102. 気掛かり
「あの、鈴麗って、今、どうなったのか、知ってますか?」
遅れて誕生日を祝ってもらった翌朝、重華は春燕と雪梅に訊ねてみた。
二人とも予想だにしなかった質問だったのか、驚き顔を見合わせている。
正直なところ、重華だって、少し前までこんなことを自分が訊ねるとは夢にも思わなかった。
こんな風に鈴麗の今を気にすることができるのも、晧月のおかげだと重華は思っている。
自分は本当に幸せなのだと感じられることができたおかげで、多少なりとも心に余裕ができたからこそだ。
そうでなければ、自分のことで精一杯で、鈴麗のことなど思い浮かびもしなかったはずである。
「丞相の家からは、追い出されたとお聞きしておりますが、私どもはそれ以上は何も……」
伝えてよいものか、しばし迷った上で、雪梅がそう答えた。
「今、どこにいるとかは……」
そう問いかけると、春燕も雪梅も、ともに首を振った。
二人とも、わからないのだと、重華は肩を落とした。
「陛下なら、ご存知かもしれませんよ」
「そうですね。もし、ご存知なくとも、陛下ならお調べになることも、できるかもしれません」
「陛下……」
言われてみれば確かにそうだ、と重華は思った。
皇帝である晧月ならば、春燕や雪梅が知らないことも知っている可能性が高いし、人を使って調べることだって可能なはずだ。
「聞いて、ご迷惑には、ならないでしょうか……?」
ただ、心配なのはそれだけだった。
晧月に迷惑をかけてまで、知らなければならないわけではない。
とても、気になっていることでは、あるけれども。
「ご存知かどうかお聞きになるだけなら、大丈夫だと思いますよ」
にこやかにそう言われ、それならば次に会った時、思い切って聞いてみよう、と重華は意気込んだ。
そう、次に会った時、でいいはずだった。
きっと、今日だって、晧月は政務が落ち着いたら会いに来てくれるだろうと重華は思っている。
その訪れを待って、その時に聞くのでよかったはずなのである。
だが、晧月が来たら聞いてみよう、そう考えながら晧月が来るのを待つことで、重華はいつもよりそわそわとしていた。
その様子を見た春燕と雪梅に言われるがままに、気づいたら重華は天藍殿を訪れていた。
(来て、しまった……)
重華は目の前の天藍殿と書かれた文字を、呆然と見つめた。
特に用もないのに、ただそれだけを聞くために突然訪れるのは気が引ける、そう言えば行かなくてもよくなるかもしれない。
そう思った重華の目論見は見事に外れ、それならば理由を作ればよいのだと、急遽春燕と雪梅の手を借りて差し入れ用の点心を作ることになった。
そうしてできあがった点心は、いつかと同様に雪梅が大事に抱えてくれている。
いつかと少し違うのは、宦官が晧月に取り次いでくれるのを待ちながら、忙しさを理由にいっそ断ってくれた方がいいのかもしれない、と重華が考えていることだった。
「へ、陛下っ!?」
宦官が戻ってくる、重華も雪梅でさえもそう思っていたのに、少し慌しい足音ともに顔を覗かせたのは晧月だった。
これには、重華はもちろんのこと、雪梅までもが驚きの表情を浮かべることとなった。
「寒かっただろう、早く中へ入れ」
「え?あ……っ」
強い力でそのまま中へ引き込まれそうになり、重華は困ったように雪梅を振り返った。
口実にと持ってきた点心は、未だ雪梅の腕の中にあるのだ。
雪梅もまた、慌てて抱えていたそれを重華に手渡そうとした時、重華の視線からそれに気づいた晧月が先にさっと雪梅からそれを奪い取った。
「これでいいか?ほら、早く、中へ」
「あっ、ちょ、ちょっと、待ってくださいっ!」
荷物が晧月の手へと渡るのを視線で追いかけていた重華は、再び慌てて雪梅を振り返った。
「寒いので、先に戻っていてください」
そう言わないと、寒い中雪梅がずっと外で待っていることになりそうで、重華はそう声をかけた。
だが、雪梅は首を横に振る。
「いえ、私なら大丈夫です。お帰りの際、何かあっては困りますので、こちらでお待ちしています」
何かあった前科があるため、何もないので大丈夫だ、とは重華も言えなかった。
けれど、雪の積もるような寒い場所に、雪梅一人残しておくのは憚られる。
重華が困ったような表情でおろおろとしていると、晧月が小さくため息をついた。
「雪梅、先に戻っていろ」
「ですが……」
こういった際に、重華を一人にしないよう、春燕と雪梅に指示しているのは他でもない晧月だ。
そうはいかないはずだと、雪梅は晧月を見上げた。
「大丈夫だ。帰りは俺が送って行こう」
「でしたら、後は陛下にお任せいたします」
重華が一人戻ってくるようなことはない、そのことに安心した様子で、雪梅は一礼しその場を立ち去った。
これで重華の心配ごともなくなったはずだ、と晧月は今度こそ強い力で重華を室内へと引き込んだ。
「それで、これは俺に持ってきてくれたもの、でいいのか?」
晧月は重華を振り返り、雪梅から受け取った包みを少し高く持ち上げて問いかける。
その中身は見える状態にはなっていないし、重華も雪梅もその中身について言及などしていない。
それなのに、晧月は中身を知っているかのようだ、と重華は思った。
「は、はい。その、また、手伝ってもらってですが、点心を作ったので……」
本当はここに来る口実のために作ったのだけれど、まるで作ったからここまで来たかのように重華は答えた。
だが、答えた後に、晧月を騙しているような気がして、居たたまれなさを覚えずにはいられなかった。
「それなら、休憩にしよう。また、茶を淹れてくれ。ああ、今度はちゃんと二人分な」
最後に思い出したかのように付け加えられた一言に、重華は晧月のお茶しか淹れなかった日のことを思い出した。
もちろん、同じ日のことを晧月も思い出しているからの一言だろう。
今この瞬間、晧月と同じことを思い浮かべているのかもしれない、そう思うだけで重華は嬉しい気持ちになったが、それも束の間のことだった。
茶器を目の前にすると、やはり今しがた思い浮かべた日同様の緊張感に襲われる。
それでも、前回より少しでも上手く淹れたいと思いながら、重華はなんとか二人分のお茶を用意した。
(あれ?こんなに、私の絵、飾ってあったっけ?)
晧月はお茶を一口飲むと満足気に笑い、そのまま次は点心へと手を伸ばしてそれを頬張った。
その傍で、重華はお茶にも点心にも手を伸ばすことなく、どこか落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見渡していた。
すると、目に入って来たのは、自身が描いた絵が飾られている様子だった。
(いつの間にか、こんなにもたくさんの絵が、陛下の手に渡っていたのね……)
いつからこうして飾られているのか、重華にはわからない。
少なくとも、前回ここを訪れた時には、こうして周りを見る余裕などなかったため、すでに飾られていたのかどうか記憶には全くない。
だが、そこには、重華が誕生日に送った晧月の肖像画以外の重華が晧月に渡した絵が全て飾られている。
重華はその事が少し気恥ずかしくも思ったけれど、大切にされているのだと感じられて嬉しかった。
「それで、用件はなんだ?」
突如かかった晧月の声に、重華はぴくりと肩を揺らした。
用件は点心を持ってくることだった、そう装ったはずだったけれど、晧月には全てお見通しなようである。
晧月は終始そわそわした様子の重華を見て、何か言いたいことがあるのだろうと思った。
そこで、とりあえず点心でも食べながら重華の言葉を待ってみたものの、重華はただ視線をあちこちへとさまよわせるだけで、いつまで経っても用件を話す様子がない。
結局、焦れた晧月が問いかけることとなったのだ。
「何か、話があって来たんだろう?」
どうして、わかってしまうのだろうか。
晧月からすればただ重華がわかりやすすぎるだけなのだが、重華はただただ不思議で仕方がなかった。
重華はまたしても視線をさまよわせた後、こくんと小さく頷きを返した。




