第四十四話
「スリファイナの王女が……。レオヴィス殿下、警備の手配など私共に任せていただければ、そのような事態には決して致しませんでしたのに」
やけに得意げな顔でこちらを見る馬鹿どもの…もとい、魔法省のトップであるダニール・メニア・スールを一瞥し、何事かを考えているような顔の国王を見上げた。
王城に着き、通された部屋は謁見の間ではなく執務室だった。実用的なものを好む国王らしく、本棚などの調度品に華美な装飾はない。しかしながら使用されている材質やさりげなくあしらわれた彫刻、絨毯の刺繍などは、見る者が見ればさすが大国ユーリトリアの国王の執務室だと唸ったことだろう。
執務机の上には整然と書類が積み上げられ、彼の決裁を今か今かと待っていた。
部屋に通されたのはレオヴィス、アーサー、ランス、他に魔法省から呼び付けたダニール、騎士や兵を統括する騎士団長のリオール・トール・マグノエが国王の横に控えている。
事態の内容からすればごく少人数と言わざるを得ないが、仕方がない。この事態だからこその人数だ。おそらくは、この件に関わらせる者だけを呼んだのだろう。情報は、関わった者が多ければ多いほど漏れる可能性が高くなるものだ。
自分の父ながら、こんな事態が起こっても表情を変えることのない姿を見ると、頼もしいのと同時に底知れない恐ろしさを感じる。
視線が合うだけで凍りつく。そう言い始めたのは誰だったか。
齢はすでに五十近いというのに、少しも衰えることのない容貌がそれに拍車をかけている。
「……連結の魔法がいまだに解けていないのはさすがの魔力と言おうか。だが、だからこそ事態は一刻を争うな。あの魔法は手元にあってこそ価値あるもの。解けたならまだしも、解けずに手元にないなど、あってはならぬ。救出には誰を向かわせる?」
ダニールの発言には一切構わずに、国王は冷徹な視線をレオヴィスに向けた。
公務中の父は、自分の息子にさえ感情を表さない。昔はそれを子供らしく寂しいと感じたものだが、今はその視線を向けられる自分が誇らしいと思う。
レオヴィスは誰もが恐れを抱く国王の眼差しを見上げ、ひるむことなく答える。
「ユリフィナ王女の従者と私の信頼する魔法使い、騎士をそれぞれ二名、共に付けさせようと思っています」
「妥当だな。……魔法省もそれでいいな?」
視線がレオヴィスからダニールへと動く。
彼はびくりと肩を震わし、レオヴィスに対していた態度を一変させ、平身低頭に頭を下げた。
「はっ、はい!……いえ、ですが、仮にも王宮の結界を瞬時に潜り抜けた輩を相手に、そのような少人数では心もとないのでは……。よろしければ、魔法省から数人連れて参りましたので、付けさせてはいかがかと」
「王女を連れ去ったのはそちらの者だ。今回の救出には多くの人員を割かない。その理由がわからなければ話にならん」
「お待ちください!そのような犯罪を犯す者が、誇り高き魔法省の者であるはずがありません。みなも同じ気持ちでありましょう。ですから……」
そこまで言って、国王の目が冷たく凍えているのに気づく。
「お前は私に二度同じことを言わせる気か?」
「は……」
青ざめ言葉もなくうつむく男を睥睨し、国王はレオヴィスに視線を移した。
おそらく、国王はもう二度とダニールを見ない。彼の言動は不興を買っただろうからだ。
「お前はわかっているだろうが、この件は極秘とする。誰にも、特にスリファイナに勘づかせるな。何としても早急に連れ帰れ。もし私の言葉が必要な場合があれば、事後申請でも問題がないようにすれば構わん。では、今必要なものはあるか?」
「はい。では、魔石の持ち出しを許可願いたく思います」
「よかろう。あれは魔法省の管理するところだが、使用にあたっては騎士団の許可もいるものだったな。リオール」
「はっ、ご随意に」
さっと敬礼する姿は重々しさこそ感じないが、機敏で簡潔している。鍛えられた肉体は団服の上からでも見て取れた。
髪を伸ばすことが通例の貴族社会に身を置きながら、リオールは実務に邪魔だと茶褐色の髪をバッサリと短くしている。きりっと引き締まった顔は女性の好むところだろう。彼の琥珀色の瞳に見つめられたいと切ない視線を向けられているが、今のところ特別な感情を持って応える気はないらしい。過ぎるほどに「騎士」という職務に身を捧げている。
「ではリオール、救出に向かわせる者をレオヴィスと選出し向かえ。私、及び城の警備責任者を副団長に任せよ。ただし、夕刻のシダ国との謁見には戻れ」
「かしこまりました」
「働きに期待している。下がれ」
淡々と告げられる内容は、その淡白な口調とは程遠く緊迫している。
それを正確に理解できているのはダニールを除く数人だけだろう。彼はいまだに自分の発言がなぜ却下されたのか、それすら理解できていない。
魔力の素養が高い者というのは知能が高い。魔法という、本来目に見えぬものを見、描き作り出すにはその仕組みを正確に理解し流れを読み取る能力が必然だからだ。
しかしなぜか魔法省という、魔法を扱う専門職の機関において、その職員達の知能が驚くほど低いのではないかと疑わされる。確かに素晴らしい魔法を新しく作り出し、過去の文献から失われた魔法を蘇らせるという偉業も数多く行われている。
しかし、だ。
魔法において素晴らしい功績を残す彼らは、いっそ無知にも近いほど社会というものをぞんざいに扱う。世の情勢や仕組みをまるで理解していないようにふるまうのだ。
今回のこともそうだ。レオヴィスの警備が手薄だったのではないかと、暗にほのめかした発言をしたが、本当に危機感を持っていたならば国王に申し出をし、即刻警備に当たらなくてはならなかった。あまつさえそれを国王の御前で、しかも息子のレオヴィスを嘲笑うような軽率な発言は絶対にしてはならなかった。あの発言によって自分たちの危機感のなさも露呈し、加えて王族に対する不敬は重罪だ。
とはいえ……
レオヴィスの警備が甘かったことも、その通りだ。確かに失態を演じたのは自分であり、今後の警備には自分だけではない意見も取り入れなくてはならなくなるだろう。
さて……口出ししてくるのは誰だろうな?
レオヴィスは何人かの顔を思い浮かべ、内心で舌打ちをする。
全く本当に、ユリフィナにはもっと危機意識を持って行動してもらわなくては。彼女自身に罪はないが、彼女の言動に感化された愚か者がこれからも増えることを考えると、慎重な言動を心がけてもらうことが重要だ。
無意識に溜め息を吐きかけて、ほんの僅か苦笑いを浮かべた。
ユーリトリアの第三王子として生まれ落ちてまだ九年だが、王族として感情を抑圧することに慣れた身には彼女との出会いから今までの数日間で一生分戸惑った気がする。良くも悪くも自分にこうまで多くの感情を引き出させる彼女は、やはり死神に魅入られるだけあって稀有な存在だった。
叶うならば、何のしがらみもない状態で平凡な人生を送る運命として彼女と出会いたかった。
ふと、そんなことを思い、レオヴィスは内心で苦笑いを深めた。
ちょっといったいどういうことなの。
ユリフィナは呆然と目の前の光景を眺め、背後で上がった笑い声にぎろっ、と振り返るとその声の主に詰め寄る。
「シーナ!いったいどういうこと!?」
振り返った時、彼はすでに死神の姿ではなく猫になっていた。
しなやかな体を覆う黒毛は極上の艶を放ち、ピンと立った耳に澄まし顔に見える顔、ふわりと体に巻きついた尻尾は筆舌にしがたい魅力を振りまいている。
……くそぅ、今すぐ抱き上げて頬ずりしたいと思わせるなんて!
やられたら盛大に顔をしかめるシーの顔が思い浮かび、更にうずうずしてしまった。
そんな考えなどお見通しなのか、すでに彼の目は半眼としている。
「……そろそろお前のことを貞操観念のない女と思っていいか?」
「いいわけないでしょ!?猫なんだから黙って抱きしめられてればいいのよ。うるさい男…猫は嫌われるわよ」
「いっそその方がいい気もするんだけどな。……まあいい。余計な手間が増えるようなことは避けておく」
シーは溜め息を吐きながら尻尾をばさりと揺らした。
それを再びうずうずしながら見つめ、はっと気づく。
「違う!萌え萌えしてる場合じゃないのよ、ここはどこ!?」
美猫に気を取られ過ぎて突っ込むのを忘れたが、振り返った時すでに私に与えられた王宮のあの部屋は消失していた。
まるで前世の某有名ドアのように、景色は一変していたのだ。一つ違いを上げるとすれば、ドアすら消えたことだろうか。
だけどそんな違いは私を絶望させるだけだった。
「……ああぁぁー……なんか嫌な予感したのよ、シーナのやつが怪しいこと言ったあの時、すぐにでもアレを外に出して…いえ、窓から放り投げてれば……」
野蛮な、と噂されようがこの際どうでも……よくはないな。うん。よくない。
おそらく今だって王宮では私の存在は尾ひれに背びれに翼だって生えるかのようにあることないこと付けられて、噂されているはずだ。
これ以上噂の内容に方向性がなくなるようなネタは作りたくない。
窓から高価なランプシェードを放り投げた、なんて、最終的にどういう話になるか。
やっぱり即刻アレは騎士の人でも呼んで外に出してもらえばよかったんだわ。ああ、いやそもそも、あんなものを贈り付けられるようになった教育的指導をしなければ良かった。何であんなことしたのかなぁ、私……。あんな度胸、滅多に発揮しないっていうのに。
……え、待って、待ってよ?まさかあれすら私の不幸な運命の歯車ってやつなの!?
ショックだ。たぶん、私はそんな顔をしていたんだろう。
それを見ていたシーが、ニヤニヤと笑いながら一言呟いた。
「運命の欠片はそこら辺に転がってるもんだぜ」
「転がすな!」
まったく、何だってこのド鬼畜野郎に目を付けられてしまったのか。
怒りと後悔で目眩がするのは気のせいじゃない。
溜め息を吐いて、とりあえずここがどこ…なのかはわからないが、ここがどんな場所なのかは調べよう。ついでに私をこんな場所に連れ去ったやつがいないか探す。
まあ、連れ去った奴なんてどう考えたってあいつだろうけど!
イケメン気取りの男の顔を思い出し、イライラしながら左右を見渡す。
すると。
「……あ、あの……お客様……ですよね?」
不審な目をした少年がこちらを見ていた。
……。ああ、そうよね、不審人物よね、私。いきなり現れて、猫と喋ってるんだもん、そりゃ不審人物だ。
軽く遠い目をして、すぐに気を取り直す。
にっこりと微笑みかければ、少年は顔を真っ赤にした。
よし!これでしばらくは気もそれただろう。
「こんにちは。私はユリフィナ。あなたは?」
「えっ、えーと、…シグマ、です」
「そう。ねえシグマ、私よくわからないうちにここに来たみたいなの。ここはどこ?」
やけに戸惑ったような顔の少年…シグマが気になるが、それよりも我が身だ。ここはどこなのか。それさえはっきりすれば、帰る算段も付きやすい。
シグマは困った顔をして、私に軽い絶望を与えてくれた。
「ごめん、俺、あんた…あなたを主人のとこに連れて行かなきゃいけないんだ。場所とか、そういうのは喋るなって言われてる」
まあ、そうよね。そうでしょうとも。
小さく息を吐いて、仕方がない、と少し前に比べて格段に良くなった諦めの境地に至る。
だだこねたってこの状況は変わらないし、少しでも現状把握をしよう。これも成長と言えるのだろうかと、頭の片隅でそんなことを思った。
「うん。じゃあ案内して」
「こっちだ」
ほっとしたように一つ頷いて、シグマは踵を返した。
その後ろについて行きながら、あの男への罵詈雑言…嫌味をああでもないこうでもない、と思案して、そういえば、とやや急いた印象を受ける歩みのシグマの後ろ姿を見る。
どう取り繕っても貴族階級の子供ではない。下手をすれば教育すらまともに受けたことがないのではないかと思うような、質素な身なり。オブラートに包まずに言えば、貧民層としか思えない子供だ。
浅黒い肌に艶のない黒髪、今は見えないが目の色は濃いブラウンだった。
そう悪くない顔立ちだったと思うが、清潔感がないために台無しになっていると言ってもいい。
うーん……できたらあの男にどうにか言ってお風呂に入らせてあげよう。というか、お風呂に入ってさっぱりしたこの子の姿を見てみたい。
利欲まみれの視線を向けていると、シグマが何度目かの角を曲がって振り返った。
「あ、あの!」
「ぅん!?な、何かな?」
まさか邪な考えを察知された!?
内心冷や汗どころではないパニックで動悸が激しい。
視線を泳がす私の動揺には気づかず、シグマは緊張した面持ちで何度かの躊躇いの後、私の顔をまっすぐに見つめた。
「……妹を助けてください!」
はい?
さっぱり事情がつかめない私の呆然とした顔を、シグマは真剣な顔で見つめていた。




