表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天狼の星  作者: 神箭花飛麟
冒頓本紀

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/18

十 西へ

西への道は、長かった。

草原が続き、砂漠が続き、また草原が続いた。

水場を探しながら進んだ。一日に三十里進む日もあれば、十里しか進めない日もあった。

アンゴトが言った。

「月氏の都まで、あとどれくらいですか」

「五日」

「本当ですか」

「ソンコの報告では」

ソンコは三ヶ月前に先行していた。月氏に潜り込み、兵の配置を調べていた。

「月氏は準備していますか」

「していない」

「なぜ」

「東胡が滅んだことを、まだ信じていない」

トルゲルが言った。

「信じられませんよね、普通は」

「だから今のうちだ」


ゲレルのことを考えていた。

考えるつもりはなかった。しかし、月氏に近づくほどに思い出した。

草原を一緒に走ったこと。

弓の引き方を笑われたこと。

「嫌いになれなかったから」という声を。

アンゴトが読んでいた。

「会うつもりですか」

「戦に来た」

「わかっています。でも」

「ない」

「本当に」

「ない」

アンゴトは黙った。しばらくして言った。

「タグルは殺しますか」

ボグドは少しの間、黙った。

「降れば、殺さない」

「降らなければ」

「戦だ」

「ゲレルは」

「ゲレルには関係ない話だ」

アンゴトは何も言わなかった。

ボグドも何も言わなかった。


月氏との戦いは、東胡より手こずった。

月氏は強かった。馬が良く、弓が長く、将が冷静だった。

タグルは慢心していなかった。東胡が滅んだと聞いて、すぐに陣を固めた。

「やはり準備していた」

チュルンが言った。

「ソンコの情報が古かった」

「どうしますか」

ボグドは陣を見た。

月氏の陣は堅かった。正面から当たれば消耗する。側面を突こうとすれば、騎兵が出てくる。

「兵糧はどれくらいある」

「十日分」

「月氏は」

「一月以上は持つはずです」

「では、動かす」

「どうやって」

「西に部隊を送る。補給路を断つふりをする」

「ふり、ですか」

「本当に断てるほどの兵はない。しかし、タグルは動く。補給を心配する王は必ず動く」


三日後、月氏の陣が動いた。

右翼の一部が、西に向かった。

ボグドはそこに全力をぶつけた。

鳴鏑が飛んだ。

矢が一斉に放たれた。

右翼が崩れた。

崩れた右翼から、本陣に雪崩れ込んだ。

月氏の中軍が乱れた。

タグルが馬で逃げるのが見えた。

「追うな」

ボグドは言った。

「なぜですか」

「降伏の使者を送る。タグルが生きていれば、部族をまとめて降れる」

「しかし、逃がしたら再び」

「再び来たら、また倒す」

アンゴトは納得していない顔だった。

それでも、追わなかった。


使者を送った。

タグルから返事が来た。

降らない、と言った。

西へ行く、と言った。

ボグドは少しの間、その返書を見ていた。

「追いますか」

ソンコが聞いた。

「追わない」

「なぜ」

「西の果てに何があるか、俺は知らない。知らない場所で戦うのは、得策ではない」

「しかし月氏を生かしておけば」

「西に行けば、月氏はもう匈奴に関われない。草原の西端から先は、別の世界だ」

ボグドは返書を置いた。

タグルの字だった。

太い、力強い字だった。腹の出た男とは思えない字だった。

ゲレルも、今頃西へ向かっているのだろう。

「借りを返す機会が、なくなった」

小さく言った。

誰にも聞こえなかった。


月氏の陣営を接収した。

馬が多かった。食料も武器も。

兵たちが喜んだ。

テムルが来た。

老いた足で、しかし真っ直ぐ歩いてきた。

「月氏が西に去りました」

「ああ」

「東胡も月氏も、いなくなりました」

「ああ」

「草原は、匈奴のものになりました」

ボグドはテムルを見た。

老人の目が、光っていた。

「あなたのお父上が、ずっと目指していたことです」

ボグドは答えなかった。

「お父上は、弱かった。しかし諦めなかった。その積み重ねが、あなたを生んだ」

「テムル」

「はい」

「余計なことを言うな」

テムルは黙った。

しかし、かすかに笑っていた。


南に向かった。

オルドスを取り返すためだった。

蒙恬の旗は、もうなかった。

ソンコからの報告では、蒙恬は死んでいた。趙高という宦官に殺されたと言った。秦は乱れに乱れ、各地で反乱が起きていると言った。

「今だ」

ボグドは言った。

誰も異論を言わなかった。


長城に着いた。

石造りの壁が、地平線まで続いていた。

ボグドは馬を止めた。

この壁を、淳維の子孫たちは何度も見た。

越えられない壁として、あるいは越えてはならない壁として。

「壊すか」

アンゴトが聞いた。

「いらない」

「なぜ」

「壊したら、次に南から来た時に使えない」

アンゴトは笑った。

「なるほど」

匈奴の騎兵が、長城の門を破った。

蒙恬が奪ったオルドスに、匈奴が戻ってきた。


オルドスの草原に立った。

風が吹いていた。

南の風だった。

ボグドは目を閉じた。

ここは、淳維が追われた地だった。

ここは、バータル単于が弓を引いた地だった。

ここは、トゥメンが守れなかった地だった。

そして今、ここにいる。

「父上」

また、声に出した。

「オルドスに戻りました」

風が強くなった。

草が揺れた。

チュルンが一本腕を空に向けた。

アンゴトが剣を上げた。

トルゲルも。ソンコも。テムルも。

五千の兵が、武器を空に向けた。

誰も声を出さなかった。

その沈黙が、一番大きな声だった。

レビュー、評価、感想をしてくだされば嬉しいです!!!!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ