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②事件編

 事件があったのは、その次の日の、未明の事だった。


「幸人さん、幸人さん!」と私を呼ぶ女性の声と共に、ドアが激しくノックされるのを聞いて、私は目を覚ました。よくよく声を聴いてみると、それは昭子さんらしかった。ひどく慌てた様子だったので、すぐさま起き出して戸を開けると、そこには顔面蒼白の彼女の姿があった。


「た、大変なんです。だ、誰かが殺されていて……」

「殺された?まさか、そんな物騒な」

「本当なんです。とにかく、こちらへ来てください」


 まだ半分寝ぼけたままの私の腕を掴むと、昭子さんは殆ど駆け出すような早足で、私を一階へと引っ張った。そして浴室の前に辿り着くと、ピタリと足を止め、再び震える声を捻り出した。


「ここです。ここにあったんです。その、ご遺体が……」


 昭子さんは口に出すのも憚られるという具合に、恐る恐る言った。そんなに世にも恐ろしい物がここにあるというのだろうか。


 私は眉をしかめながらゆっくりと浴室の引き戸に手を伸ばし、それをスライドさせた。


 密室が解き放たれた瞬間、苛烈な鉄臭さが鼻をつく。血の匂いだ。


「あの浴槽の中に……」


 促されて浴槽を見遣ると、そこには確かに、人の死体とわかるものがあった。角の丸い白襟のついた、厚手のワンピース。鮮血のまだら模様の間から、元の布地は薄緑色だったとわかる。その服装から、成人女性の遺体だというのは一目瞭然だった。


 しかし、それ以上の詳しい事はわからない。遺体は、首から上と四肢が完全に欠損していて、もう元の生物の原型を留めていなかったのだ。


「……」


 私は浴槽にのめり込むようになっていた上体を起こすと、ごくりと唾を呑み込んでから昭子さんの方を向き直った。


「――昭子さんが、最初にこれを発見したのかい?」

「はい。昨夜カルメン様が早朝にシャワーを浴びたいとおっしゃっていたものだから、日の昇る前にお掃除しておこうと思ったのでございます。それで先程ここに入ってみると、中にこのような恐ろしいものがあって……」

「警察に電話は?」

「いえ、まだどこにも連絡は差し上げておりません。何分驚きが凄まじかったものですから、とにかく誰か屋敷の人にお知らせしようと……。幸人さんには大変ご迷惑をおかけしました」

「いや、私のことは気にしなくていい」


 昭子さんは真っ先に私を起こしに来た。ということは、この遺体の事を知っているのは、未だ私と昭子さんのみとなる。それは私にとって、頗る好都合であった。


「しかし、ひどいことをする人間があるもんだね」

「ええ。しかもそんな人と、同じ屋根の下で寝泊まりしているだなんて……」

「ほう。犯人が内部の人間だと考えているのかい。一体どうして?」

「だってわたくし、昨晩寝る前にきちんと屋敷中の戸締りを確認いたしましたもの。屋敷には最新のセキュリティシステムも導入してありますし、何の騒ぎも起こさず外部から侵入するだなんて、無理でございますわ」

「ふむ。それなら確かに、外部犯の仕業とは考えづらいな」


 私が賛同に転じたのを見て、昭子さんの目には俄かに自信の色が宿った。


「ということは、このご遺体も内部の人間のものだろうか」

「ええ、きっとそうでございましょう。このように体のパーツが失われていては、誰だか判別はつきませんが……」

「とりあえず警察に連絡してほしい。私はその間、屋敷の人間を起こしに回ってくる」

「それでしたら、わたくしもご一緒いたします。犯人がまだ屋敷の中に居るのでしたら、一人で屋敷を動き回っては危ないでしょう。それに犯人はまだ証拠を持ち歩いているでしょうから、二人で協力してそれを見つけ出せば、犯人をあぶり出す事も可能な筈ですわ」


 昭子さんの顔は、今度には好奇心と正義感で満ちていた。私はそれが、どことなく羨ましかった。私は彼女のように、この件に関して胸を躍らすことができない。なぜなら、私は犯人を探す余地がないからだ。


 犯人は、私だ。私が、このバラバラ殺人を起こしたのだ。


 読み手の方々からすれば、こんなに早くネタばらしされては興醒めかもしれない。しかしそれを隠すとなると、続きの文章を書くのにあまりに不都合になるから、どうかご容赦願いたい。


 これから私たちは、屋敷に泊まる残りの人間を、順に訪ねていく。そうすれば、いずれあの遺体が誰なのか、自ずと明らかになるだろう。しかしその答えを今ここで書き記してしまうのは、それこそ興醒めに他ならない。よって、今はただ、事のなりゆきをそっと見守っていく事に努めたいと思う……。




 我々はまず、取締役たちの部屋を訪れることにした。後継者候補でもその血縁者でもない彼らは、今度の会合において比較的中立な立場でいるから、事件の当事者では無かろうというのが、その理由だ。


 三人の取締役のうち、廣井と吉川は部屋でぐっすりと眠っていた。曰く、昨晩床についてから一度も目を覚ましていないから、事件について思い当たる節も全く無いという。


 残った鈴木に関しては、先ほど昭子さんがバタバタと廊下を走る音で目を覚ましたが、「大方朝の支度に忙しいのだろう」と思って特に気にも留めず、日課である朝読書をしていたという。彼も、事件について証言できることは一つもなかった。


 私と昭子さんは取締役たちに事情を説明すると、「まだ犯人が屋敷の中に居るかもしれないから」という理屈をつけて、三人まとまって広間で座しているように指示した。


「それにしても、お三方が被害者でなくて幸いでした。お家の外のお客様が殺されたとなれば、どんな大事になっていたことか……」


 と、昭子さんはやや安堵したように漏らしたが、遺体は女性のものだったのだから、元より彼らが被害者の訳なかろうと、私は思った。


 さて、続いて和人の元を訪ねると、彼も既に起き出していたのか、思いの外すぐに扉が開かれた。珍しく視線の据わった面持ちだったが、事情を話すと表情は一変した。瞳は死人のように大きく見開かれ、だらしなく開いた口からは黄色い歯が覗いている。まるで悪魔に魂を抜かれたかのようだった。


「和人様も早く広間の方にご避難くださいませ」


 と昭子さんが諭しても返事だにせず、その場にじっと立ち尽くしたままでいる。昭子さんはそれを不審に思ったみたいだが、前々日の弟の言動を知った私にとっては、然るべき反応であった。


「仕方ないから、無理矢理連れて行こう」


 死後硬直のように固まった和人の体を引っ張って、なんとか広間の席につけると、今度はその足で亮真の部屋に向かった。すると、騒ぎを聞きつけたのか、亮真は廊下に飛び出していて、辺りを右往左往しながらしきりに何かを呟いている。


「亮真さん、どうしたんですか?」


 そう問うても、まともに返って来ない。不思議に思ってよくよく彼を観察すると、まるで尋常の様でない事が判った。亮真の体からは冷や汗のような不自然な汗があちこちから噴き出していて、身振りは和人のように挙動不審である。およそいつもの彼とは思えない程の、ひどい取り乱しようだった。


「一体何があったんですか?」

「ちゃんと理解できるかどうかは分かりませんが、とにかく落ち着いて話してみてください」


 そう私たちが宥めるのも虚しく、亮真はひたすらによくわからないことを発するばかりだった。


「駄目だ。この状態で話しても全く通じない。とりあえず、彼も広間に据えよう」

「ええ、そうしましょう」


 私と昭子さんは、和人にそうしたように強いて亮真を広間に連れてくると、取締役たちに彼を見張っているように頼んだ。部屋を出る際に、遠目からチラリと様子を窺ったが、暴れたりする様子は無いようで安心した。


 これで、既に五人の無事が確認された。しかし、問題はここからである。あと屋敷に残った者は、遺体と同性の、女性ばかり。即ち、真の被害者候補のみが残った形になる。遺体の正体がわかるのは、もう間もなくだ。


 各部屋の巡回順を決定する上で、私は殆ど昭子さんの提案に頼っていた。それは「いつ被害者が明らかになるだろうかというスリルを味わうためであったが、ここに至っていよいよ、その緊張感は最高潮を迎えようとしていた。


「ねえ、幸人さん。わたくしは今度の殺人事件、会社の相続を巡って引き起こされたものだと思いますの」

「うむ、内部犯の仕業ならきっとそうだろう」

「それで先程の亮真さんの取り乱しようから考えて、きっと亮真さんの大切な方が被害に遭ったのだと思いますわ。何者かが、亮真さんの後継者指名を妨害するために、あの方の近親者を殺害したのではないかしらと。さっき亮真さんが何を言っていたのかはわかりませんでしたけど、きっとそれを伝えようとしていたんじゃないのでしょうか」

「ははあ、面白い推理だね」


 昭子さんの推理は、実に的を射ていた。彼女の言う通り、私は亮真に近しいある者を殺害する事で、その冷静な判断力と会話能力を奪い、後継者選びにおける彼を無力化しようと図ったのだ。


 直接亮真を殺さずにおいたのは、私が社を継いだ暁に、部下として働いてもらうためだ。この殺害を実行したことで、亮真に向けられた和人の凶刃も未然に防ぐことができた。あとはその罪を和人になすりつけることができれば、計画は完遂である。


「では次は差し詰め、亮真君の母君と婚約者さんを訪ねようかね」

「それがいいんでしょうけど、わたくしなんだか、真実を知ってしまうのが怖いです。先に大奥様のご無事を確かめませんか」


 大奥様というのは、祖母のことである。私は個人的に幾分躊躇う気持ちがあったが、結局それに頷いた。


 祖母も、無事だった。年寄りなのに朝が遅い祖母は、私たちが訪ねた時もベッドにうつ伏せで横たわっていたが、耳元で大きな声を出すと、低いうなり声を出しながら瞼を開いた。


「なんじゃい、こんな朝早くに。いやそれよりも、なんで幸人までここにおるんじゃ」


 半ば予想していた寝起きの悪態に辟易しつつも、あらましを説明する。話を聞いた祖母は私に疑惑の視線を向けたが、今度は却って容易くそれを受け流すことができた。もはや自分の目的は達成されたようなものだ。今更祖母がいくら凄んだところで、何の脅威も感じられない。


「大奥様、ここは危ないですから……」


 昭子さんが広間に皆集まっている事を告げると、祖母は私たちの手を払いのけて、丈夫な足取りで長い廊下を歩いて行った。


「おばあ様も無事だったね」

「ええ。となるとやはり……」


 昭子さんの顔はすっかり青ざめていた。先程までに満ちていた好奇と興奮の色はすっかり褪せ、両の目をしきりにしぱしぱとさせている。それに対して私の方も、動悸が次第に激しくなるのを感じていた。


 大事なものを壊してしまったことが、誰かに見つかりそうな時のような切迫感。時間をかけて作った自分の作品を、皆に披露する時のような昂揚感。その二つが合わさったような背徳的な快感を、私は確かに楽しんでいた。


「では行こうか。カルメンさんと、マリアさんの部屋に」


 再び客間の並ぶ一角に戻る。辺りはシンと静まり返っていた。結構な大声で話していたと思うが、奥の部屋に居る者はそれに気づかなかったようだ。


「カルメンさん、マリアさん」


 名を呼びながらドアを何度か叩いたが、一向に返事は無い。


「仕方ありません。昭子さん、合鍵を」

「ええ」


 手渡された銀色の鍵を、ドアノブの下の鍵穴に差し込む。カチッという小気味よい音が辺りに響いた。


「いいですか、開けますよ」


 私は興奮のあまり、それに対する答えを聞かぬ間にドアノブを捻っていた。ゆっくりと体重をかけると、それに伴って甘い香水の匂いが鼻の奥へと侵入してきた。


 窓からこぼれる暁の光で、部屋はわずかに光を漂わせていた。明かりをつけずに、忍び足で奥へと侵入する。


 向かって左側の壁に、二つのベッドが並んでいた。長身の男性でも収まれるような、かなり大きめのものだ。遠目からでは、そこに人が潜んでいるのかどうかわからない。


 私は昭子さんに目配せすると、手前の側のベッドに近づき、その枕元を覗いた。スースーと、安らかな鼻息が聞こえる。肌の張りは失われているが、整っていて美しい顔立ちが現れる。


 ――カルメンだった。


「彼女は無事だ。はっきりと呼吸をしている」

「よかった。では向こうのベッドには……」


 昭子さんはいよいよ全てを悟ったかのように、再び怯えた声を出した。何も答えずに、カルメンのベッドをグルリと半周する。こちらには本来、マリアが眠っているはずだ。


 枕元には、何の姿もない。けれど、羽毛の掛け布団の下には、確かに何かが潜んでいる膨らみがある。私は振り返ってもう一度昭子さんに目配せすると、一気に羽毛布団を剥ぎ取った。


「――ん……、うーんー……」


 寝苦しさを厭うような小さなうなり声。それを発した首の肌には、確かに若々しい血色があった。――マリアも、生きていた。


「ああ、よかった!お二人とも無事だったんですね。よかった、本当によかった――」


 カルメンとマリアの生存を確認した昭子さんは、本当に嬉しそうにそう言って、半泣きのようになった。内心、大事な後継者候補の母と恋人が被害者であって欲しくないと、強く願っていたのだろう。


「彼女たちも起こして差し上げて、広間に案内しましょうか?」

「うん、それがいいだろうね。ぐっすりと眠っているところ申し訳ないけど……」


 迂闊にも私たちがその場で話し込んでいると、二人が目を覚ましてしまった。


「……何の騒ぎ?」

「あれ。ユキトさんに、昭子さん。ドウしたんですか?」

「ああ、起こしてしまいましたか、申し訳ない。実はですね……」


 事件のことを告げると、二人はかなり驚き動揺した様子だったが、広間への誘導にはすんなりと従ってくれた。


 その後私たちは、念のため残りの部屋に誰か居ないか確認して回った。が、当然他に生存者があるはずなく、ただ亮真の右隣の部屋に大量の血だまりを見つけただけだった。


 広間に戻ると、和人と亮真を除く者達は大体平常を取り戻していて、捜査状況の説明を求められた。


「幸人くん、どうだった?何か見つけられた?」

「いえ、全く。遺体の頭や手足もまだ見つからないままで……。もしかしたら、もう外に持ち出されたのかもしれませんね」

「そう。だったらわたしたちも協力するわ。じっと待っているのも性分に合わないし。二人以上で行動すれば、きっと問題ないわよね?」


 何か余計な発見をされると面倒だったので、それは阻止したかったが、惜しくも止めることはできなかった。カルメンとマリア、廣井と吉川、そして私と鈴木がそれぞれペアを組んで、屋敷内部及び周辺を捜索することになった。


 その間、昭子さんは一人で、広間から和人と亮真が逃げ出さぬよう見張っていることになる。私は、他のグループが広間から発つのを見届けると、昭子さんに念を押した。


「昭子さん、私は携帯電話を持っているから、何かあったらすぐに連絡をくれ」

「はい。もしかしたら、すぐにお呼びするかもしれません。亮真さんのご様子、やっぱり普通じゃないですから……」


 さっきカルメンやマリアと話をしている時には少し落ち着いているように見えた亮真だったが、実際にはまだ半狂乱のままだった。先程からずっと俯いたままぶつぶつ繰り返しており、時折首を天井に向けては、奇妙な叫び声をあげている。


「やれやれ、ここまでおかしくなるとはな」


 その時、亮真が何かに気づいたかのようなハッとした表情を見せ、私の方を向き直って口を開いた。少し怒ったかのような調子で、早口に何かを発している。しかしそれはまたしても、全くの意味不明で、耳障りなものでしかなかった。


「らァスまたードゥトゥ?」


 私は、スペイン語はてんでわからないのだ。

 

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