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傾国の姫  作者: 安田鈴
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第四十五話

「妹を助けてください!」


 えーと、今の時点で至急助けを求めたいのは私の方なんですけどね?

 突っ込みたいのは山々。しかし突っ込む隙間さえない真剣過ぎるほど深刻な目に内心後ずさる。

 ……えー……これ、頷かなかったら、酷い人指定されるんでしょうか。

 考えに考え、小心者の枠から逃れられない私は、とりあえず話を聞くことにした。

 ああ……こうやって深みにはまっていくんだ。厄介な話なら断りたいのに、こんな子供の深刻な話なんか聞いちゃったら断りにくいだろ、私。

 これ、何の運命の伏線なんだろう、と内心ため息を吐きながらシグマに視線を向けた。

「……妹がいるの?」

「!はい!そうなんだ…です!妹はまだ生まれたばっかりで、でも……母さんが」

「お母様が……どうしたの?」

 嫌な予感だ。いや、話を聞く前から嫌な予感しかしなかったけれど、恐ろしいほど嫌な予感だ。断る選択肢はここで潰えたと言ってもいい。

 話の展開が目に見えるようだ。見えなきゃおかしいでしょ。

 シグマは悲しげにうつむき、彼とその妹に起こったであろう悲劇を話す。

「母さんは、妹を産んでから体が弱っていって……。つい最近、死んじゃったんだ。しばらくは母さんが少し貯めておいてくれたお金とかでどうにかしてたんだけど、それもいつまでもつかわかんないし、仕事を探してたんだ。そしたらここのご主人がお金をやるから妹をくれって」

「え!?」

「もちろん最初は断ったんだ!お金がないのはすごく困るけど、でも、オレはもう七歳になったし、母さんの兄だっていうおじさんも時々様子を見に来てくれてたし、どうしようもないわけじゃなかったから」

「七歳って……働いてるの?」

 聞けば当然だというように頷いた。

 貧困層というのは幼いころから働く者が多いと聞いていたけれど、実際に見て聞くのは初めてだ。

 もう七歳と彼は言うが、私にとってはまだ七歳だ。働くよりも勉強が当たり前な歳なのではないだろうか。

 前世を含めて、私には想像もできない現実を生きてきた子供が目の前に立っている。

 その衝撃に言葉もない私に気づかず、シグマは話を続けた。

「おじさんの紹介で、妹と一緒でもいいって言ってくれた料理屋の皿洗いを始めた。自慢じゃないけどさ、オレけっこう器用なんだ。だから板前さんとかには気に入られて、芋の皮むきとか色々任されたりして。……でも」

 少し照れながら誇らしげに話していたシグマの顔が曇る。

「どうしてかはわからない。ホントは母さんの兄とか言ってたけど、嘘だったのかもしれない。おじさんが、母さんにホントにどうしようもなくなった時に売れって言われて隠してた遺品とか、全部持ってどっか行っちゃったんだ」

「……ホントにおじさんだったの?」

「うん。見てた人がいたんだ。母さんの遺品の中で一際目立ってた、赤いドレスを持って出て行くおじさんの姿」

「ドレス?」

 不可解な単語だ。彼はどう見たって貧困層の子供だし、その母親がドレスを持つような生活をしていたようには見えない。

 シグマは私の疑問に気づいてその謎を解いてくれた。

「母さんは踊り子だったんだ。けっこう人気があったみたい。そのおかげですぐに飢え死にするようなことにならなくて済んだんだ」

 なるほど。踊り子ならドレスの一着や二着、持っていてもおかしくはない。加えて人気があったならそこそこの蓄えはあったのだろう。

 それを狙われたのは悲劇としか言いようがないが。

「少ないけど少しずつ貯めてたお金も、母さんが遺してくれたお金も遺品も無くなっちゃって、もうオレどうしたらいいかわかんなくて……」

「料理屋の人に相談してお金じゃなくても余り物とか、そういうのはもらえなかったの?」

「言えば何かくれたかもしれない。板前さんも女将さんも、母さんを知ってたらしくてオレ達によくしてくれたから」

「それなら……」

「でも!」

 続けようとした言葉を遮り、シグマが泣きそうな顔で首を振った。

「もし言って悪く思われたら?同情を引いてお金を持って逃げるとか、そんな風に思われるかもしれない。料理屋だっていつも忙しいわけじゃない。暇な時は仕事がない。それなのにそんなこと言って、面倒な奴だって思われたらせっかくの仕事がなくなっちゃう。同じような境遇の子供はいっぱいいる。少し器用なだけのオレよりも、もっと器用で何でもできる奴がいたらそっちに仕事がいく。そうだろ?」

 それはそうだ。シグマでなければならない理由は、今のところその母親の子供だというだけなのだから。

 沈黙した私から視線を落とし、シグマは唇を噛みしめた。

「オレだけなら……オレだけなら、どうとでもなる。どうなっても自分のせいだから。だけど……」

 彼のしたことによって巻き込まれる命がある。それが、この小さな少年の理性を踏みとどまらせた。

 たぶん、彼の悲劇はその境遇ばかりではない。その境遇の中で、知性があったことこそが悲劇だった。何も考えない愚か者であったなら、…あれたなら、もう少し楽に生きられたかもしれないのに。

「……それで、ここへ?」

「……妹はあげられない。だけど、何でもするから仕事をくれって言ったんだ」

 なんて危ない言葉を。少し考えればそれだけは言ってはならない言葉だと誰もが思う言葉。それはきっと、この聡い少年もわかっている。

 彼の命はもはや風前の灯だろう。

 属国だというだけで、王女の私をはっきりと蔑んだ目で見たあの男のことだ。貧困層の子供など同じ人間とすら考えていないかもしれない。

 ……嫌な予感はこれで実現されたわけね。ここまで聞いて簡単に見捨てられるほど、私は人道を捨ててはいない。どっかのド鬼畜野郎ならあっさり、羨ましいくらい簡単に捨てちゃうんだろうけどね!

 はぁ、と溜め息を吐く。

 シグマはそんな私の挙動にびくびくしながら、無意識に祈るような形で自分の手を握りしめていた。

「……ホントに、私こんなことしてる場合じゃないんだけど……助けてほしいのはこっちって気分なんだけど……」

 そんな私の呟きにみるみる曇っていく少年の瞳。

 ああ、辛い!やっぱりダメだ、私には無理!

 うぅ涙が出そうだよ、絶対めんどくさいことになりそうだってわかってるのに、巻き込まれなきゃいけない私のこの運命!

 足元でこちらを見上げる黒猫が憎い!いや、その姿はただただ愛くるしいんだけどもね!

 はぁ、ともう一度重いため息を吐いて、シグマの顔を見た。

「……一つ聞かせて。私が妹さんを助けるのを協力したら、あなたはその後どうするの?」

 聞かれ、シグマは戸惑うように顔をしかめた。

「……妹が帰ってきたら……?」

 おそらく私の救出にはレオヴィスをはじめ、ランスやアーサーが尽力してくれる。特に、あの悪魔のような働きっぷりを発揮するランスは、今頃血眼になって私を探しているだろう。

 ……あれ、助かるはずなのに怖いと思うのはなんでだ。

 まあとにかく。私の身の安全はギリギリまでは大丈夫。なんてったって、ド鬼畜野郎の死神様が私が死ぬという選択肢は極力避けるはずだから。

 私は助かる。たぶん、あの男は処罰…まあ、軽く見たって永遠に牢獄入りだ。自由の身になることはない。

 だからシグマも妹さんも報復されるということはないはずだけど……

 彼らの過酷な生活はこの後も容赦なく続いていく。悪くすれば、この件に関わったとして何らかの罪に問われるかもしれない。

 ただでさえ厳しい生活が、更に厳しくなることは間違いないだろう。

 シグマは考え、やがて唇を噛みしめ泣き出しそうになっていく。

 彼は……もうわかってしまったのだ。この先に少しでも楽な生活がないことに。

「……今は答えるのは難しい?それなら、考えておいて。どうすればいいか」

 選択肢は限りなく少ない。それでも、ないわけではない。最良の道を選び出せればいい、と思い話を終わらせる。

「さあ、私をあなたの主人の所へ連れて行って。そいつが妹さんを人質にしてるんでしょう?まずはそいつに会って話を聞かないことには、何も始まらないわ」

「……うん」

 頷くシグマの顔は浮かない。

 難しい顔で眉を寄せたまま、また廊下を進んでいく。今度はそう歩かないうちにある扉の前で立ち止まった。

「ここだよ…です」

「そう、ありがとう。あなたは?」

「オレは入るなって言われてるから。……ごめんなさい、オレ、あんた…あなたの事助けられないのに」

「いいのよ、私のことは気にしないで。私にはこわーい人達が付いてるから、その人達が助けに来てくれるの」

 にこっと笑ってシグマの憂いを少しでも晴らしてあげる。

 事実だしね。助けに来てくれる人がいるのも、その人たちが怖いっていうのも。

 それを強がりだと思ったのか、シグマは顔を赤らめつつも、やはり心配そうな顔で私を見つめ、視線を一度下に落としてからまた目を合わせた。

「……待ってて。オレどうにか外に出て助けを……」

「ダメよ。ここの主人だって馬鹿じゃないはずよ。あなたには監視の目があるはずだし、門番だっているでしょう。あなたはここから逃げられない。危険なことはしないで」

「でも……」

「ホントに私は大丈夫よ。ほら、あんまり遅いと怒られちゃうでしょ?」

 念押しして、何とかシグマを説得した。

 再度笑って、私は扉を開ける。

 シグマの心配そうな視線が向けられているのを感じながら、部屋の中へと入っていった。


「姫君、ようこそ僕の秘密の場所へ。ここから二人の物語が始まるんですよ」


 ぞぞぞっ、と全身に鳥肌が立った。

 ひー!こんなのと話するのすごいヤダー!!何そのセリフ!?吐いてもいいですか!!

 心の奥底から拒絶反応が起こる。それを気力で顔に出さないようにできたのは、もはや奇跡だ。

 若干頬が引きつりつつも、笑顔を浮かべる。

「……お久しぶりですわ、レイン様。面白い趣向をお持ちだったのですね」

「こうでもしなければ、姫君は籠の中の鳥。お会いすることなくお別れになることは、間違いなかったものですから」

「そうですね、残念ですわ。私ももう二度とお会いすることはないと思っていましたの」

 ああ残念だ。二度と会わないと思っていたのに、こんなことになるなんて。

 皮肉たっぷりに微笑みながら言ってやれば、なぜだか感激したように頬を赤らめる男。

 あれ?私何か間違えた?

「姫君……!まさか貴女様も僕ともう一度会いたいと……?」

 なんでそうなる。

 つめたーーーい声と顔で言ってやりたかったが、ここで敵意やらなんやらを剥き出しにしてしまうと不都合なことが起こるかもしれない。

 従順にいればある程度の自由は手に入る。

 ……ものすごく嫌だけど、否定はせずににこりと笑い流す。

「ところでレイン様、私を案内してくれた男の子が妹さんがいるって言っていたの。私会ってもいいかしら?」

 やや強引だが話を変えると、レインは喜色満面といった様子で頷く。

「ええ、姫君には遠く及びませんが、なかなかの魔力を持っているので魔法実験に協力をしてもらっていたのです」

「そうなの。魔法実験は上手くいったの?」

「いえ、まだ。……もう必要ありませんから、あの子供もそのうち返しましょう」

 もう必要ない?

 まだ実験をしていないのに、もう必要ないとはどういうことなのだろう?

 怪訝な顔でレインを見ると、その顔が更に深く笑みを浮かべる。

 私の疑問に答えるように、理由を告げた。

「ええ。もう必要ありません。姫君がいらっしゃれば、他の者の協力など塵芥に等しい」

「……それは、いったいどういうこと?」

「姫君。貴女様が今あのレオヴィス殿下と結んでいるその魔法……別名があるのです」

 嫌な笑み。何かを企み勝利を確信している顔が、私の不安を煽る。


「その魔法は奴隷魔法と呼ばれ、今は禁術指定されたものなのです」


 笑うレインの顔が、罠にかかった獲物を見るように私を見下ろしていた。

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