本の中の私と、愛に呪われた皇子
アイゼルの部屋で食事を終えると、ミアが運んできた時と同じように手際よく食器を片付ける。
私はその様子を晴れやかな気持ちで見ていた。
『ミアには事情を話して下さい。貴方の為にも——』
アイゼルの部下のギリアムがどうして私の事をここまで理解してくれているんだろう?
真面目で堅物なギリアムの私を見つめる優しい目を思い出す。
ギリアムに言われて、迷ったけれど私はアイゼルが皇帝の弟だと言う事をミアに話した。
でも、私が本の中に転生した転生者で、本当なら知るはずのない知識を知っていたのはその為だと言うことは話していない。
私自身が転生者ではなく、この世界のクレアとして生きていきたいし、
『クレア様は出会った時からずっと不思議な人でしたよ』
そう、ミアが私の全てを受け入れてくれているからだ。
抜け出せない白いモヤの中を歩いていた彼女を救ったのが私だとミアは言う。
私としては、迷子の女の子に声を掛けただけだったんだけど……。
ミアは何か精神的な病気だったのかもしれない。
前世で私はずっと病院に入院してた。
たくさんの病気の人を見てきたけれど、すごく変わった病気の人もいた。
この世界での変わった病気の種類には詳しくないけれど、ミアはそれだったんじゃないかしら?
ミアが私を救世主のように思っていたなんて知らなかったけど、出会ってから故郷で8年、この辺境で6年。
ミアと過ごした14年の月日は嘘のないかけがえのないものだった。
転生者だって気付いてから少し壁を作ってしまったけど、またミアに全てを話せるクレアに戻れてホッとしてる。
ただ——、ちょっと気になったのが、アイゼルが実は皇帝陛下の弟だって話してもミアがあまり驚かなかった事。
「18年前に亡くなられた現皇帝で当時の皇太子の弟君には、実は密かに生きてるって噂がたくさんあるんですよ」
と、ミアは言った。
「とある貴族の家で匿われている皇子とメイドの身分違いの恋の物語の小説とか、とても人気なんです。教会のシスターと、この皇子がアイゼル様だったら素敵ねって話していた事もあるんです」

あまりにピンポイントな小説だけど、そう言えばこの世界の原作本にも幼くして亡くなった皇弟の物語が人気だって書いてあったような気がする。
「読んでみたいわ」
どんな物語だったのか、原作本では詳しく書かれていなかったけど。
「元々クレア様の本ですよ」
ミアが少し驚いたように言う。
「え?」
「辺境のこの城砦では何もする事がないから、本はたくさん届けられたのにクレア様はあまりお読みにならないから、私や他の使用人が回し読みしてます。その本は今は誰が持ってるか分かりませんが……」
そう言えば女性向けの恋愛小説や流行の服装や髪型の本はたくさんあるのよね。
恋愛小説は自分とアイゼルの状況を考えたらあまり読む気持ちになれなかった。
ちょっとは読んだけど、愛されてるヒロインを見て辛い気持ちになる方が多かったから。
「どうしたんですか、クレア様? アイゼル様から届く本に、形だけの結婚生活をしてる妻に恋愛小説を贈るなんて酷いわって、憤慨されていたのに……!」
憤慨していたのはミアだけど、私も同じ気持ちだったのは本当だ。
その私が、急に恋愛小説を読んでみたいだなんて変なのかしら?
転生者としての興味が純粋にクレアだった頃よりも高くなってる?
やっぱり、今の自分と転生者だって思い出す前の私は違うのかしら?
ミアが“不思議な人”と言ったクレアはもう居ないのかもしれない……。
「でも、服やアクセサリーは本を見て欲しいと思った物はすぐ届いたし、アイゼルなりに私の為に色々してくれていたのよ……」
私は話題をそらした。
そして、自室にあるドレスの山を思い出す。
ドレスや髪型を変えて綺麗になって、アイゼルに私を見て欲しいって願いは叶わなかったけど、あれはアイゼルの愛情だったんだ。
「アイゼル様がクレア様を愛してらっしゃるのはミアには分かってましたよ。ただ、愛してるのに無視する理由が分からなかったんです。
皇帝陛下の弟で命を狙われているなら納得です。ね、ギリアム!」
ミアは片付け終わった食器を乗せたワゴンを外に出すために廊下への扉を開ける。
そこにはギリアムがいた。
「コリンとダリルはクレア様のための見張りを続けて下さい。ギリアムは話を聞かせてもらいます。さあ入って!」
ついさっき、ギリアムにやり込められていたミアだけど、すっかり形成逆転してしまってる。
た、頼もしいけど、ギリアムのアドバイスでミアとの信頼関係を再構築出来たんだから、お手柔らかに〜。
ギリアムはやれやれと言う表情でアイゼルの部屋に入って来る。
無表情で冷静沈着なアイゼルの側近だと思っていたギリアムのこの表情はなんだか新鮮だ。
テーブルの横に座った私と、その前に立つミア。
「話は聞きました。アイゼル様の事情は分かりましたけど、クレア様を6年間も無視する態度は酷すぎます!」
「それは、私もそう思う」
ミアの迫力にも動じずにギリアムが言う。
「ただ、アイゼル様はクレア様を絶対に失いたくなかったんです。見えない敵に立ち向かうと言う難しい課題に、自分で自分に呪いをかける事で対峙したんです」
ミアではなく、私にギリアムが言う。
アイゼルへの私の誤解を解きたいって想いに、ギリアムのアイゼルへの忠誠心を感じる。
“呪い”
その響きにアイゼルの悲痛な想いが詰まってる気がする。
そうまでして、私を守ろうとしてくれてたの?
「結局はクレア様を遠ざける事が今まで功を奏して居た。アイゼル様がクレア様に近づき過ぎてしまったから、今回、クレア様がルークに襲われたのです」
ギリアムが言うのは、敵の目的が私の子宮にあった事を指してる。
襲われた時、命の宿る場所をルークは正確に狙ってナイフを振り下ろした。
アイゼルの子供を狙っていることは明白だ。
「でも、赤ちゃんが出来るような事はアイゼルとは……」
してはいないけど、一晩一緒に過ごした。
ギリアムが困ったような表情をしている。
6年間も何もなかった仮面夫婦が一緒の部屋で過ごしたのだから、使用人たちの間でも大騒ぎだっただろう。
それが、ルークを操った何者かに伝わって、襲撃事件になった……。
思えば原作を知っている私は、この物語の真相を知っている。
物語の細部は忘れてしまっているけど、流石にこれは忘れられない。
黒幕はアイゼルや皇帝陛下だけでなく、その血を伝って男子の子孫に受け継がれる魔力の触媒としての能力を狙っている。
帝国の権力の源の魔石に膨大な魔力を込められるのはこの男子のみに受け継がれる力があるからだ。
私のお腹がキュっと軋んだ気がする。
私を抱きしめてくれたアイゼルと未来の子供。
私はどっちも守りたい。
——そして、魔石で動くオートマタの技師であるマーシャルがこの物語の本当のヒロインである理由もここにある。
誰よりも魔力の性質を知っているマーシャル。
魔力から帝国を揺るがそうとする敵と、忘れられた皇子の対峙。
これがこの物語だ——。
私は、マーシャルよりも上手くこの物語を立ち回れるだろうか?




