方式を取っていました」
「個人のものではなかった、ということ?」
「そうです。ですので、昨日はある貴族の奴隷として働いていても、今日はどこかの豪商のもとで働く。それが奴隷というものでした」
うーん……なんでそんな形になってたんだろう?
奴隷を使うためにその分税金を納めるとか?でもそこまでして使いたいものかな?
私が首を傾げたのを見て、簡単に説明をしてくれる。
「百年前までは争いが絶えませんでしたから、奴隷は単純に戦力として使われていました。戦力がなければ領地が荒らされる。荒らされたくなければ国に税金を納めて奴隷をより多く従える。国は多くの税金が入るので、奴隷を国のものにしておいたようです」
なるほど。それは画期的だ。
奴隷たちの人権などはさておき、国と貴族達両方に利のある制度。それが廃止されたのは、争いが少なくなり、そう多くの奴隷を手元に置かなくてもよくなったからだろう。
争いはお金を産むっていうけど、人の不幸の上にあるお金なんてそうまでして手に入れたいかな?
私がこう思えるのは、ひとえに前世を含めての出自のお陰だろうけど。
なんだか悶々として腑に落ちないが、それをこの男に問い詰めたところでどうしようもない。小さく息を吐いて頭を切り替えることにした。
レインの話は続く。
「姫君にかけられた魔法は、この奴隷の性質によく似ているのです」
「似てる?」
「奴隷は個人のものではない。……つまり、この魔法をかけられた瞬間から、その魔力はかけた者だけのものではなく、魔法使い全てのものになるのです」
ということは……私の魔力が、レオヴィスだけではなく、見も知らない魔法使いに使われることがある、そういうこと?
しかしどうやって?今はレオヴィスと私の魔力がつながっている状態で、そこに新たにつなげられるようになっているとか?
そんなに簡単につなげられるものなの、魔力って?
「お疑いですか?でしたら……実際に体験するのが一番でしょう」
いやに耳に障る笑みを含んだ声に顔をしかめると、レインはやはり笑っていた。私にこれが奴隷魔法だと告げた時と同じように。
ここにきて、目の前の男が長々とこの魔法について解説した理由を悟る。
ああ……そういうこと。奴隷は個人のものではない。私の魔力は……魔法使い全てが手にすることができる。
町一つを飲み込むほどの暴走を引き起こせる、私の魔力。死神が神の恩寵レベルだと嘲笑っていたこれが、レオヴィスだけではなく、例えば目の前のこの男にも手にできる力だと……そう言いたいのか。
ふ、ふふ。いつものことね……今更こんなことを知ったところでどうしようもない。そう、いつものこと過ぎて、……少し泣けた。
「……これが目的で?」
「もちろん、これだけではありませんよ。姫君の気丈さと聡明さ、その美しさは世界の宝。姫君を僕だけのものにしたい、僕だけにその微笑みを向けてほしい。胸が張り裂けんばかりにお慕いしておりますとも」
ぞぞぞっ、とまたも這い上がる悪寒。
言ってる本人は至極真面目にうっとりと告げているが、拒否反応しか出ない。
おかしいな……ランスも似たような類だと思うのに、この男にはひたすら気持ち悪いとしか思えない。
顔の薄皮一枚下まで出かかる拒否反応を何とかねじ伏せ、だいぶ引きつりつつもにこりと笑って受け流す。
「……ありがとうございます。そのように想って頂けて嬉しいですわ」
「この気持ちを受け止めていただけることは無上の喜びです。願わくば、姫君も同じ思いを抱いていらっしゃいますように」
思うわけない。が。
「……真摯に努めますわ」
こう言うしかない自分がとてつもなく嫌になりそう……
涙が出そうだ。ああ、血涙がね。
こんなことを言わせやがって……このイケメン気取りめ!
だいぶ逆恨みだと自覚しているけれど、誰かを恨まずにはいられない。もちろん、一番恨んでるのは今も素知らぬ顔して私の足元にいるド鬼畜、ドSにド悪魔の死神様ですけどね!!
魂が抜けかかりそうな私に、レインはことのほか嬉しそうな顔で満足している。
この野郎……ホントは私がそんなこと微塵も思ってないって知ってるのか?だからそんなに私の神経を逆なでするのか?
勘ぐりたいが、ぐっとこらえた。えらい私!
「ですが、私の魔力もまた必要としていらっしゃるのでしょう?」
レインは私の問いかけに頷き、彼の目には見えている魔力の糸を触るような仕草をした。
「ええ、やはりその魔力は姫君の美しさと同様に、抗いがたい魅力がある。レオヴィス殿下はこの魔法の弱点ともいえるこのことを当然知っていたので、貴女様を片時も傍から離さなかった。厳重な結界を何重にも張り巡らし、警備はかつてないほど……。姫君はお知りでないでしょうが、レオヴィス殿下は大の人嫌いであらせられて、余計な人間が近くにいるのを酷く嫌うのです。お世話はほとんどあのリィヤという男がし、警護の者などほとんど付きません。……まあ、あのレオヴィス殿下に一太刀入れられる者がいれば、即騎士団長になれるでしょうが」
「……レオヴィス様は剣の達人でもあられるの?」
首を傾げた私に、レインが酷くおかしそうに笑った。
「いいえ、まさか。レオヴィス殿下は万が一の護身用に剣を持っているだけです。身体能力は悪くないのでしょうが、剣の道を極めずともあの方には魔法がありますからね。この国…いえ、この大陸随一の魔法使い。敵う者などそうはいないでしょう。ですから、下手な警護の者などいないほうがいいというお考えなのです」
なるほど……。それなら、警備を厳重にしていた理由は私ただ一人だ。
レインはそれを裏付けるように話を続ける。
「結界も警備も全て、貴女様のその絶大な魔力を他に渡さないため。……高貴な籠の鳥、そう囁かれていたのですよ。今からは、僕だけの籠の鳥ですが」
濡れたような流し目が私に向けられた。
ぞぞぞぞぞっ!と最大級の悪寒が背中を走りぬける。
ひー!何なのその目は!!
どうしよう、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いよー!!
ねっとりと絡みつくような視線が気持ち悪過ぎて、視線をそらして軽く現実逃避をしてみる。
高貴な籠の鳥ね、ああそのくらいの噂ならどんとこいよ。光栄だ。
だけど言葉通り受け取っちゃいけないんだろうな。だってレオヴィスは権力者の一人。王太子は側室要らないって公言してるし、第二王子も婚約者はいないけどかなり親の敵のような男で、しかも王位継承権は第三位。はっきり言って微妙よね。
そうなると第三王子であるレオヴィスは完璧だ。
いつだかリィヤが熱弁したように、彼は顔も権力も財力も知能も、手に入れたいと願って手に入らないものはないんじゃないかというくらいのものが備わっている。しかも婚約者という婚約者はいない。
……訂正。いなかった。
私が首都に入る際、レオヴィスは私を自分の馬車に乗せていた。同じ馬車から似合の年頃の、隣国の王女が出てきた。しかも滅多に人を近づけさせない王子が警備まで敷いている。まさか婚約者を連れてきた?と噂が王宮を走り抜けたことは想像に難くない。
しかもレオヴィスと私は魔力がつながっている。私は魔道を知らないので見えないけど、この国のほとんどの人は魔道を習い魔法が使える。私の魔力とレオヴィスの魔力がつながっているのを見て、いったいなんて思ったか……
いくら物騒な禁術の魔法だからと言って、噂好きな女性の前にそんなものは些末事だ。
そう、例えば「禁断の愛!?」なんて見出しで噂されてもおかしくない。そんなに面白可笑しく脚色して噂して何が楽しいの。ああ、全く関係ない他人だから楽しいんだ。ははは。
はぁ……
……あ、そういえば……
レオヴィスはこの首都に近づくほどにピリピリしていた。同じ馬車に乗ったのは警備の面もあったのだろうか。
離れれば切れてしまうと言っていたのに、レインのこの様子だとまだ切れていない。……たぶん、私の魔力がけた外れに大きいために、切れなかったのだ。
遠く離れても切れないのに、常に傍に置いた理由。
私が誰かに拉致されたりしないように、よく言えば警護、悪く言えば軟禁のような状態にしていたのか。
レオヴィス、大人になってそんなことを女の人にしちゃダメよ。嫌われ…ないか。あの顔だし。完璧だし。むしろ喜んでその檻に飛び込む女性がいてもおかしくない。
すごいな、レオヴィス……特殊な性癖に目覚めたりしないように祈っておくね。
……ふぅ、色々考えてたらちょっとは悪寒が治まったかな。
「……その厳重な結界と警備をかいくぐれたのは、どうして?」
流し眼を完全にスルーして聞くと、レインはやや残念そうな顔になった。
誰があんたの色仕掛けなんぞに引っかかるか。ていうか、私はまだ五歳よ!ランスに続く変態はいらない!!
「……かいくぐったのではありません。これはまだ国の審査が通っていないので詳しい説明はできませんが、ある魔法をかけたものを起点にして指定したものをそのまま移す、という魔法です。おそらく一般には普及しない魔法ですから、他言しないでくださいね」
あ、他言しようにも今から姫君は僕だけの籠の鳥でしたね。
にこりと微笑み、先ほどから触っているのであろう魔力の糸に視線を移した。
そして、それはあっけなく終わったのだ。本当に、あっという間だったと言ってもいいほどに。
魔力の糸を触っている手とは逆の手で、自分の胸元から何かを引っ張り出すような仕草をすると、それを手早く糸に括り付けるようにする。
最後にどこかへ…おそらくレオヴィスに続いていたであろう魔力の糸を断ち切るような手の動きをすると、レインの笑みは深みを増した。
「……これで、姫君は僕だけのものです」
まさかな、と思っているうちに魔力をつなげられてしまった……
ああ……なんとなく、レオヴィスの怒りの導火線に火を付けた気がする。引きつりまくった私の顔を、レインは酷く嬉しそうに見下ろしていた。




