第四十話
パタン。
侍女を下がらせ、部屋のドアが閉められた瞬間、どっと肩の力を抜いた。
部屋には私とレオヴィス、リィヤ、アーサー、ランスに猫の姿で寛ぐシーナだけになる。このメンツなら多少気を緩ませても咎められることはない。
大きく息を吐き出し、ソファに深く腰掛ける。ふわふわのクッションに埋もれて寝てしまいたい。
しかしそんなことは私のドレスが許さない。なんたって本物の、しかもかなり大粒の真珠が散りばめられたドレス。美しいし可愛いし、ここまで女心をくすぐるものもそうないが、それゆえに恐ろしい。
薄いレースの手袋にも一粒ずつ編み込まれていて、いつまでも眺めていたいドレスだが、緊張感なしには着られないのが難点だ。
まじまじと手袋の真珠を見つめ、部屋の主人であるレオヴィスに顔を向ける。
レオヴィスはリィヤにお茶を用意させているところだった。視線に気づいてこちらを見やると、やや苦笑じみた顔をする。
「疲れたようだな」
「それはそうよ……主国の王様に会うのよ?緊張しない方がおかしいわ」
「確かにな。……だが父は気に入ったようだぞ。機嫌が良かった」
小さく笑い、レオヴィスが楽しげにこちらを見る。
……気に入った?
え、どこをどう見たらそんな発想が生まれてくるの。私、何もしてないよ?してないっていうか……しなきゃいけないこともしなかったレベルじゃないかと思う。しかも掛けられた言葉はほとんど感想みたいな一言だ。
一体どうしたらそんな前向きな考えが?
怪訝な顔をすると、レオヴィスがニヤリと口の端を上げた。
「気に入っていたぞ。あそこで空気も読まず挨拶をしていたら、父はお前を二度と見なかっただろうな。その挨拶の出来次第では、謁見室から出されていたかもしれない。……息子の俺が言うのもなんだが、ものすごく面倒な気質なんだ。人柄がどれだけ優れていようと一目見て印象が気に入らなければ、一生気に入らない。まあ、父には一生会えないが、才能があればそれなりの地位には就けるだろう。なければ……没落するしかないな」
「……」
それって……ほぼ家族道連れの死刑宣告ですよね?
こわいっ!怖すぎるよ、レオヴィス父!もとい、ユーリトリア国王様!
どこを見て気に入るの!?どこがダメで気に入らないの!!
そこだけはっきり教えてほしいよ!!必要なら死ぬ気で性格矯正もするし!!
愕然としている私にレオヴィスは肩を軽くすくめる。
「どこを見て気に入るかは俺にもわからないな。最低限、空気が読めれば気に入る確率は上がるが、その日の機嫌の良し悪しでも変わる。こればかりは運だな」
「…………」
そんな宝くじを当てるような運で自分を含め家族の一生が決まるんですか。
恐ろしい。恐ろし過ぎる。レオヴィスもほいほい近づいちゃいけない類の人だったけど、その父は更に上を行ったわ。血なの?遺伝なの?そんな遺伝子、もう滅んでほしい!
せめて将来生まれるであろうレオヴィスの子供が、その遺伝子を継いでいないことを切に祈る。
……あ、私が生むかもしれないんだっけ……
ダメだ!そんな子供に育てちゃダメだ!この際私が生もうが生むまいが、なんとかその子供に接触して教育しなければ!
そんな恐ろしい遺伝子を世に蔓延させてはいけない!
変な使命感を背負って決意する。
……正直、そんな使命感を持ったところで、私の決意よりはるかに根強そうなユーリトリア王族の遺伝がどうなるとも思えないんだけど。
ため息混じりにそんなことを考えていると。
「まあ、これで七年後紹介できないなんてことにはならなくて済んだ。俺としては嬉しい限りだ」
にこりと笑う。
…………そうだったー!!私、千載一遇のチャンスを見事に空ぶったー!!
ここで気に入られなかったらレオヴィスの婚約者として紹介されずに済んだかもしれないのに、いったい何やってんの私は!!
いくら怖かったからって……いや、あの空気は読まずにはいられなかったけど……でも、でも……
……ああ、どっちにしろろくな選択肢じゃなかったな。
そうね、そういうことよね。結局私の選べる選択肢なんてそんなものなのよ。
どっちを選ぼうが転ぼうが、結局平穏な人生になるわけないのよ。
ふふ、悟りの境地を拓けそう。こうして人生の甘辛さを知っていくわけね。
甘い道なんてちっとも見えてこないんだけどさ!!
ぐれ気味に溜め息を吐く。
そんな私を笑いながら、レオヴィスは話題を変えた。
「それで、今後のことだが」
「あ、うん。……シヴァイン魔法学院、だっけ?レオヴィスの領地の方に行くのよね?」
「正確に言うなら、次期領主だ。まあ、向かうにしても俺は少しここで仕事をしていかなきゃいけない立場でな。そうすると魔力の連結をしているお前も、必然的にここに残らなきゃいけないんだが……」
「?どうしたの?別に少し待つくらい、いいよ」
珍しく歯切れの悪いレオヴィスに首を傾げる。
何か私が残ったらまずいみたいな……
……え、何かあるんですか。
「いや、少々お前には面倒をかけるかもしれない。もう俺が帰ってきていることはあっちには伝わっているだろうから、早ければ今夜の夕食にも……」
コンコンコン
「レオヴィス様、エシャンテ様から御伝言がございます」
「……来たか」
うん?エシャンテ?っていうと……
あ!レオヴィスのお姉さん!
来たか、って、どういうこと?何かあるの?
訳がわからず周りを見回すと、静かに控えていたリィヤが青い顔をしてドアを見つめていた。
固まってる……何、何なの、エシャンテ様がいったいなんだって言うの!
なんとなく漂っている嫌な予感に戸惑う私を置いて、レオヴィスは伝言を伝えに来た侍女に入室の許可を与える。
「夕食か?」
「はい。ご一緒に、と」
「……わかった。だが、こちらにも事情があってユリフィナ王女も同席させてもらいたい、と伝えてくれ」
「御承知しております。ユリフィナ王女様もとのことですので」
「どこまで知ってるんだ、あの人は……。わかった、それなら是非に」
「かしこまりました。失礼いたします」
パタン
……なんだか引き止めたかった気がするのは、私だけですか。
状況把握のためにレオヴィスを見やる。
視線がやや鋭くなってしまったのはしょうがないことだと思う。
「……そうだな、何と言ったらいいか……。こればかりは、もう付き合ってもらうしかない。あの姉に意見が言えるのはこの世で母一人だけなんだ。父も…国王さえ、姉には甘くてな。兄や俺のことを便利なお人形さんと呼ぶ唯一の女性だ」
それってすごく面倒な人なんじゃ……
いやいや、偏見はよくない。実際見てみたら全然違うなんてこともある。
家族に向ける顔と他人に向ける顔が違うなんて、よくあることじゃない。
無理矢理気を取り直して、エシャンテ様なるお姉さまの情報を聞き出した。
「おいくつくらいの方なの?」
「確か……今年で十五だったな。来年が結婚の年だと言っていたから」
「そうなんだ。それなら婚約者の方がいらっしゃるんだよね?」
「ああ。身分は低いが、真面目な文官だ。姉上を娶るにあたって父から出された条件は第一種国家文書作成試験に合格すること。ちなみに合格率は2%だ」
「うん……その、なんていうか……国王様の最後の意地が透けて見えるわ」
「そうだろうな。……リィヤ、気持ちはわかるがそんなに青い顔で首を振るな」
レオヴィスの呆れた声に、横に控えているリィヤが悲痛な声で答える。
「ですが……!ですが、エシャンテ様はもうなんていうか同じ部屋にいるだけで胃が痛くなるというか視線が向けられただけで悲鳴を上げたくなるというか、なんと言いますか……!レオヴィス様は身内ですからそんなに悠長にしてられるんです!」
訴える声と顔は必死だ。
必死だからこそレオヴィスも咎めないんだろうけど、これ誰かが本人に告げ口したらとんでもないことになりそう……
リィヤ、落ち着こう。貴方がそんな暴言で訴えてるのは、本人の実の弟だよ。
「落ち着け。俺だって姉上の前では気を使う。少し気に入らないことがあれば手に負えなくなる性質など、お前と同じように知っている。だからそんな変な顔をしてないで、幼馴染なのだから俺よりも話ができるだろう?」
レオヴィスがそう言うと、リィヤは深いため息をこぼしながらポツリと呟く。
「……話ができるほど、私の下僕生活が長かったことを知っていながら、そうおっしゃるのですか……」
げ、下僕生活!?聞き間違いじゃないよね、下僕!?
悲哀な顔と声が生々しくてかわいそすぎるよ、リィヤ……
何も姉弟揃ってリィヤを下僕扱いしなくたっていいのに……あ、でもレオヴィスは王子だし、次期領主だもんね、周りの人間下僕扱いしても許される立場か。
しかし……レオヴィスのお姉さま、恐るべし。この世界でそんな強権を持つとは。
ユーリトリアはスリファイナより女性の立場が強いのかな?
レオヴィスも裏があるとはいえ、基本的には私に優しくしてくれるし……
お姉さまの教育の賜物かもしれないけど。
まあ情報としてはこんなものでいいわ。よくわかったから。
ユーリトリアの王族にはほいほい近づかない。これだけ知ってれば後はどうでもいいわ。
……はっ!近づかないも何も、今から夕食一緒にって言われてるじゃないの!!
ちょっと待って、ちょっと待ってよ!
この世で一人しか止められる人はいなくて、このレオヴィスさえ便利なお人形さん呼ばわりする気難しい人とお知り合いになってしまうかもしれない!?
そんなのいやよ!断固お断り!!
なのに、なのに……っ、お断りできないこの状況って……!!
……もうダメだ。なんか最悪な方にしか運が向かない。間が悪いのか、そもそも死神に憑かれた私にそんな運なんかないのか、世の中そういう仕組みなのか。
誰だ!全部だって答えた奴は!?
そうよ、その通りよ!!こんちくしょう!!
心の中は滂沱の涙で大洪水だ。
リィヤはずーんと沈んだ顔で溜め息を吐き、レオヴィスもやや困ったような顔でため息を吐く。
アーサーとランスは私達三人を戸惑った顔で見つめ、シーは……
この野郎……寝てやがる!!人が、人がこんなに困ってるって言うのに!!
どこまでド鬼畜になれば気が済むの!?私が廃人になるまでなの!?
……いいわ、やってやる……
やってやるわよ、気に入られてみせる!
ふ、ふふふふふ……
私の能力を最大限使いきって、この難局を乗り越えるわ!
見てなさいよ、シーナ!!
そして待っていてくださいませ、お姉さま!!
いざ出陣じゃぁぁああ!!!!
心の中で崩壊気味に雄々しく雄叫びをあげ、私は滂沱の涙を止める術が見つからずにいた。
ああ……もう、どうにでもして。




