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③後日談
――翌七月、私は岡山本社の社長の座に就いていた。件の事件は、和人による半狂乱の凶行という形で片がつき、社は平常運転を取り戻しつつあった。出来の悪い弟だったが、最後の最後でしっかり役に立ってくれたものだ。
後継者選出会議は、私の圧勝に終わった。取締役たちは、満場一致で私を次の社長に指名したのだ。
亮真は私の敵ではなかった。碌に日本語も話せない上に、社の命運を決める大事な会議の場に、実の母親を同伴させたのだ。取締役たちの心象が最悪だったのは、言うまでもない。勿論、もし優秀な通訳さえ伴っていれば、結果は違っていたかもしれないが。




