「修行ですよ?」
## 第49話 ようこそ、タイムジェイルへ
それからしばらくして。
柳と琴は、再び学園の生徒会棟を訪れていた。
2人とも着替えや洗面用具など、数日分の身の回りの品を詰めたバッグを持っている。これから向かう場所がどんなところなのか、まだ詳しいことは分からない。それでも、少なくとも2日ほど家に帰れなくなることだけは聞かされていた。
「……よし。連絡は全部済ませたな」
柳はスマートフォンをしまいながら、隣の琴に確認した。
「うん。家族にも学校にも伝えてあるよ。急な話だったけど、事情は理解してもらえた」
「あたしもだ。まさか、修行に行くために学校を休むことになるとは思わなかったけどな……」
「自分から頼んだんだから、そこは仕方ないよ」
「分かってるって。文句を言ってるわけじゃねえよ」
柳は肩にかけたバッグを持ち直した。
乙羽がいない今、自分たちにできることは何なのか。
考えた末に選んだのが、リーゼロッテの修行だった。
乙羽の秘密を知りたいわけではない。無理に聞き出そうとも思っていない。ただ、これからも仲間として一緒にいるのなら、自分たちも成長する必要がある。
いつまでも乙羽に頼りきりではいられない。
「……それにしても、先生はまだか?」
「もうすぐ来ると思うけど……」
琴がそう答えた直後、廊下の向こうから小さな羽音が聞こえてきた。
「お待たせしました。準備はできましたか?」
リーゼロッテが姿を現した。
いつものように穏やかな笑顔を浮かべているが、今日は少しだけ真剣な雰囲気もあった。
「ああ。家族にも学校にも連絡したし、荷物も持ってきたぜ」
「私も準備できているよ」
「それはよかったです。では、始めましょうか」
リーゼロッテは2人の顔を順番に見た。
「その前に、もう一度だけ確認しておきますね。これから向かう場所は、こちらの世界とは切り離された特殊な空間です。普通の転移魔法のように、目的地へ移動するだけではありません」
「……タイムジェイル、だったな」
柳が確認する。
「はい。私がそう呼んでいる場所です。私の世界にある家を中心に構成された、外部から隔離された空間ですね」
「家を中心に……?」
琴が首を傾げる。
「ええ。私の家もありますし、休息できる場所もあります。修行に必要な環境も整っていますよ。ただし、外の世界とは自由に行き来できません」
「つまり、先生が帰っていいって言うまでは帰れないってことか?」
「正確には、私が設定した課題を達成するまで、出口が開かない仕組みになっています」
「やっぱり監禁じゃねえか!」
「修行ですよ?」
「言い方の問題じゃねえと思うんだけどなぁ……」
柳は頭を抱えた。
琴も小さく息を吐く。
「……先生。課題の内容は、向こうへ行ってから説明してもらえるのかな?」
「もちろんです。お2人の能力や適性を見ながら、必要な課題を設定しますから」
「それならいいけど……」
「それと、向こうではこちらの世界の言葉がそのまま通じないことがあります。ただ、タイムジェイルへ入れば、言葉を理解するための知識が自然と身につくようになっています。特別な勉強をする必要はありませんよ」
「……そんな便利な仕組みまであるのか」
柳が感心したようにつぶやく。
「でも、魔法や技術まで勝手に身につくわけではありません。あくまで、言葉を理解し、教えを受けられるようになるだけです。実際に使えるようになるかどうかは、お2人の努力次第ですよ」
「そこは自分で頑張れってことだね」
琴は納得したようにうなずいた。
「はい。私もできる限り教えますが、最後に身につけるのはお2人自身ですから」
リーゼロッテは微笑み、それから少しだけ表情を引き締めた。
「では、行きましょうか。こちらの世界では2日ほど過ぎる予定です。向こうでの時間の感覚は曖昧ですから、あまり気にしないでくださいね」
「……2日で、どこまで強くなれるんだろうな」
柳がぽつりとつぶやいた。
「それは、これからのお2人次第です」
リーゼロッテはそう答えると、2人の前に手をかざした。
足元に淡い光が広がる。
魔法陣のようにも見える幾何学模様が床を覆い、空間そのものがゆっくりと揺らぎ始めた。
「うわっ……! な、なんだこれ……!」
柳が思わず一歩下がる。
「転移魔法とは、少し違うんだね……」
琴も周囲を見回した。
「ええ。場所を移動するだけではなく、こちらの世界とのつながりを切り離しているのです」
リーゼロッテの声が、いつもより少し遠く聞こえた。
「それでは、お2人とも。準備はよろしいですね?」
「ああ。いつでも来い!」
「うん。お願いします、先生」
2人が答えた瞬間、足元の光が一気に強まった。
視界が白く染まり、周囲の音が遠ざかっていく。
身体が浮き上がるような感覚。
けれど、落ちるわけでも、飛んでいるわけでもない。
自分たちが立っている場所そのものが、別の世界へと切り替わっていくようだった。
そして――。
「……到着しましたよ」
リーゼロッテの声が聞こえた。
柳が恐る恐る目を開ける。
「……おお」
そこは、見たこともない場所だった。
青い空。柔らかな風。遠くには深い森が広がり、少し離れた場所には、周囲の景色に溶け込むように建つ小さな家が見える。
空気そのものが、地球とは違っていた。
濃密な魔力の気配が満ちているのに、不思議と息苦しさはない。むしろ、身体の奥まで澄んだ空気が染み込んでくるようだった。
「……ここが、先生の世界?」
琴が周囲を見回しながら尋ねた。
「はい。私が暮らしていた世界の一部です。もっとも、ここはタイムジェイルとして隔離されていますから、自由に外へ出られるわけではありませんけれど」
「へえ……。本当に異世界なんだな」
柳は感心したようにあたりを見渡した。
しかし、次の瞬間。
「……あれ?」
柳は、ふと自分のスマートフォンを取り出した。
「電波、ねえな……」
「私もだ。圏外になっている」
琴も画面を確認する。
電話も、メッセージも、こちらの世界へつながる手段は見当たらない。
分かっていたこととはいえ、実際に確かめると妙な実感が湧いてきた。
「……先生。本当に、外とは連絡できないんだね」
「はい。タイムジェイルは外部から隔離されていますから」
「そっか……」
琴はスマートフォンをしまった。
もう、こちらの世界の誰にも連絡はできない。
少なくとも、リーゼロッテが課題を達成したと認めるまでは。
「……よし」
柳は一度深呼吸し、バッグを持ち直した。
「来ちまったもんは仕方ねえ。やるからには、とことんやってやるよ」
「うん。私たちで決めたことだからね」
琴も静かにうなずいた。
リーゼロッテは2人の様子を見て、満足そうに微笑んだ。
「その意気です。では、まずは私の家へ案内しましょう。荷物を置いて、少し休んでから修行を始めます」
「……休んでから、だよな?」
柳が念を押す。
「もちろんです」
「……よかった。いきなり魔物の群れに放り込まれるのかと思ったぜ」
「ふふ。そんなことはしませんよ」
リーゼロッテは楽しそうに笑った。
その言葉に、柳はほっと胸を撫で下ろす。
――このときの2人は、まだ知らなかった。
リーゼロッテの言う「少し休んでから」が、どれほど短い休憩を意味しているのか。
そして、この場所で過ごす時間が、どれほど長く感じられることになるのかを。
こうして、柳と琴のタイムジェイルでの修行が始まった。




