101. 願望
「靴……?」
包みを開いて現れたのは、美しい刺繍が施された一足の靴だった。
これまでの流れから、なんとなく装飾品の類が出てくるのではないかと思っていた重華は、虚を突かれたような気分だった。
「気に入らなかったか?」
「い、いえ、すごく、素敵です」
刺繍は金の糸でされており、きらきらと輝いていた。
金糸を使った刺繍が施された靴を目にしたのは、重華にとっては生まれてはじめてのことである。
さらに、そこに刺繍されているのは、重華が好きな桃の花だった。
それだけで特別感を感じられ、今まで見てきたどんな靴よりも素敵だと、素直にそう思える一足だった。
気に入らないことなど、あるはずもなく、重華は大切そうに靴をぎゅっと抱きしめると、嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、よかった。今はまだ寒いが、もう少し暖かくなったら、その靴を履いて、俺と一緒に散歩をしてくれないか?」
「え……?」
「嫌か?」
重華は慌てて首を振った。
嫌だなんて、思っているわけではない。
ただ、驚いただけである。
一緒に散歩をしたいと願うのは、いつだって重華の方だったから、
(陛下も、私と同じことを……?)
晧月も重華と散歩したいと思ってくれているのかもしれない。
重華と散歩する時間を、同様に楽しんでくれているのかもしれない。
自身と同じことを、晧月も願ってくれている、そのことがどんな贈り物よりも重華は嬉しくて、気づけば思い余って勢いよく晧月に抱きついていた。
重華がそのことに気づいたのは、晧月の腕が優しく重華へとまわった時だった。
(私、なんてことをっ)
重華は我に返り、ごめんなさい、と謝罪の言葉を口にしながら慌てて離れようとした。
しかし、重華の身体が晧月から離れる前に、晧月の腕の力が強くなり、重華は晧月の腕の中ですっかり身動きが取れなくなってしまった。
「へ、陛下!?あ、あの……っ」
「なぜ、謝る?こういうことなら、俺はいつでも大歓迎だ」
重華から晧月に抱き着くなど、めったにないことである。
すぐに離れてしまうのはもったいない、晧月がそう思えば思うほど、晧月の腕の力は強くなるばかりだった。
重華はどう足掻いても離れることはおろか、身動き一つ取ることができず、ただ真っ赤に染まった顔を晧月の胸に埋めることしかできなかった。
穴があったら入りたいと思うほど、自分のしでかしたことが恥ずかしくて仕方がなかったが、それでも重華は今この瞬間がこの上なく幸せだと思った。
「すごい、豪華……」
ようやく晧月の腕の中から解放された重華は、晧月からの贈り物を全て受け取り終えたこともあり、晧月とともに食事をしようという話になった。
これも、おそらくは事前に決まっていたことなのだろう。
重華が晧月から食事に誘われるとすぐに、春燕と雪梅が準備はもうできていると告げた。
そうして二人で食事をするために移動すると、そこには今までにないほど豪華な食事が並んでいて、重華は目を丸くした。
「今日は18年分のお祝いをする日だとお聞きしておりましたので」
「私どもも、18年分のお祝いができるよう、いつもより気合を入れてみました」
重華はとても全てを食べきれる気はしなかったが、見ているだけでも華やかで幸せな気分になれるような気がした。
「頑張って、全部食べろよ」
「ええっ!?」
今しがた、全て食べるのはさすがに無理だと思ったばかりの重華は、晧月の言葉に声をあげずにはいられなかった。
その顔には、しっかりとそんなの無理に決まっていると書かれているようで、晧月は笑うのを止められない。
「冗談だ。だが、せっかくの料理だ、たくさん食べろよ」
あいかわらず食事量の少ない重華が、全て食べられるなんて晧月だって思ってはいない。
正直なところ、晧月だって全ては食べきれないほどの、たくさんの料理が並んでいるのだから。
それでも、せっかくなら、いつもよりもたくさん食べることができればいいと、晧月はそう思った。
「あ、あのっ、たくさんあるので、その……春燕さんと雪梅さんも、一緒じゃ、駄目、でしょうか……?」
じっと並べられた料理を眺めていた重華が、おそるおそる晧月に問いかけてきた。
晧月にとって、それは思いもよらなかった一言で、晧月は驚きを隠すことができなかった。
しかし、そんな様子の晧月を見て、重華はやっぱり駄目なのかもしれないと感じ、俯いてしまう。
「や、やっぱり、そういうのは、駄目、ですよね……」
先ほどまで、驚きながらも嬉しそうな表情ばかり浮かべていた重華の表情が一気に曇ってしまった。
それをどうにかしたい、そう思った晧月の頭の中にある言葉が思い浮かんだ。
『私っぽいって言われました。春燕さんたちに、敬語使うのが』
以前、舜永に何を言われたのか問うた時、重華が言った言葉である。
(舜永なら、これもまた、重華らしいと、言うのだろうな……)
晧月は、侍女と妃はともに食事することはないものだ、とそう告げるつもりだった。
その上で、落ち込んでしまった様子の重華を、なんとか再び笑顔にできればと、そう考えていたのだ。
だが、たまにはそういうのも悪くないのかもしれない、晧月の考えは気づけばそう変わっていた。
「今日はせっかくの祝いなのだから、おまえの好きにするといい。おまえたちも、それでいいな?」
問われた春燕と雪梅は、晧月らしからぬと感じるその言葉に、多少驚き目を見開いたものの、さして動じた様子を前面に出すことなく静かに頷いて見せた。
「いいん、ですか……?」
またしても、おそるおそる、重華が晧月に問いかけた。
「ああ。今日は特別だ」
晧月がそう言うと、さっきまで曇っていた表情が、まるで花でも咲いたかのように綻んで、重華は幸せそうに笑った。
きっと、これは、駄目だと言ってしまえば見ることができなかった表情だろう。
そう考えると、自身の選択は決して間違いではなかったのだと、晧月はそう思えた。
食事は笑顔の絶えない、暖かく幸せな時間となった。
重華はやはり全て食べきることはできなかったものの、いつもよりもたくさん食べることができたのは間違いなかった。
お腹が膨れ、少し苦しく感じるほどだったけれど、それも含めやはり幸せだと重華は思った。
そうして、一息ついた時だった。
突然、晧月から笑みが消え去り、真っ直ぐな視線が重華を貫いた。
「来年はちゃんと、誕生日当日に祝わせて欲しい」
「で、でも、その、私の、誕生日は……」
晧月だって、知っているはずだ、重華の誕生日は、決して祝われるような日ではないことを。
重華はそんな思いで晧月を見た。
当日に無理に祝って貰わずとも、こうして、たまに、遅れてまとめて祝ってもらうだけでも十分すぎるほどである。
そんな重華の思いは、言葉にせずとも、その視線から晧月にもしっかりと伝わってくるようだった。
「おまえにとっては、辛い日かもしれない。だから、無理にとは言わない。でも、できればこれからは。毎年誕生日当日に、おまえが生まれてきたことに、感謝したい」
「感謝……?」
「ああ。おまえが望んだことではなかったかもしれないが、俺はおまえが生まれて、こうして俺と出会って、俺の妃になってくれたことに感謝している」
「そんな、私は……っ」
「誕生日はそうした感謝を込めて祝う日だろう?なら、やっぱり俺は、当日に祝いたい」
誕生日は、ただ年齢が1つ増えたことを、お祝いする日、重華にとってはそんな認識だった。
誰も、重華に生まれたことを感謝する日だとは教えてくれなかったし、ましてや生まれたことに対する感謝を伝えてくれることなどなかったから。
(どうしよう、すごく嬉しい)
断るべきだと思っているはずなのに、重華は晧月から告げられた感謝の言葉も、当日に祝いたいと思って貰えていることも、嬉しく思ってしまうことを止められなかった。
そして、同時に、来年は当日に祝われたい、そんな思いまでも沸き上がってきてしまう。
「また、一緒に、ごはん、食べてくれますか……?」
「もちろんだ」
晧月は間髪入れずに頷いて見せた。
誕生日でなくとも、重華から食事に誘われれば、余程政務に追われている状態でもない限り、断るつもりなど晧月にはない。
「春燕さんと雪梅さんも、一緒でも、いいですか……?」
「おまえが望むなら、来年も、再来年も、その先も、ずっとそうしよう」
やはり、晧月は迷うことなく頷いた。
しかし、これに関しては晧月の了承だけでは足りない、と重華は伺うように春燕と雪梅を見た。
するとすぐに、二人とも重華を安心させるようにふわりと笑みを浮かべた。
「来年も一緒にお祝いできるなら、嬉しいです」
「来年も、気合を入れて、お料理を用意いたしますね」
重華が断らなければ、手を伸ばせば、来年の誕生日もきっと今日のように幸せな時間が過ごせる。
そう思うと、重華は簡単に諦めることができなかった。
「来年のお誕生日、楽しみに待ってても、いいですか……?」
「ああ。期待に応えられるよう、全力を尽くそう」
祝って欲しい、とまでは言えなかった、今の重華の精一杯の言葉だった。
しかし、その意図はしっかりと晧月に伝わったことに、重華はほっとした。
全力を尽くすだなんてほどの大袈裟なことを望んでいるわけではないけれど、来年の誕生日は当日一緒に居てもらえる、その確約が貰えたことが重華は嬉しくて仕方がなかった。
(お母様、ごめんなさい……お母様は今も、私が生まれたことをお恨みかもしれませんが、それでも、私、お誕生日は陛下と過ごしたいです……)
重華は亡き母を思い、そっと目を閉じた。
怒られるかもしれない。
今よりももっと嫌われて、恨まれるかもしれない。
それでも、たとえ地獄に落ちることになっても、重華は1度くらいは誕生日当日に晧月に祝ってもらいたいとそう願わずにはいられなかった。




