十一 南の風
楚漢戦争は、三年続いた。
ボグドはその間、南の国境から動かなかった。
毎日、報告が来た。
「項羽が勝ちました」
「劉邦が逃げました」
「また項羽が勝ちました」
「また劉邦が逃げました」
チュルンが言った。
「項羽という男は、本当に強いですね」
「強い」
「劉邦は弱い」
「弱い」
「なぜ劉邦を応援するんですか」
ボグドはチュルンを見た。
「応援していない。観ている」
「どちらが勝てばいい」
「どちらでもいい」
「なぜ」
「どちらが勝っても、次は北を向く。そこで会えばいい」
チュルンは一本腕を揺らした。
「用意周到だ」
「用意するのは今のうちだ」
ソンコが南から戻ってきた。
顔が黒く焼けていた。三ヶ月、潜り込んでいた。
「劉邦が天下を取りそうです」
「いつ頃だ」
「一年以内かと」
「項羽は」
「追い詰められています。垓下というところで包囲されました」
「逃げないのか」
「逃げる気がないようです」
ボグドは頷いた。
「項羽という男は、どんな男だ」
ソンコは少し考えた。
「強い。誰よりも強い。しかし、一人で戦う男です」
「一人で」
「周りを信じない。自分の腕だけを信じる。だから負ける」
ボグドは黙った。
鳴鏑を、手の中で転がした。
一人では勝てない。五千が同じ方向を向かなければ意味がない。
それを学んだのは、いつだったか。
項羽が死に、劉邦が漢の皇帝になった。
翌月、ソンコが報告した。
「劉邦が、北の辺境を整備し始めています」
「誰を置いた」
「韓王信という男を、代の地に」
「どんな男だ」
「軍才はある。しかし、心が定まっていない男です」
ボグドは地図を見た。
代の地は、匈奴との国境に近かった。
「韓王信に接触しろ」
「どのように」
「国境を小突く。奴の様子を見る」
二度、国境を侵した。
一度目は韓王信が兵を出してきた。追い払った。
二度目は、韓王信が使者を送ってきた。
「和平を求めています」
「劉邦には報告しているか」
「していません」
ボグドはテムルを見た。
老人が言った。
「心が定まっていない男は、大国と小国の間で揺れます。揺れを大きくすれば、どちらかに倒れる」
「どちらに倒れさせる」
「こちらへ」
ボグドは頷いた。
「韓王信に伝えろ。匈奴は悪い隣人ではない、と」
翌年、韓王信が漢に叛いた。
匈奴に降った。
ソンコが笑いながら戻ってきた。
「本当に来ました」
「当然だ」
「劉邦が怒っています。自ら軍を率いて来るそうです」
「何万だ」
「三十万、いや四十万という話も」
アンゴトが顔色を変えた。
「三十万ですか」
「蒙恬と同じか」
「蒙恬と劉邦では、将としての器が違います」
チュルンが言った。
「どちらが上ですか」
「蒙恬だ」
「では、蒙恬より楽か」
「楽ではない。数が多い」
トルゲルが地図を指した。
「平城の山道を通ってきます。騎兵が多い匈奴には不利な地形です」
「逆だ」
ボグドは言った。
「山道は補給が遅れる。大軍ほど、補給が遅れれば動けなくなる」
「どこで迎えますか」
ボグドは地図の一点を指した。
「白登山」
準備を始めた。
兵を四方に分けた。
東に青毛の馬。西に白毛の馬。南に赤毛の馬。北に黒毛の馬。
色で分けたのには理由があった。
遠くから見ても、どこに何がいるかわかる。
包囲を整然と維持するためだった。
アンゴトが言った。
「四十万を四色に分けるのですか」
「そうだ」
「壮観だ」
「壮観で終わらせない。本当に包囲する」
「どれくらいの兵がいますか、今」
ボグドは答えなかった。
チュルンが代わりに言った。
「四十万だ」
アンゴトは目を丸くした。
「いつの間に」
「東胡の降兵、月氏の残党、楼煩、白羊。草原が統一されれば、全員が単于の兵になる」
ボグドが言った。
「蒙恬と同じ数で、劉邦を包む」
劉邦が来た。
予想通り、山道を急いで来た。
韓王信の寝返りに怒っていた。周りが止めるのを聞かなかった。先を急いだ。
ソンコが報告した。
「本隊から騎兵だけが先行しています。歩兵が遅れています」
「騎兵だけか」
「劉邦自身が、騎兵を率いています」
チュルンが言った。
「罠だと思わないのか」
「思わないのが、劉邦という男です」
ボグドは頷いた。
「引け。白登山まで引け」
匈奴の前衛が、じりじりと後退した。
劉邦の騎兵が追ってきた。
白登山の麓まで来た。
「今だ」
四方の軍が、動いた。
東の青毛。西の白毛。南の赤毛。北の黒毛。
四十万が、白登山を囲んだ。
山の上で、劉邦は立ち往生した。
七日が経った。
食料が尽きかけた。
歩兵の本隊は、まだ来ていなかった。
ボグドは山の麓から、旗を見ていた。
劉邦の旗が、白登山の頂に立っていた。
風に揺れていた。
「降りてこないですね」
トルゲルが言った。
「意地を張っている」
「いつまで待ちますか」
「急がない」
「なぜ」
「ここで殺しても、次の皇帝が来る。ここで屈服させれば、貢物が来る」
テムルが言った。
「賢い選択です」
「賢くはない。実際的なだけだ」
焚き火を囲んで、ボグドは夜空を見た。
星が輝いていた。
ここまで来た、と思った。
淳維が逃げた地から、ここまで。
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