第十八話
ちょっと待って。
ホントに本気でちょっと待ってほしい。
私を教育した人は、乙女の演技なんぞ教えたくせに、一番重要なこと教えてないってどういうこと?
なに、プロポーズって。おやすみなさいって挨拶しただけなのに、なんでそんな話になるのよ!?
おいコラ待てコラ。責任者出てきやがれってんだ、ぁあ!?
頭の中がパニックを起こして、色々考えてるはずなのに真っ白だ。
口がパクパクと動く。言わなくちゃ、と思っているけど、何を言うのかすっかり頭の外に飛び出していってしまった。
リィヤはにこにこにこにこにこにこ。
侍女たちはもはや祈らんばかりに、固唾をのんで私を凝視している。
レオヴィスは落ち着きを取り戻して……いるようで、私と同じような状況にあるらしい。
何か言おうとするけどすぐに口を閉ざし、やっぱり何かを言おうとして固まっている。
……頑張って、レオヴィス!
私は私の脳を落ち着かせるので精一杯。
何か言えと言われたら、「今日はいい天気ですね」くらいは言えるかもしれないけど、それ以上の高度な会話はできません。
他力本願?
馬鹿言わないで、普通の挨拶してこんな大ごとになりそうになったら、誰だって他力本願にもなるってもんだ。
ああ……何でこんなことになったんだっけ?
おやすみなさいって言うのが、夫婦の契り?ホント馬鹿言うんじゃないわよ、寝る前の挨拶って言ったらこれでしょ、他に何があるのよ。
また明日とか?明日会う予定なかったらどうするの、また今度?
今後会う予定のない行きずりの人だったらどうするの、無言で会釈か!?
この国、もしくはこの世界には他人同士の寝る前の挨拶ってもんがないのか!!
なんでだ。なんで夫婦?そしてその知識がどうしてぽっかりないんだ、私?
もうわざととしか思えない教育知識よ!
……待って?なんか私、こういうことする人、とっても知ってる気がする。まさかと思うのに、否定する事実がない、こんな悪意持った人知ってる!!
まさか、まさかまさかまさか!あの死神!!
はめやがったなぁぁぁあ!?
どうすんだ夫婦って!下手に否定したら「そんな気はない」イコール「魅力がない」になるじゃないの!
夫婦?夫婦なの!?この歳で、たった五歳で、ほぼ面識がないと言っても過言じゃない人と夫婦の誓い!?
ハハハ。なにこのフラグ。へし折ってしまいたいよ。
レオヴィスは確かに好きだ。今この時点での評価を言わせてもらえるなら、好きな方だと思う。
顔はもちろんいいし、性格も…まあ、周りを巻き込んで堂々としてる所はどうかと思うけど、それが王者の風格だと言われれば確かに、と思えるし。基本的に優しいと思う。会ったばっかりの素姓のよくわからない私の魔力を心配してくれるくらいだし。
確かに、好きにならない方がおかしいと思うような素材だけど。
うーん……私、外は五歳でも、中は二十歳だからなぁ……
恋愛経験も少ないから精神年齢は低いと思うけど、それでも、まだ外見が十歳ぐらいの男の子に恋愛できるほど器用じゃない。言動は大人びてるし、あの笑顔は不覚にもドキッとするから、可能性がないわけじゃないんだけどね……
……夫婦。夫婦かぁ。レオヴィスと夫婦。この歳でこれだけ将来が期待できる端正系美少年だもん。きっと、きりっと眼光鋭い眼差しにすっと通った鼻筋、ぐっと結ばれた薄い唇がどこかセクシーに見えるんだろうな。背だって高くなって、さらさらのこの絹糸みたいな金髪が風になびいて光をはじく……ああ、よだれ出そう。よしよし、やっぱりこれくらい成長してくれないと。
それで、馬なんか一緒に乗せてもらっちゃったりして……後ろから私を支える細いけどしっかりした腕にドキドキしちゃったりしてね。うふふふふ。
ここまで現実逃避して、妙に空しくなった私はようやく現実の問題を片づけるべく動いた。
「ご」
と同時に、
「……嬉しいと思う。だが、これはお互い国の内情に深く関わることだ。返事はまた今度、ユーリトリアに帰ってからでもいいだろうか」
真摯な眼差しをしたレオヴィスに遮られ、事態はますますこじれた気配がした。
リィヤはもはやハンカチを取り出し涙をぬぐっているし、侍女はざわめきがぴたりと途絶え、悲鳴じみた息を吸う音が聞こえたきり静まり返っている。
え、帰ってからって、何でしょうか。
え?国の内情に深く関わる?
ええ?返事ってそんな。
嬉しいって……おいレオヴィス様?なんてこと言いやがるんですかぁ!?
涙もちょちょ切れんばかりの最悪の展開だ。
ここで私の間違いを肯定されてしまうと、もはや私には身動きができない。
いえ違うんです、と今更言ったら折角のレオヴィスの好意的な返事を台無しにすることになる。これは一番避けたい事態が待ち構えている可能性があって、私は言うに言えない。
たぶん、間違いだと言ってもレオヴィスは許してくれるはずだ。私の想像してる通りの人ならば。
だけど、もしその想像を図り間違えていて許してくれなかった場合……
ユーリトリアは王位継承権第二位のレオヴィスに恥をかかせた、とスリファイナが外交で必死に勝ち取っている立場を、あっさりと傾かせることになるかもしれないのだ。
国を傾かせた女!傾国の姫!言ってる言葉は実に妖しい感じの美姫をイメージさせるのに、内容がしょぼすぎる……!
ダメだ。それだけは駄目だ。なんとしても避けたい。
ここはもう覚悟を決めて、なんとか言葉にはせずに伝えてみよう!
「今すぐに返事をやることはできない。待ってくれるか?」
「いえ、あの……待つのはもちろん、いくらでもお待ちできるんですが」
「よかった。私の父もこのリィヤも、まだかまだかとせっついてきてはいたんだが、私にはまだ早いと思っていたし、女性と話をするのは苦手だったから機会もなくてな」
「機会もないというのは御謙遜でしょう。とても魅力的な方だと思います。ですから私でなくとも……」
「ありがとう。貴方にそう言ってもらえると、……なんだか照れてしまうな。いい返事ができるといいんだが」
「いえ、ですから……」
……はぁ。だめだこりゃ。とてもじゃないけど、濁しながら伝えるなんて高等技術、私には向いてない。
ぎこちないながらも微笑んだ顔をしているレオヴィス。
うぅ……とても言い出せない。言いだせないけど、間違いは正さないともっとまずい!
いけ、私!勇気や根性を根こそぎ奮い立たせて、今こそその真価を発揮させるのだ!!
「あの!」
「なんだ?」
ちょいちょいと小さく手招きして、内緒の話があることをアピールする。
ああ、結局こんなもんしか私にはできない。侍女たちの前ではっきり言うことなんてできやしないのよ、しょせん私には。
レオヴィスは小首を傾げながら近寄ってきてくれた。
「……あの、ですね。もうホント、正直に申し上げると、ですね」
侍女たちには聞こえないだろうから、幾分かくだけた口調で告白する。
「……私、知らなかったんです」
「知らなかった?何を」
「えーと……あの言葉にそんな意味があること、なんですけど……」
「……」
や、やっぱり黙りこんじゃう!?そうよね、そうですよね、知らないわけがないって思うよね、たぶん常識の話だったんだろうし!
レオヴィスは黙り込んだまましばらく動かなかった。
お、怒ってる……よね?ああ、もうホント、誰だよ私を教育した奴!
たぶん絶対間違いなく、あのド鬼畜野郎の死神様なんだろうけどさ!!
絶対どうにかして私に近づいて教育係なんぞになったはずなんだ、間違いない!
今頃腹抱えてげらげら笑ってんのかと思うと……殺!
この恨み、晴らさでおくべきか……(反語)
「ほ、ほんとにごめんなさい!謝れと言うのなら、いくらでも謝ります!決して、決してレオヴィスが嫌なわけじゃないんだけど、今はまだ夫婦とか、そんなのはまだ……」
必死に言い募る私を小さく首を振ることで制したレオヴィスは、やや苦みの強い笑みを口の端に浮かべた。
「いや……こっちこそ、気づかなくて悪かった。ユリフィナはまだ五歳だったものな、知らなくて当然だ」
ああ、レオヴィスとってもいい人!大好き!……夫婦はまだ考えられないけど!
「リィヤ、俺の勘違いだ。ユリフィナは、友になった俺に親しみを込めただけのつもりだったらしい」
リィヤからあからさまに残念そうなため息が聞こえ、侍女たちからはほっと安堵の息がこぼれた。
……リィヤ、後でそのため息の理由、とことん聞かせてもらうから。助けなかったこと、生涯忘れてやらないからね!
ギロリ、と睨みつけるとリィヤは少し焦ったような顔で視線をそらした。
やはり自覚はあるらしい。私の恨みはねちっこいわよ、覚悟してなさい!
「……残念だが、この話は貴方が成長したらまたすることにして、今は同じ気持ちで言葉を返そう。おやすみ、ユリフィナ」
うわぁ……レオヴィス様、さすがです。
その機転のきかせ方も、その相変わらず破壊力抜群の笑顔も、ちょっと子供を甘やかしてるみたいな蕩けそうな声音も、結婚話をなしにしたことを激しく後悔するくらい、素敵です。
なんだこの美少年王子は。将来が心配だぞ、お姉さん。
「リィヤ、行くぞ」
「あ、はい!そうですね」
リィヤは私の怨念こもった視線から逃げられることに安堵して、多少引きつりながらも笑顔で私に一礼した。
「それでは、また」
「またな、ユリフィナ」
レオヴィスも小さく笑みを口の端に浮かべ、自分たちの寝泊まりしている部屋がある方へ足を向ける。
お城の東側の貴賓室を使用しているのだろう。私も昨日の毒殺騒ぎで貴賓室を使用しているが、レオヴィス達とは逆の西側のものだ。
東側と西側で使わせる貴族の階級の違いがあるそうで、比較的東側は位の高い貴族や他国からの賓客を泊まらせるらしい。本来は私もそちらなのだが、レオヴィス達がいるため、警備上ややこしいことにならないために西側を用意したそうだ。
そのことを説明しに来た人はしきりに、ご不便をおかけして、とか、見苦しいお部屋を、とか言っていたが、はっきり言って前世で日本の平凡な一般家庭で育った私にしてみれば、色調以外どこが違うのかわからないレベルだ。
気にしなくていいと散々言ったのに、信じてもらえなかった。
……五歳児よ?どう考えたって、色とかお気に入りの小物があるかないかくらいの違いしか、気にならないでしょうよ。物を知ってるわけがないのに。
思い出し、心の中で愚痴る。
人間、信じてもらえないと心が荒むらしい。
「……姫様、では参りましょうか」
私がレオヴィス達を見送りながらそんなことを考えていると、侍女たちはそっと促してくれた。
「はい」
頷いて歩き始める。
そういえば彼女たちも助け船を出してくれなかった。わかってただろうに。
まあでも……この場合は、しょうがないかな、と思う。
身分が下の者が上の者に話をするのは基本的にダメだし。あの時は私とレオヴィスの会話だった。彼女たちの身分で話に入れるわけがない。
でも、もしあの時、筆頭侍女のマーサがいれば話は違ったかもしれない。彼女は侍女だけど、私の世話を監督する者でもある。あの時私は言い間違いをした。それを正すために話に入ることは可能だ。
それを考えれば、マーサが解雇され、まだ筆頭侍女が決まっていなかったことが悔やまれる。
やっぱりこれも、私の呪わしい運命の歯車ってやつかしら……
どこかで死神の高笑いが聞こえた気がして、肩を震わせた。
後に私は、この時彼女たちがまだ誤解していないか確認せず、庭園の時に周りに女騎士たちがいたことを忘れ初対面のフリをしたことを盛大に後悔し、ついでに私の心も荒ませた。
だけどそれはもっとずっと後のこと。
その噂が噂と呼べなくなるほど根づいてしまった後のことだ。
大幅加筆修正しました。




