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89. 変移


「過去に描いたものでも、よろしければ……」


 重華はそう言うと二人を部屋に招き入れ、部屋の棚の引き出しを開けた。

 そこは、今まで描いた絵を仕舞うことができるように、春燕と雪梅が用意してくれた場所である。

 晧月が持っていかなかった絵、かつ、失敗して途中で描くのをやめなかった絵の全てが、そこに無造作に仕舞われていた。

 重華はその全てを引っ張り出し、傍にあった机の上に置いた。

 この中に気に入るものがなければ新しく描いてもいい、とは思っているが、なんでもいいのなら新しいのを描くよりこの方が早くていいのではないかと思ったのだ。


「もう、こんなにたくさん絵を描いたのだな」


 先に絵を手に取ったのは、晧月だった。

 自身のためにその場に置かれたと思っている舜永は、そのことに多少むっとしながらも、そこにある絵を順に手に取り眺めていった。


「へぇ、花火の絵もあるんだ」

「はい、離宮に行った時、陛下と一緒に見たんです」

「ああ、懐かしいな。だが、これも絵に描いていたとは、知らなかった」


 晧月とて、重華の描いた絵全てに目を通しているわけではない。

 はじめて見る花火の絵に、こんなものまで描いていたとは、と驚きながらも自然と思い出話に花が咲き、二人して幸せそうに笑いあう。


(うん、これはなし)


 なんだか、見ていると苛立ちが募るような気がして、舜永はすぐに別の絵を手に取った。

 おそらく離宮で描かれたものだろう、そう思う絵を何枚も見た後、何枚も出てきたのは桃の花が描かれた絵だった。


(そういえば、天藍殿にも飾ってあったな)


 他のものを題材にしたものより、桃の花が描かれたものは圧倒的に多かった。

 きっと重華は桃の花が好きなのだろう、これを見れば舜永でなくともそう推察するだろう。

 その中で特に舜永の目を惹いた絵があった。

 ほとんどの桃の花を描いた絵が桃の木を含む風景画であるのに対し、それは桃の花をつけた一枝だけが描いたもので、一際大きく桃の花が描かれていた。

 単調な絵ではあったけれど、風景よりもずっと舜永は好ましく思ったのだ。


「これっ、これがいいっ!」


 春燕が以前絵が欲しいと言った時は、風景を描いたものが欲しい、と言っていた。

 そのため、重華は多少驚きはしたけれど、それでよければ持っていってもよいと返事をすると、舜永は非常に喜んだ。


(こんなに喜んでくださるなら、もっと早く、差し上げればよかったかも)


 渡すことを何度となく渋ってしまったことを、重華はほんの少し申し訳なく思った。




「俺も、これが欲しいのだが、貰ってもいいか?」


 結局、舜永は、すでに重華が知っていて耀親王と呼んだためなのか、報告らしい言葉は何一つ言うことなく、絵を飾るのが楽しみだと浮かれた様子で帰ってしまった。

 そうして二人きりになったところで、晧月は先ほどの花火の絵を手に取り、重華に問いかけた。


「えっ?」

「なんだ、舜永は良くて、俺は駄目なのか?」

「い、いえ、決してそういうわけでは……」

「なら、いいか?」


 再度問われて、重華はこくりと頷いた。

 正確には機嫌を損ねてしまいそうな気がして、頷くしかなかった。


(なんだろう、最近の陛下は妙に舜永様と比べていらっしゃるような……)


 重華の気のせいかもしれないが、何かと舜永を気にしているような気がしてならなかった。






 それから、十数日ほど経過した、ある日のことだった。


「その後、婉貴太妃とはどうだ?」

「最初は文句ばっかり言われてたけど、今は落ち着いてるよ。領地で穏やかに過ごす日々も悪くないって、思い始めてくれたみたいで」

「それはよかったな」


 挨拶代わりとでも言うように、軽い近況を聞くと、晧月は紙の束を舜永に差し出した。


「ほら、おまえが気にしてたものだ」


 そうして渡された紙の束を受け取ると、舜永はすぐさま内容に目を通し、それから少しばかり顔を顰めた。


「安心しろ。文祺については、今すぐにとはいかないが、そのうち何らかの理由をつけて、おまえと同様に群王か親王にでも封じてやるから」


 晧月がそう言って舜永の肩を叩くと、舜永は安心したようにほっと息を吐き出した。

 自身と同様に、それは爵位の話ではなく、今の舜永のように母親とともに穏やかに過ごせるように、ということだと察することができたから。

 そして、こんなやり取りが天藍殿で行われる一方で、琥珀宮にて重華もまた紙の束を受け取っていた。




「え?三人も、ですか……?」


 重華も知っておくべきだ、と渡された紙に書かれた内容は、重華にはまだ読み取ることが難しい言葉ばかりだった。

 そのため、そこに書かれた内容は春燕と雪梅が確認し、重華へと説明してくれた。


「はい、珠妃様が方容華様から受け取られた帳簿を調査した結果、お父様が失脚されたということで、鄭婕妤様、(よう)美人様、(しょう)美人様の三名が、出家という形で後宮を離れることになりました」


 名前を言われたところで、誰が誰だかさっぱりわからない、と重華は思った。

 未だ、重華が認識している晧月の妃嬪といえば、降格となった英妃と、亡くなってしまった方容華だけなのである。


「そういえば、英妃様は、お元気でしょうか?」

「あ……英妃様は、才人に降格された後、体調を崩してしまいまして……」

「療養に専念するため、後宮を出ることとなり、今は後宮にはおられません」


 春燕は、かつて晧月に言われたことを思い出し、病死したと伝えようとした。

 だが、たとえ自死ではなく病死と伝えたところで、重華は酷く衝撃を受けるだろうと思うとその先を告げることができなくなった。

 それに気づいた雪梅が、後ほど晧月に報告さえしておけば咎められることはないだろうと判断し、晧月の指示とは違う嘘によってもう後宮に居ないことを告げた。

 もちろん、それが嘘だということに、重華は気づいてはいない。


「そう、だったんですね。5人も居なくなってしまったのなら、後宮も寂しくなってしまったかもしれませんね」

「ええ。ですから、近いうちに、輿入れの話があがるかもしれませんね」

「え……?」


 重華は瞬時に嫌だと思った。

 同時にそんな自分自身の感情に、聞かされた内容よりもずっと驚かされた。


「陛下にはまだお世継ぎがおられませんし、こういった場合に新たに妃嬪を迎えるよう大臣たちが上奏するのは、よくあることですから」

「そう、なんですか……」


 どうしても気分が沈み、落ち込んでしまうのを、重華は止められなかった。


(陛下は、皇帝だもの。お世継ぎを作ることも、そのために妃嬪を迎えることも、必要なことなのに)


 頭ではちゃんとわかっているはずなのに、何度そう自身に言い聞かせても、気分は晴れなかった。


「大丈夫ですよ、珠妃様。上奏があったからといって、陛下が必ず新たに妃嬪を迎え入れるわけではないですから」


 落ち込んでいる時は、物事を悪い方へとばかり考えてしまうのかもしれない。

 それは、つまり、必ず迎え入れないわけでもない。

 重華を元気づけるためにかけられた言葉も、今の重華には、そんな風にしか捉えられなかった。


(後宮に新しい人が増えたら、もう今までのように私に会いには来てくれなくなるかも)


 舜永が皇位継承権を放棄したことで、今後、晧月と舜永が帝位を争うことはなくなった。

 それはつまり、晧月の寵妃は、必ずしも丞相の娘でなくとも、誰でもよくなってしまったのではないか。

 それならば、晧月の目を惹くような美しい女性が新たに輿入れしたら、もしくは晧月と気の合うような女性が新に輿入れしたら、晧月の興味はそちらに移ってしまうのではないか。

 そんな考えばかりが浮かんでしまって、重華は押し寄せる不安を拭い去ることができなかった。

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