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次元迷宮の迹  作者: 藤閏
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本格的 ガチムチラッシュボーディング 第四節

 床に落ちてあらわになった女の心臓は、まだ微かにだが動いていた。

 心臓は強壮な器官で、関節に釘を打ちこみ、肩口あたりまで皮を剝ぎ(肩や首には皮膚への血管がつながっているため、活け造りにしたいときはここで止めるのだ)、眼球や指先や生殖器をつぶしてかなりの量を出血させ、呼吸が止まったあとも数分間は動きつづける。

 しかし呼吸停止から数十分間も動きつづけている個体は、有馬も見たことがなかった。壁に密着して胸郭に空気が残り、傷が焼けて出血を防止したことが、長く活動を持続させたのかもしれなかった。

 有馬はラウンジから、値打ち物に見えそうな銀色の金属器やガラス器を集めた。それらを肺がしぼんだ死体の胸郭に詰めこみ、引きずり出した胃で蓋をし、戦士どもの興味を引くかもしれない調理室の包丁で、数ヶ所を刺して縫い止めた。

 投げ落とした女の死体は、狙ったとおり三階デッキの中央に激突し、中身をバラ撒いた。

 小型船で何人かが叫び、すぐに動いていた右舷の櫂が止まった。

 後部甲板には新たに、三人の戦士が下の船室からあらわれていた。弓は持たず、足にも簡易なサンダル状のものを履いている。長髪を風になびかせた三人は、前部甲板の七人よりも軽装だった。脛当で補強した靴を履き、兜で髪は見えない七人と比べ、かさばる重い装備を持っていない。他の乗員と異なり、彼らの体は乾いたばかりという印象だった。

 外套の舵取と後部甲板で話している三人の戦士は、おそらく別の船から海中に投げ出され、装備を捨ててあの仲間の船へ泳いだのだろう。舵取の身なりから判断すると彼らには、裕福な身分の者は、髷を結う習慣があるようだった。


 七本の火炎瓶を完成させた有馬は、ラウンジの奥へ戻り、融け崩れた死体の腕を拾った。

 腕時計をつけている手首に、目立った損傷はない。身体の変形も、内部を砕かれているせいではなかった。有馬が触れた中手骨や橈骨はバラバラになってはいない。ねじれて細長くなってしまっている腕は、あたかも病態生理的な形成異常により、時間をかけて変形したように見えた。

 有馬は包丁で、死体の袖と皮膚を切り、筋肉と関節を観察した。肘関節は正常以上に可動した。骨の変形にあわせて、筋肉まで長さを変えたかのようだった。


「ブリッジの右端にいますが、まだバンデットが見えてきません」

「ああ、回頭している」

 船外の優先して対処せねばならない問題に、有馬は注意を戻した。

「誘いにかかったようだ」


 文綾丸の船尾に、木の舳先を当てて小型船は止まった。

 水夫が棒を文綾丸に投げこむと、すぐに櫂が逆進をかけ、結ばれた綱を張った。文綾丸の手摺に投げた鉤には、索具のものと同じ滑車がつけられており、それで帆綱を回して一〇メートルほども重い網梯子をあげた。手慣れた動きだった。

 夜行で東京から有馬たちが乗った高速バスは、全高が目測で三.五メートルはあったが、文綾丸の乾舷はさらにその二倍はある。隣りあった小型船と文綾丸の甲板高低差は、身長の数倍になった。

 ステンレスのポットに満たした食用油に浸けておいた布に、有馬は火を灯した。

 七人の戦士は、武装のわりには身軽に網梯子を登ってくる。後部甲板の三人も軽装備のまま、七人につづくつもりらしかった。武器は短槍と剣だけ、防具は兜と小型楯だけだが、戦意の高さを誇示して前部甲板へ勇ましく駆けた。

 一人はまだ若い。後部甲板で着用した兜には、宝石かなにかか、夕日を反射してきらめく装飾がほどこされていた。

 愚かな一〇人の蛮族が文綾丸に乗りこんだ瞬間に、有馬は反撃を始めた。

 火をつけた火炎瓶を小型船へ投げる。三キログラム弱の一升壜を二〇メートルの高さから、三〇~四〇メートル離れたバスより大きな標的に当てることは、海風の中でも容易だった。フォークは省いた試投用の一本は漕手船室で砕け、ケロシンに比べてものたりない炎を広げた。

 有馬は腕にこめる力と狙いを修正しつつ、残りの火炎瓶を次々に投擲した。狙いは前部甲板の網梯子だった。

 食用油の火炎は、海水が残っている漕手船室では速やかに消されてしまった。しかし前部甲板では水夫の一人に引火し、彼がわめきながら転げまわっているあいだに、最後の火炎瓶を網梯子に投げ入れることに成功した。

 プラスチックの蓋が燃え尽き、こぼれた油で炎が網梯子に広がった。網も水を吸っているせいか、燃え落ちはしないが、それは重要ではなかった。敵勢力の分断と、退路に不安を感じさせることが目的だ。これで戦士どもは、三階デッキでのんびりしていてくれるだろう。

 有馬は拳銃の薬室へ弾丸を送り、ラウンジ奥の階段へ走りだした。

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