操れなかった心が壊したモノ
地下牢への道は暗く湿っている。
快適な場所でないのは当然だが、階段を一段降りる度に強くなる異臭に不快感は強くなる。
それは同時に、クレア襲撃の真実に近づく事の証し——。
「アイゼル様、ここから階段が滑りやすくなってます」
ヌチャっと靴底に苔を踏みつける感触があった。
ジメジメとした地下の空気が身体に張り付く。
クレアがルークを地下牢に連れて行かせたくないと思った気持ちも分かる。
階段を降りるだけでも外との繋がりを失うようで気が滅入る。
クレアは地下牢になど近づいた事は無いと思うが。
城砦の外れにある入り口からして不気味だった。
僕がこの城砦に隠れ住み始めて20年近く経つが、入ったのは数えるほどしか無い。
使われたのも一度か二度。
使用人同士が激しい喧嘩をした時だけだった。
この地下牢に多くの囚人や捕虜が詰め込まれていたのは、この城砦が北方民族との海峡の戦いの要だった頃だ。
もう何百年も前の話だ。
皮肉にも、その頃の方がもう少し快適に過ごせたのだろう。
古びて寂れた印象とは違って、地下牢は最新式の魔石で動く灯りが付いていた。
とは言え薄暗く、牢に入れられて床に力無く座って居るルークを哀れに浮かび上がらせていた。
ルークはクレアを襲った犯人に違いなく、僕の怒りは抑えようがない。
クレアの部屋に着いた時、僕の目の前でルークの掲げたナイフがクレアの腹部に突き立てられようとしていた。
思い出すだけで、背筋が凍る。
後、少し遅ければクレアはこの世にはいなかったのだ。
だが、彼もまた操られていた。
僕の運命を翻弄する見えない相手に、彼もまた翻弄されている。
僕はまだ当事者だが、彼には何の関係もないのだ。
たまたま帝都で兵士をしていて、たまたまマーシャルと知り合って、巻き込まれた。
マーシャルとターニアを連れてこの城砦に来なければ……。
僕と関わったせいで——、
——彼も僕の犠牲者なのだ。
「ルーク……」
石の床を踏み締めてルークの居る檻に近づく。
鉄格子の先のルークは声に反応してゆっくり顔を上げた。
石を踏む足音にも気付かない程に憔悴していて、いつの間にか立っていた僕に心底驚いた表情を見せる。
しかし、すぐにひざまづくと深く頭を下げる。
「……アイゼル様、申し訳ありません。俺は……」
何とも痛々しい、微かに震えを含む声に深い後悔が伝わってくる。
ここまで来る間に話は聞いている。
地下牢に連れてこられてからもルークはしばらく惚けていたが、朝には眠りについたようだ。
操られていた魔法が切れての反応だろう。
「アイゼル様。ルークからは魔法の反応はもうありません。なんの光も見えません。」
ルークを見張っていた兵士から報告を受ける。
特殊な道具を使えば魔力量を図ることが出来る。
ルークは特異体質だったのか。
魔法の技術が教会や一部の者たち以外から失われたとは言え、普通は魔力を帯びて生まれてくる。
魔力を一切持たない者は年々増えてきているらしいが未だ珍しい。
僕は牢の中のルークを見た。
失われつつある魔法の力も僕の血の中のはたっぷり通っていて、魔力確認の魔法を使えばルークの魔力量が分かる。
見張りの兵士からも見える、身体からほとばしるように淡き身体を包む魔力の光が、ルークにはなかった。
完全に魔力が無い者の反応だ。
だから、ルークは——。
ルークはついさっき目を覚ますと同時に起き上がると、『クレア様はっ!?』と見張りの兵士に叫んだと言う。
こんな場所で目が覚めて、心配するのはまず自分の事だろう。
それが、真っ先にクレアも心配をした。
つまり、ルークは操られている間も意識があったんだ——!
魔力がない故に、意識まで操られなかった。
それが彼にとって良いことだったのか——。
少なくとも、ルークを心配していたクレアは更に心を痛めるだろう……。
僕の胸も痛むが……。
僕は乾いた唇を舐めた——。
僕とルークを隔てる鉄格子から、カビと錆びた鉄の匂いが漂う。
ひざまづくルークの自分の意思ではない震えだけが時が止まっていない事を伝えている。
僕の喉の奥で重い空気がつっかえている。
——ルーク、君のせいではない。
後悔に打ち震えているルークに、その言葉がどうしても言えなかった。
「……気分はどうだ?」
やっと口から出た思いやりのある言葉はそれだった。
思っていたよりもずっと冷たい言い方にはなってしまったが……。
ルークは一度びくりと肩を振るわせると、沈黙の後に答える。
「……最悪です。……しかし、どんな処分も覚悟しています……」
重く響く覚悟に、自分の言葉がルークの中で冷たく響いたのだと理解する。
「……どうしてクレアを襲ったんだ」
僕が確信をつく質問をすると、ルークは顔を一瞬上げて僕を見た。
すぐに俯いた姿勢に戻り答える。
「分かりません……。急に……、頭の中で『城砦の女主人を殺せ』と言う声が響いたんです
まるで自分の体が自分の物ではないようで、気づいたら一緒に見張りをしていた兵士を倒して、廊下を歩いて向かってくるクレア様を追いかけていました……」
「クレアが向かって来ていた!? 真夜中だったのだろう?」
ルークに会いに向かうクレアの姿が脳裏に浮かぶ。
一緒の見張りの兵士もいたんだ、おそらくは部屋の中のターニアの様子を見に行ったのだろう。
こんな時にまで馬鹿げた嫉妬をする自分に呆れる。
「クレア様は、ターニア様に会いに来られたんだと思います」
ルークもそう考えるのが当然だろう……、だが。
僕はルークの言い方が気になった。
「向かって来るクレアを見た後で、『女主人を殺せ』と声が聞こえたのか?」
意外な質問だったのかルークがまた僕の顔を見る。
思いのほか幼い顔に僕は驚く。
ルークは僕に似ていると言うが、こんな頃が僕にもあったんだろうか。
ただクレアとの幸せを信じていた日々。
それが陰っていった——。
ルークは思い出すようにゆっくりと語る。
「……いえ。声が聞こえてから、身体が動かなくなって隣の兵士を倒していました。その後で、クレア様に気づきました…」
少し調子を取り戻したルークの声は、クレアの事を思い出すと再び沈んだ。
「兵士を倒して、どれくらい後にクレアが来た?」
「……兵士を倒してしばらく経ってからです。しばらくは僕も自分の身体が勝手に動いている事に驚いていて……、何とか自分の意思で動かせるように必死だったんです。
そしたら、動かない身体が俺が動かしたい方とは別を向いて、そこにクレア様がいました……」
また声が沈む。
ルークが自分のせいで落ち込んでると知ったらクレアはどうするだろうか?
操られていただけだと、ルークを地下牢に入れる事をあれだけ反対していたんだ。
ルークの事を必死で慰めようとするだろう。
ルークは操られていただけ——。
間違って居ないが、僕は君の態度で素直になれない。
それより、今は、ルークの説明から分かった事だ。
『女主人を殺せ』と言う明確な命令が先にあり、ルークは身体を操られている。
クレアを明確に狙い。
ターニアには興味がない。
ルークと行動していたターニアが狙いならもっと早くに行動していたはずだ。
そしてクレアの狙われた理由は、僕の子供を身ごもっていると勘違いされたからだ。
皇帝の弟である僕の子供、皇族の血筋が狙われた——。
なら、ターニアは皇帝の子で、真っ先に狙われるはずだ。
まだ産まれていない子供を狙うより、産まれて存在している子供を狙う方がよっぽど急ぐ必要がある。
ルークを操っていた魔力が今消えていると言うことは、ルークを操れたとして、せいぜい後2、3日が限界だっただろう。
ターニアを狙うつもりなら猶予はない。
それをしなかったのなら、最初からターニアを狙っていなかったんだ。
ルークがホムンクルスの魔力を帯びて、いつでも操れる状態になったのは偶然なんだろう。
操っている黒幕にとって、皇帝の子であるターニアの護衛の男が、いつでも操れる状態でいる事は皇帝に繋がる者を見つけ出せるかもしれないくらいの意味しかなかったんだろう。
そこに僕とクレアが現れた。
もしかしたら、皇族の血筋を繋ぐかもしれない者——。
正確に言うなら、皇族の男子の血を受け継ぐ者——。
敵は、僕と同じ膨大な魔力を受け継ぐ器を狙っているんだ。
クレアは、やはり安全ではなかった——。




