第三十八話
第二王子の件は確かに気になる。
面倒なことには関わりたくないし、女として近寄りたくないと思うけども。
だーけーど。しかしよ、しかし!
そんなことより私が気にしなきゃいけない重大事項があったわ!!
そうよ、女ったらしのちゃらんぽらん王子よりも何よりも、明日の行方の知れぬ我が身よ!!
魔法省に連れて行かれることだけは避けなくちゃいけないじゃない!!
いやだよ、人さらいが普通に横行するようなとこなんて。一応、私の身分が命を助けてくれるけど、命以外なら何でもあり、なんて世界だったらたまらない。
もしかしたらその命もただの事故で処理される可能性だってある。
……いやだ。絶対そんなとこ行きたくない。どんな手を使ってでも回避する。
そう……レオヴィス様、貴方の権力もろもろを借りると言う、他力本願この上ない方法も、遠慮なく使わせて頂きます!!
え?自分の力でどうにかしようと思わないのかって?
簡単な方法が転がってるなら、多少後が怖くてもそっちを使った方が楽チンでしょ。どうせ避けられる運命じゃないし。
世渡り上手な人は使えないものを使えるようにさせるのが上手い。そして世渡り下手な人は使えるものを使おうとせず、自分の手でどうにかしようとして失敗する。まあ、中には成功して億万長者になったりする人はいるが、そんなのはごく少数だ。
私はそのどちらでもない。使えるものはとりあえず使う。使えないものは使わない。これぞ平凡に生きるコツの一つだ!
はっはっは!と心の中で誰かさんの高笑いの真似をする。自分がされるのは心底イヤだが、するのは気持ちがいいものだねぇ……
そんなことを考えている私をよそに、謁見室は近づいていた。
先を行くのはレオヴィス。礼服に着替えた姿は、九歳ながらも威風堂々として凛々しい。何人もの従者と騎士、身分のありそうな歳を召した文官を連れ従えて隙なく歩いていく。
その後ろをしずしずと付いていくのが私だ。
アーサーが少し前を歩き、船から付いてきている侍女数名と女騎士、そしてランスが殿を務めている。私のドレスは主国の王に謁見するにふさわしい華やかさと上品さだ。まだ五歳のためアクセサリー等は付けないが、その分ふわふわと歩くたびに揺れては広がる薄い生地を何枚も重ねて、薄いピンクと白の真珠をふんだんに縫いつけたドレスはとんでもない額のものだろう。
とても素手ではおいそれと触れない。着替えを手伝ってくれた侍女たちは、本物の真珠を縫い付けてあるためにそろって手袋をしていた。
なんて恐ろしいドレス。たぶん、この一回のためだけのものだろうに。
もったいない。あーもったいない。しかし貴族社会の生み出す無駄が、庶民の仕事にもなるのだから一概には言えないんだろうけど。
売ったらいくらになるのかな、なんて下賤なことを考えているうちに謁見室に到着した。
少し前を歩いていたアーサーが振り返り、腰を落として私に話しかける。
「王女殿下、ここからはレオヴィス殿下とご入室ください。私どもはこの扉から入ることは許されておりませんので、別の入り口から末席に控えております」
「わかったわ」
深呼吸を一つ。王と呼ばれる人に会うのはこれで二度目。一度目は実の父親だったが、今回は他国の、しかも主国の王だ。粗相は許されない。
緊張で吐きそうよ。口上は一応頭の中には残ってるが、それもいつまで持つか。
しかしやるしかない。できなくてもやるしかないのだ。なんて理不尽なの。この運命そのものがシーナのような気がするわ。
……。
……………。
考えたらぞっとしたので今の想像はなしでお願いします。
気を取り直して……
やるしかない。やれる。できるよ、私!よし、行こう!
自己暗示をかけ、こちらを見るレオヴィスと視線があった。
やはり大人びて冷めた顔をしている。しかし一瞬、その口元がゆるんだような気がした。
笑ってくれた……のかな?
ぱちぱちと瞬きをして、私も口元を緩める。
さすがににこりとは笑えないけど、少しは緊張がほぐれた。何とかなる気がする。
レオヴィスの傍まで歩き、一緒に扉が開かれるのを待った。
気合いよ、私!体育会系のノリで突っ切るのよ!!よっしゃ、来い!!!!
心の中で雄叫びを上げた私の前で、ゆっくりと謁見室の扉が開かれていった。
……私の最高潮に高まった気合いは、ものの見事に空回りした。
大国ユーリトリアの王様は、非常にせっかち…合理的な人だったのだ。
実の息子のレオヴィスの挨拶すら、
「ああ、行ってきたという挨拶ならいい。報告だけしろ」
とすげにした。
もちろん私の挨拶など視線だけで制されました。何もしないのもどうかと思ったから、とりあえず微笑んでまた頭を下げたけど。
ちらりと玉座を見上げる。
レオヴィスの赤い目はお父さん譲りなのね。金髪は……ここにいないからわからないけどお母さんかな?王様はもっと薄い、銀髪みたいなプラチナブロンドだし。
目が赤くてプラチナブロンドっていうとアルビノをイメージするけど、決定的に違うものがある。
肌がきれいな茶褐色なのだ。黒い、というほどではない、適度に日焼けした色。この色をアルビノは持たない。
一言で言うなら、子が子なら親も親、美形だ。ただし、美しいなんて軟弱な言葉を吐いて切って踏んで捨てるような、ものすごく威厳のある美形。
へらへらと安易に近づいて無事に済むとは思えない。
将来レオヴィスがこうなるのだとしたら……
うん。今のうちに気に入られておこう。できたら虜にしてしまおう。ちょっと馬鹿やっても大目に見てもらえるような存在になろう。
じゃないと視線で殺される気がする。……絶対や(殺)れるよ、あの目なら。
王様に向けていた視線をそっと床に戻す。
もう帰りたい……なんか私、ここに来た意味ない気もするし。
溜め息を吐きそうになって、慌てて気を引き締める。
と、
「ユリフィナ王女」
深みのあるベルベットボイスが私の耳に飛び込んできた。
「っ、……はい」
あ、危ない……悲鳴あげそうになったよ!急に声をかけたりしないでほしい!しかもそんないい声で!
心の中は大混乱で、なんとか返事をしながら顔を上げる。
ひたりと向けられた目がそんな私の混乱を見抜いているように、微かに細められた。
「……どうした?」
「い、いえ、少し緊張してしまいました。……何でございましょうか、陛下」
「ふむ……いや、噂に聞くスリファイナの麗しの姫の名は間違いではないようだな。確かにその歳でそうまで美しいとは、先の楽しみな姫だ。それで、レオヴィス。その姫が町一つを巻き込むほどの魔力を暴走させたと聞いたが、事実か」
淡々と語る言葉は重く、何気ない一言すら意味を考えさせられてしまう。
これがユーリトリアの王。
大陸の北から南までを統治する、大国の覇者。
ただ視線を向けられただけで怖い、と思ったのは初めてだった。
そんな私を置いて、王様とレオヴィスは話を進めていく。
「事実です。ユリフィナ王女は信じがたい魔力の持ち主です。本来であれば魔法省に行くのが当然かと思いますが、私は王女をシヴァイン魔法学院に入院させたいと思っています」
「シヴァインに?……なぜだ」
「理由は三つです。一つは彼女は魔道を知らずに育ちました。暴走させたのもそのせいでしょう。二つ目は魔法省に行けば多大な貢献をするかもしれませんが、彼らはそれに飽き足らず非人道的な研究もする。王女はスリファイナの重要な立場にいます。返せなくなった、など、属国相手とはいえ外交問題になります」
「……ふむ」
「そしてこれが一番の問題なのですが、暴走を抑える際、魔力の連結を行いました。禁術なのはわかっています。ですが、あの場では魔力の封印は難しく、また移動中に私の封印だけで抑えていられるかの確証もありませんでした。また暴走すれば……間違いなく、大きな被害をもたらしたことでしょう」
「お前を含めて、か。……そうだな、お前を失うのは手痛い。だが禁術か……魔法省がうるさいぞ」
「わかっています」
「それならば好きにするがいい。魔力の連結をしたなら解くのに数年はかかるのだろう?姫はまだ幼い。それほどに大きな魔力ならば、制御できるようになっても暴走させる可能性はあるからな」
「ありがたき御配慮に感謝いたします。……それでは、これで」
レオヴィスが退室の礼をしているのを見て、ぼんやりと二人の会話を聞いていた頭をしっかりとさせる。
なんてことだ、ぼーっとしてたら話がまとまってたよ!
ますます私が来た意味って何だ!王様に顔を覚えてもらうことか!
まあ、こんなに簡単に終わるならそんな些細なことどうでもいいけど。
終わった終わった、と緊張で強張っていた体からある程度力を抜く。
レオヴィスが踵を返そうとすると、王様がやや砕けた声音で話しかけた。
「また近いうちに顔を出せ。エシャンテが拗ねていた」
ん?エシャンテ?誰だろう?
名前からして女の人っぽいけど。
レオヴィスを見ると、珍しいことにやや困った顔をしていた。
「……つい一か月ほど前にも会ったばかりだと記憶していますが……」
一か月前に会ったばかりの女の人。
しかも推測するに、ある程度仲が良くて何度も会っている。
……おや?これって……
これって、もしかしてもしかする?
まさかの恋人……!?
高まる期待と好奇心、そして心のどこかがちくりと痛む。
……何で痛むんだ。そりゃちょっとは好きだけどさ。好きは好きでも、美少年好きから派生した好意なのに。
わけがわからない、と自分の心に首を傾げつつ話が終わるのを待っていると。
「それでは足りんそうだ。ほどほどに我が儘を聞いてやれ、こちらに文句が来て敵わん」
「……陛下に敵わない、と言わせるのは、この世のどこを探しても姉上だけなのでしょうね」
「そうだな。一人娘と思うと、どうも強く出られんな」
困ったように笑う王様。
……姉かよ!!
ほんの数秒だが、高鳴らせた期待と好奇心、そして思い悩んだ時間を返してほしい。
そんでもってすごく怖そう……と無意味に固まっていた私の緊張も返せ。
なんだその笑顔は。キュンとしちゃったじゃないか。妻子持ちに不毛な恋をするところだったよ。
まったく……と心の中でブツブツと呟く。
「では失礼いたします」
「ああ」
礼をして踵を返すレオヴィスに続いて、私も身にしみついた優雅な礼をして謁見室を後にした。
なんだか無駄な緊張を強いられた気がした時間だった。




