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次元迷宮の迹  作者: 藤閏
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真夏の夜の幻夢 第一〇節


「文綾丸の出現位置は、昼夜境界線でも上空へ数百メートルもずれた。両星の地表面がさらに近づく時期は、まだ何年か先であろう。数十年も前にだとすれば、高性能な乗り物の中でか、よほど強力な存在でなくば生きていられまい」

「一般人が数十年前に、ここへテレポートで放り出されるのは即死コースである、と……離心率の違いで速度もずれるかもしれませんね」

「それより、日本語を話せる現地人に会わせてもらいたい。正体も知れよう」


 礼佳が小さく肩を揺らした。

「あ~、それが……ちょっといろいろあって、参ってるみたいでして」


 男の下で、しなる触手が小刻みな動きを増した。

「どこにいる?」


 多脚動物が男と意思を通じさせているかのように、脚を波打たせた。

 大きさで優る敏捷な動物に、突進の準備動作を見せられ、礼佳が逃げ腰になる。

 多脚動物は、有馬が斬ったことがある二~三メートルのカイマンやミシシッピアリゲーターよりもかなり速い。一トンを超えているだろう体を、体重が半分に満たない『四メートルの大物ワニ』とは段違いの軽快さで操っている。四本しか脚がない動物にとって一トンの体は重いが、それに数倍する脚と、柔軟に屈曲する長虫型の胴体をそなえていれば体重は枷にならないようだった。


「見える」礼佳が押し殺した声でささやいた。「口の中が光ってる」


 再攻撃準備を終えている有馬は、男に情報を与えることにした。

「医務室だ」

 多脚動物が暴れても、手にしているP90に残る三〇発ほどの五.七ミリ弾で移動不能にすることはできる。バラ撒いた弾が当たった数本の脚は力を失い、胴のうねりに引きずられていた。


「その現地人によると、ここから数日の距離に陸があるらしい」

「近くに陸があるのか。それは喜ばしい」


 男が声を高めて応じた。

 普通の人間は膝関節を砕かれれば激しい痛みに苦しむものだが、男は脚の負傷を気にもとめていない態度だった。


「転覆した船を見たか? 現地人は船団でここへ来た。何隻分か、まだ生き残っている」

「あれか……案内人がいればテンダーボートで行けるか――話しは通じるのか? そいつらは、どこかを襲う途中だったバイキングかなにかなのかね? 航海していたら偶然に文綾丸を見つけたと?」

「いや、このあたりにある海底遺跡を目指して来たと言っていた」

「見わたす限りの海なのにね。不思議ですね。かつて陸につくられたものが水没したにしては、海岸から離れすぎ」


 知識をチラつかせる男に、礼佳が探りを入れるように言った。


「ここにも、この星の側にも海底遺跡があることは、不条理ではない。もしも文綾丸が沈んでいたらば、それが新たな遺跡になるのだよ。渦竜島の大円盤孔もテレポートの跡だ」


 渦竜島の沿海には『大円盤孔』と名づけられた海底遺跡がある。

 東京で誘われたときにされた輝久の解説によると、直径が一九〇メートルの完全な円をなしている浅い穴だ。なかば堆積物で埋もれてしまっており、実地に調査されるまではクレーターだとされていた。一〇年ほど前に、ここを潜って調べた地質学者が「これは人造物である」と断定して、遺跡として有名になったのだ。

 考古学者は分野違いの余所者に発見され、定説をくつがえすオーパーツと騒がれた巨大な先史時代の遺跡を調べることに熱心ではないらしいが、地質学者は自らの詳しい研究成果を発表していた。

 輝久に借りた地質学者の著作では、大円盤孔から堆積物を仮設的に除去すると、凹状の球面、つまり凹レンズの片面状である全体像があらわれる。

 この海底の岩を抉って造形された空間が、さらに仮想の真球体の浅く切りとられた一部だとすると、球体そのものの直径は三五〇〇メートルになる。

 現在は水深六〇メートルの場所にあり、物好きな古代人が水中で作業したのではないとすれば、造成は紀元前九〇〇〇年より昔のことだという話だった。


「考古学では石器人が手作業でつくったものとされているが、あれは開いた〈星辰の門〉が海の底まで届いたときに、岩盤が抉られてできたものだ」

「円盤孔の壁面には洪積世からサンゴが育ってるんですよ。そんなに昔から二つの星で、テレポートがくりかえされてきたの?」

「そうとも、それを調べにきたという話ではなかったか? お嬢さん。公転軌道もそうだが、この星は地球と極めて似た運動を宇宙でおこなっている。数百万か、数十万年は昔からだろう」


 礼佳は早口に言葉を返したが、それは聞きとれない独り言になっていた。

 有馬は男に尋ねた。


「〈ユニバーサル・スローン・ソサエティ〉は一万二〇〇〇年以上前から存在しているそうだな。この星と地球とを、昔から行き来していたのか?」

「そのとおりだ。遥かな昔から行き来している。一万二〇〇〇年そこら前からというのは、人間が〈星辰の門〉を調べ始めた時期のことにすぎぬ。〈星辰の門〉はホモ・サピエンスが生まれる、遥か前につくられた」

「何者によってだ?」

「神々だ」


 そう言って、男は笑った。


「最近は異星人と呼ぶがね」

「異星人はこの星の側におり、そいつらの系列団体が〈ソサエティ〉ということか?」

「いや、異星人は、こちら側にもおるまい……二つの星は〈門〉から外れつつある。往来が不便になったゆえ神々は地球を去ったらしい」


 話の規模からして、神々の退去は〈ユニバーサル・スローン・ソサエティ〉が英語ではなくメソポタミアの、あるいはアトランティスやムーといった文明の言葉で呼ばれていた時代のことなのだろうと有馬は思った。


「原始的な地球文明を、異星人が手懐けていた時期はあったんだろう。神話の時代のことだ。〈ソサエティ〉の起源は、神の叡智を授けられた古代人という説もある。しかし現代の〈ソサエティ〉は、神々に仕えていない。自らこそが地球の支配者だと自負しておる」

「つまり文綾丸のテレポートは、異星人の仕業ではないわけか」

「ああ、違う。異星人ではなく」男は言葉を切った。「……ローゼハルトがやったことだ。ヘルファイアー・セクトは〈星辰の門〉に詳しい」

「ゾンビを率いている小娘か」


 有馬は胸の無線機を、船員から奪ったものではなかったが指で示した。


「女がドイツ語を喋っていた。この銃を奪ったゾンビと無線でな」

「ローゼハルトだろう。他に女はいなかった」

「ヘルファイアー・セクトはアメリカの勢力ではないのか?」

「ナチスだかコミンテルンだかを嫌って、アメリカに肩入れした〈ソサエティ〉の一派が、ヘルファイアー・セクトだ。冷戦時代になってからは、核戦争に怯えて地球脱出を研究していた。手下どもが狂ったように核爆弾を大量生産するとは思っていなかったらしいな……現代の地球で〈門〉を操作できるのは、やつらくらいではあるまいか」

「その一人がローゼハルトか」

「ああ、アンジェリカ・ローゼハルトはドイツから移住した魔術師だ。核爆弾をつくろうとしていた当時のセクトに参加したと聞く」


 男が説明するアンジェリカ・ローゼハルトなる女の容姿を、有馬は想像できなくなった。冷戦時代にアメリカで生まれたドイツ系市民かと考えていたが、アンジェリカがナチス政権時代のドイツからアメリカへ移住し、マンハッタン計画に関与したならば八〇歳代にはなっている。


「……アンジェリカ・ローゼハルトは、かなりの年寄りなのか?」

「やつは八〇歳そこそこだ。導師と呼ばれる者のなかでは、むしろ若い」


 一見したところ六〇歳代の、アンジェリカを小娘と称する男は答えた。


「やつは肉体も小娘なのだよ。ヘルファイアー・セクトの導師どもは、〈ウセイルの霊櫃〉を外様の魔術師には教えぬ。ローゼハルトは贄から生命力を啜りとり、若さをよみがえらせる秘術を使うらしい。……ヨーロッパの没落とともに失われた秘術だ」


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