買収と完敗
あたしは改めて、『彼女』に視線を向ける。
『彼女』は呆然としているように見えた。
「――ことがありまして。変質――から、勇猛果敢に――くれた彼女を、ボディ――にしたいの。ええ。――ように。手配――、任――わ」
小声で何か独り言を呟いている。よく聞こえないが、支離滅裂なことを言っているようだ。(たぶん)
そりゃあ、温室育ちのお嬢様が不良同士の争いを見れば、そうなるか。
やがて、『彼女』は、あたしの視線に気付いたようにはっとし、頭を下げた。
「助けていただきありがとうございました。クルミさん? でよろしいのかしら?」
調子狂うなあ……、素振りが、いちいちかわいいんだよ。こんちくしょー……。
――それは『彼女』が、あたしへ向けた初めての声。
内心、ドッキドキだが、包み隠さねばならない……。
「……ああ、あたしは、胡桃で合っている。香坂胡桃だ。あの程度のこと、礼には及ばねーよ、あたしの顔を見て、奴等が勝手に退散しただけのことだ。それよりあんたも名乗れ」
『彼女』を見ていると、なんか……アレな気分になりそうだったので、ちょっと目線をそらしたため素っ気なくなってしまったか。あたしはそんなことを気にしたが『彼女』はそれどころではないようだ。
「ままま。花園家の次期当主たるわたくしが自己紹介で後手に!」
「…………次期当主……?」
『彼女』は、はっとしたように口元に両手をあてた。
「こほん」
失態を取り繕うように、咳払い。
「これは失礼いたしました。申し遅れましたわ。わたくし、花園みやびと申しますの。以後お見知りおきを」
「……ああ、あの花園か、道理でな」
「ご明察。胡桃さんの、ご想像の通りですわ。わたくしは、かの花園グループ総帥の娘ですの」
「……そうか」
「そうですの」
みやびがニコッと微笑んだ。エンジェルスマイルだ。心臓とくん。呼吸乱れる。オチツケ、オチツケ。
「……やっぱり有名人だと、いつもあんな感じで絡まれるのか?」
「さすがに毎日ではございませんが、不埒な輩に付け狙われる事が多くて……、とても困ってますの」
「そうなのか……。お嬢様ってのも大変なんだな……」
「ところで、胡桃さん、私のボディーガードになりませんこと? もちろん、報酬は弾みますわよ」
「……おいおい、いきなりすぎねーか? それは」
「わたくし、人を見る目だけはあると自負してますのよ」
みやびが胸を張った。
「だとしてもだなぁ……」
「駄目、ですの?」
あたしは、みやびの真意を探るため、考え込む。
――あたしみたいな不良を捕まえて、人を見る目があるって? 世間知らずも良いところだ。喋り方もなんかおっとりしているし……。
みやびをちらりと見る。微笑みを送られた。お嬢様らしく微笑みをたやさないらしい。
そんなみやびは、どことなく、ほっとけない感じで庇護欲を掻き立てられる佇まいだ。
こんな様子じゃ、たしかにボディーガードは必要かもしれないな……。
《「――ええ、援助しますわ」
みやびがスマートフォンに接続されたワイヤレスイヤホンを使用し通話しだしたが、考え込んでいる胡桃がそれに気付くことはなかった》
それに花園家は金持ちだ。創業うん百年の会社を企業した創業家で、つまりその会社はファミリー企業であるから、創業家一族である花園家が実質的な支配権を握っているというわけ。
《「はい、お母様。よろしくお願いしますね」
みやびが電話を切る。それでも、胡桃は気付かない》
たんまりお金を蓄えていると思われるから、ボディーガードの依頼は、あたしにとってもいい話となる。だけれど、あたしみたいな見るからに素行の悪い不良をボディーガードとするなんて、彼の花園家が許すだろうか?
第一、みやびがあたしを望む意味がわからない。花園家程の財力があるならば、ボディーガードなんて、他にもいくらでも見つけられるだろうし、そもそも今までボディーガードが居ないとは思えない。
考えていても、自分の頭の回転では答えにたどり着けない――あたしはそんな風に結論をだした。
なので、直接聞くことにした。
「あたしをボディーガード? はっ、笑わせてくれる。一体、何が目的だ?」
「何が目的と言われましても、困りますわね……」
みやびは、答えを考えるような素振りを見せる。なにやらぶつくさ言いだす。
やがて、考えがまとまったのだろうか、こちらを見るみやびは――なぜか頬を染めていた。
「そうですわね。強いていうなら――」
恋する乙女のような仕草で、言葉を紡いでいく。
「胡桃さん、目当てかしら」
あたし、目当て……?
……マジかよ。
確認のために、――それって、どういう意味だ? と訊く間もなく。
「――へあっ!?」
がしっと腕を掴まれた。突然の接触だったので思わずドキッとしてしまう。箱入りお嬢様なのか、力はそんなに強くなかったが、不思議と払いのけらない凄みがあった。
「では、行きますわよ」
有無を言わさぬ勢いのみやびに引き摺られる。
急にどこかへ向かうと言われて、わけがわからず、あたしは狼狽える。
「いくってどこに!?」
あたしを引っ張るみやびが立ち止まった。
「もちろん、わたくしのお屋敷へですわ」
さも確定事項のようにみやびは言うが、あたしは捲し立てるような、既成事実を作るかのような、そんな勢いについていけていなかった。
「聞いてない!!」
「今、聞きましたわ」
「急すぎるだろ!」
「時は金なりですのよ」
「まてまてまてまて」
「逃しませんわ」
「それに、あたしはまだボディーガードやるなんて、一言も――」
あたしの言葉は、それ以上続かなかった。
なぜなら、みやびがスマートフォンを手元でピコピコし、あたしの眼前に突き付けたからである。どうやらスピーカー機能を使ったらしく、スマートフォンのスピーカーから、声がする。――それは、あたしの母親の声だった。
『胡桃、花園家のみやびさんとお友達になったのね。母子家庭でちょっと苦しいところを、花園家に、援助してもらえるみたいで、お母さん助かっちゃったわ』
「はぁっ!?」
『みやびさんのところで、ボディガードのバイトやるんだって? 頑張ってね、胡桃! あなたは我が家の救世主よ! それじゃ!』
「ちょっ! まっ!――はぁ? わっけわかんね……」
電話が切れてしまった。
あたしは理解が追い付かないことへの苛立ちを、地面にぶつけるかのように、地団駄を踏む。
そんな様子を見て、くすりと笑ったみやびが物知り顔で言う。
「胡桃さんは今日から私のボディーガード。これはもはや決定事項ですのよ。胡桃さんのご家族はわたくしが買収させていただきました。もう胡桃さんに拒否権はありませんわよ?」
『買収』とかいう、とんでもないワードが出た。
――財力こええええ。
みやびの手際のよさに、あたしは戦慄した。
しかし、わからないことが一つある。
――いつだ? どのタイミングに、母さんを『買収』したんだ……?
さっきの行動を思い起こす。
三人もの不良少女と相対したあたし。
その間、みやびは何をやっていた?
そしてもうひとつ、三人の不良少女を撃退した後、たしかみやびは――独り言を言っていた。
さらに、ボディーガードと突然言われ、それについて不信感を募らせ、みやびの思惑を探ろうと、考え込んだあの時、みやびは何をやっていた?
ジグソーパズルがカチリとはまるかのように、点と点が繋がり、答えに辿り着いた。
――ああ、そうか。
思い起こすまでもなかった。時間はいくらでもあったのだ。
(あたしが他に気を取られたタイミングに、色々手回ししやがったのか……)
あたしが迂闊だったのか、みやびが一枚上手だったのか定かではないが。どうやら、してやられたようだ。類いまれなる才能があるのが窺える見事な手腕である。
…………くそぅ……、油断した。
不良少女たちに気を取られすぎたのと、みやびのことを考えてしまったのとで、みやびがやり取りをしていた事に気付かなかった。
そんな胡桃の心中は露知らず、みやびは思った以上に事が上手くいったことに安堵する。
みやびが裏で手を回していたことに胡桃が気付けなかったのは――それもそのはず、みやびはワイヤレスイヤホンを駆使していた。
だから、胡桃は気付けなかったのだ。そして、それを胡桃が知ることも勘づくこともないだろう。だって胡桃は、ワイヤレスイヤホンなんて使用すらしたことすらないから。
極論ではあるが。最近の技術の躍進には目を見張るものがあるということだ。最先端についていかなければ、取り残されてしまうおそれだってある。つまるところ、みやびは、胡桃の情報への疎さを利用したのだ。
不良少女たちは予想外のアクシデントだったけれど、とてもいい出会いがあったわね。と、みやびは心のなかでほくそ笑んだ。
そんなみやびの心情は露知らず。胡桃は――、
――てか、どうやってあたしんちの電話番号を知ったんだ?
みやびに腕を引かれながらそんなことを疑問に持つ。
だがしかし、考えても考えても答えがでなかった……。
個人情報を突き止めた手段について、結局、答えは分からずじまいだった――とはならず、その答えはみやびによってすぐに示されるのだった。
みやびは、あたしの手を現在進行で引いている手とは反対の手に誰かの生徒手帳を持っていた。――というか、あたしの学校の生徒手帳だ。
もしかして……。
全てが繋がった、気がした。
「そういえば、『生徒手帳』落としましたわよ。勝手に中を拝見してしまい、申し訳ありませんでした」
それは、やはりあたしの生徒手帳だった。
そうか、あたしの番号を知ったのは生徒手帳か!
――生徒手帳。それはあたしにとって盲点だった。滅多に出すことも使うこともないし、スカートのポケットに入れっぱなしだったのである。
「――ああ!」
慌てて、みやびの手から生徒手帳をふんだくる。
「――ななな!」
生徒手帳を見ると、あたしの家の電話番号が書かれていた。
つまり、個人情報がガバガバだったのだ。電話番号書き込んだのはおそらく母さんだろう。電話番号を書くのは、まあ、間違ってはいない、だからそれは別にいいのだが……。
それをみやびに利用されたのが、とても癪にさわったのだ。
「ちくしょう、勝手に見やがって! 下手すりゃ犯罪だぞ!」
しかも、お嬢様がスリをした説まである。本場のスリ師がどんなものかはわからないが、スリの手管を身に付けている奴はこの近辺にも出没するから、対抗するために感覚は研ぎ澄ました。そんなあたしに悟らせずに取るとは相当な技量だぞ……。
あたしは、みやびを睨むが微笑みで流される。なんとも調子が狂わされる奴だ。こいつのペースに呑まれる前に早く逃げだしたい……。けど、駄目だ、みやびの華奢な腕は、あたしが全力で抵抗したら折れてしまいそうで……。あたしは全力を出せない。
それを知ってか知らずか、みやびが進行方向へと向き直り、右手で指し示した。
「ほら、行きますわよ?」
そして、再び腕をくいっと引かれる。抵抗するが、いなされた。《鬼胡桃》とまで言わしめられた、歴戦の猛者であるあたしが、こうもあっさりと……。
その様はまるで、猛犬と飼い主のようで――
――くっそ……完全にみやびのペースに持ってかれてる……天然め……。
あたしは心中で毒づいた。もはや、完敗であった。