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天狼の星  作者: 神箭花飛麟
冒頓本紀

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六 被侵

十年で、匈奴は戻った。

馬は四千頭を超えた。兵は八千。李牧が死に、趙が滅んだ。そして秦が天下を統一した。

それがトゥメンには、嬉しくなかった。

分裂した中華は御しやすかった。統一された中華は、別の獣だった。

「情報が来ました」

部下が言った。若い男で、名をソンコと言った。南の市に潜り込み、商人に化けて帰ってきた男だった。

「秦の皇帝が、北伐を命じた」

「蒙恬か」

「そうです。三十万」

チュルンが指笛を吹いた。左手で、短い音だった。

「三十万」

繰り返した。

「我らは何人いる」

「今ここにいる兵は二万」

「十五倍か」

「計算が速いな」

「得意なのはそこだけだ」

笑えなかった。

トゥメンは地図を見た。

羊の皮に描いた粗い地図だった。オルドスの地形、黄河の蛇行、長城の走る方向。

「来るとしたら、どこからだ」

「陰山を越えて、まっすぐ南から」

「迎え撃てるか」

誰も答えなかった。

答えられなかった。


ボグドが入ってきた。

十九歳だった。背が高く、肩が広かった。目がトゥメンに似ていた。黒く、静かで、しかし奥に何かが燃えていた。

「父上」

「聞いていたか」

「はい」

「どう思う」

ボグドは少しの間、黙った。

「逃げれば、また冬を越えるだけです」

「そうだ」

「戦えば、あの大敗の再現になります」

「そうだ」

「どちらも嫌です」

トゥメンは息子を見た。

「ならどうする」

「戦いながら逃げます。正面から受けない。側面を突いて、引いて、また突く」

「二万で三十万の側面を突くか」

「全部を突く必要はありません。先頭だけ乱せれば、補給が遅れます。補給が遅れれば、秦軍は止まります」

チュルンが言った。

「草原で補給を断てば、大軍は動けなくなる。それは本当だ」

「だが」とトゥメンは言った。「蒙恬はその程度の策、とっくに考えている」

「考えていても、草原の戦い方を知らなければ対処できません」

ボグドの目が真っ直ぐだった。

トゥメンは黙った。

息子の言っていることは正しい。正しいが、命がけだった。

「お前が指揮を取れ」

ボグドは驚かなかった。

「わかりました」


蒙恬の軍が現れたのは、秋の初めだった。

地平線が軍勢で埋まった。旗が風にはためいた。秦の黒い旗だった。

ボグドは丘の上から見ていた。

アンゴトとトルゲルが左右に立っていた。幼馴染だった。三人でよく草原を駆けた。今は副将だった。

「本当に三十万だ」

アンゴトが言った。

「数えたのか」

「数えてない。でも本当に三十万だ」

「俺たちは五百だ」

トルゲルが言った。偵察の五百だった。本隊は後方に二万いた。

「五百で何をする」

「先頭を乱す」

「五百で?」

「やってみる」

ボグドは馬を進めた。


秦軍の先頭は歩兵だった。

重い鎧を着て、盾を持ち、槍を構えて進んでいた。速くはなかった。草原の歩き方を知らない歩き方だった。

五百騎が風のように突っ込んだ。

矢を放ちながら、斜めに駆け抜けた。

先頭の列が乱れた。

しかし秦軍は崩れなかった。乱れた者を後ろの者が補い、また盾の列が整った。

「速い」

トルゲルが叫んだ。

「もう一度」

ボグドは反転させた。

二度目の突撃。また先頭が乱れた。また立て直された。

三度目。

今度は弩兵が前に出てきた。

矢が来た。

アンゴトの隣の男が落ちた。

「退け」

ボグドは叫んだ。

全員が反転した。

追ってくる騎兵がいた。速かった。秦の騎兵も、草原の戦い方を学んでいた。

「散れ」

ボグドは命じた。

五百が五方向に散った。

秦の騎兵は追えなかった。一つを追えば、他から矢が来る。


夕方、本隊に戻った。

死者は十二。負傷者は三十。

トゥメンが待っていた。

「どうだった」

「強い」

ボグドは言った。

「草原の戦い方を、ある程度知っていました。蒙恬は研究した」

「補給は」

「断てていません。補給線が長すぎる。側面に護衛がついていました」

チュルンが言った。

「正面から当たれないか」

「当たれない。弩の射程が長すぎます」

沈黙が落ちた。

焚き火が燃えていた。

「北へ引く」

トゥメンが言った。

「どこまで」

「黄河を越えるまで」

ボグドは何も言わなかった。

オルドスを捨てることだった。淳維が逃れてきた地を、また失うことだった。

しかし答えは一つだった。

「わかりました」


三日の戦闘だった。

逃げながら戦い、戦いながら逃げた。

ボグドは側面を突き続けた。蒙恬の先頭を乱し、補給の荷車を一つ燃やし、夜に奇襲をかけた。

それでも前進を止められなかった。

三十万は、動き続けた。

黄河のほとりに来た時、ボグドの五百は三百になっていた。

アンゴトが言った。

「肩を射られました」

「深いか」

「動けます」

「動けるうちに渡れ」

黄河は秋の水量で満ちていた。馬の腹まで水がかかった。冷たかった。

振り返ると、蒙恬の旗が見えた。

岸まで来て、止まった。

蒙恬は追ってこなかった。

ボグドは川の中で馬を止め、蒙恬の旗を見た。

男が一人、岸に立っていた。鎧を着た将軍だった。遠くてよく見えなかったが、こちらを見ていた。

しばらく、目が合っていた気がした。

それから、その男は踵を返した。


北岸に上がった。

ボグドは馬から降り、膝をついた。

草原の地面に、手を当てた。

冷たかった。固かった。

「父上」

トゥメンが馬で来た。

「オルドスを失いました」

「わかっている」

「申し訳ありません」

「なぜ謝る」

トゥメンは馬から降りた。息子の隣にしゃがんだ。

「お前がいなければ、二万全部失っていた」

「でも」

「オルドスは、また取り返す」

ボグドは顔を上げた。

トゥメンの目が、静かだった。怒りも絶望もなかった。

「いつか」

「いつかだ。今日じゃない」

草原の風が吹いた。

北から来た風だった。寒い風だった。

しかし、ボグドには温かく感じた。

レビュー、評価、感想をしてくだされば嬉しいです!!!!!

紀元前二百十五年、秦の蒙恬は三十万の大軍を率いて匈奴を討伐し、オルドスを奪還した。匈奴は七百里北へ退いたと史書は記す。蒙恬の生存中、匈奴は南下することができなかった。

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