#008 涙
推敲に手間取り、少し遅れてしまいました。
申し訳ありません。
レイカと雪那が二人で会場から離れて数十分程経った頃。
父である宗吾と共に仕事の関係者達と挨拶を交わしながら情報交換や世間話を笑顔でこなしていた沙那も、ようやくそれらが一段落ついた。
今回の美堂コンツェルン主催のパーティーは、あくまでも懇親会だと銘打っている毎年恒例の行事だ。
特に大きな取引に繋がるようなものではなく、また今後とも宜しくお願いしますと頭を下げ合いながら、美堂コンツェルンの下についた様々な企業の横の繋がりを強める意味合いを持っている。
しかし、こんな8月の中旬――つまりは盆のシーズンに催すとは、正直言って予想外だった、というのが沙那の感想だった。
それでもこんな非常識が認められるのは、美堂コンツェルンの強さ故なのかもしれない。
ようやく一息ついてワインを口に含みながら、沙那はそんなことに思いを馳せる。
(……これなら、別に雪那を帰しても問題なさそうね)
わざわざ水琴を介して悠木を呼び出し、『日和祭り』に向かわせているのだ。
雪那さえ間に合えば合流出来るだろうと沙那は踏んでいる。
そんな事を考えていた沙那の前方で人垣が割れた。
その先から、雪那が凄まじい剣幕を放ちつつ沙那へと歩み寄ってきているのだ。
思わずジリっと後方に半歩下がった沙那の目の前で、雪那が明らかに不機嫌そうに眉を寄せて立ち止まり、自分より頭一つ分ほど背の高い沙那の顔を見上げた。。
「帰る」
「……は?」
「用事が、出来たの。私、帰る」
一言ごとに増す勢いを前に、沙那も思わず首を縦に振った。
美堂レイカとの挨拶は果たした。十分に義理は果たし、両親も後で丸め込めば良いだろう。
(……何より、この状況で足止めしたりしたら、それこそ姉妹関係が絶縁されそうな勢いよね……)
むすっと頬を膨らませた櫻家のお姫様を前に、沙那は自分にそう言い聞かせる。
怒ると無言になるお姫様モードが発動してしまう前に手を打つしか、沙那に残された道はないと言えた。
手に持っていたポーチから財布を取り出し、仕事用に渡されている宗吾のカードを手渡した。
「タクシー、これで払いなさい」
「良いの?」
「今日こうして付き合ったんだから、交通費ぐらい大目に見てくれるでしょ。それに、この時間なら8時からの花火にもギリギリで間に合う頃よ。悠木クンは日和神社にいるわ」
「え……?」
「ほら、説明している時間もないわ。さっさと行った行った」
悠木が何故いるのか。どうしてそれを知っているのか。
問い詰めたい気持ちを抑えて、とりあえず雪那は沙那に短くお礼を告げて、走らない程度の早歩きで会場を後にする。
待機していた一台のタクシーに乗り込み、日和町に向かって走り出す。
そのタクシーの中で、雪那は窓の外を見てぐっと口を食い縛った。
『――ユーキと雪那さん、付き合ってるの?』
先程レイカから言われた言葉を思い出し、呑み込んでいた怒りが再燃する。
(……色々と疑問ばかりだけど、これだけはハッキリしたわ……。美堂レイカ。彼女と私は絶対に合わないわ……!)
静かに怒りを燃やす雪那。
その姿を見て、先程から話しかけながら車内の空気を和ませようとしていた運転手の男性は、その姿に否応なくその口を噤むことを決心させられるのであった。
そんな密かな英断に気付かない雪那が、気持ちを切り替えるように一度嘆息する。
(……悠木クンの過去、か……)
なんだかんだと自分の家庭事情やらを一切話そうとしない悠木。
そんな彼の過去をこれまで気にしたことはなかったが、まさかそんなものを引き合いに出され、その上で告げられたレイカの言葉は腑に落ちるものではなかった。
苦い先程までの会話を思い返す雪那であった。
◆ ◆ ◆
そろそろ7時半。
空が藍色に染まり始めた頃、俺と瑠衣は『神降し』を見に向かった。
予定では、『神降し』の終わりと同時に花火が打ち上がるそうだ。
意外と演出に凝っているな。
階段を登り切った先は、先程までの祭りの喧騒とは少しばかり空気が違った。
階段の下にある屋台などは、活気に溢れ、熱に浮かされた空気だとするなら、階段を登った先は、穏やかな、それでいて活気が滲み出ているような不思議な空気に包まれていた。
「悠木先輩、ちょうど始まるみたいですよ」
瑠衣に言われて舞いが行われる一室に目を向けると、そこに現れた巫女服を少し派手に改造したような、衣装に身を包んだ少女が現れた。
鳴り始めた雅楽。
耳に伝わってくる独特の音と共に、能面を被って前へと歩み出る。
独特な空気にあてられて、なんだか眩暈にも似た感覚が身体を襲った。
舞台上で神楽鈴と呼ばれる、およそ50センチ程度の長さの鈴を揺らし、響かせる。
その音と、廊下に置かれた松明が揺れる光景。聴こえて来る雅楽のそれらが合わさって、不思議と胸が締め付けられる気がした。
この舞いを見に来ていたご高齢な方々の感嘆の声がわずかに漏れる。
思わず見惚れていた俺の横で、瑠衣が俯いた。
小さいから見えないのか、とでもからかおうとした俺の目に移ったのは、俯いた先から地面に向かって零れ落ちた雫だった。
俯いていた瑠衣の瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れていく。
「……瑠衣、少し動こうぜ」
「……だめ、です……。今はちょっと、動きたくない気分、ですよ……」
「俺が動きたい気分なんだよ」
それだけ告げて、強引に瑠衣の細い腕を引っ張り、人混みから離れて歩いて行く。
人混みを掻き分けながら。泣いている姿に気付かないふりをしながら。
俺は瑠衣の腕を引っ張って歩いた。
人垣を離れ、薄暗い神社の裏手へ。
確かこの先には、巧や篠ノ井なんかと遊んでいた頃に見つけた、人のいない空き地があったはずだ。
◆ ◆ ◆
強引に引っ張られながらも、瑠衣は込み上がってきた感情が溢れてしまいそうで反論すら口に出すことも出来ずにいた。
悠木に泣いている姿を見られたくはなかった。
悲しんでいる姿を見せたくはなかった。
――なのに、あの舞いを見ていたら、不意に思い出してしまった。
きっと自分の腕を引いている悠木は、自分が泣いたと気付いたのだろう。
じゃなきゃ、普段は強引な真似をしない悠木が、わざわざ腕を引いてまで前を歩こうとなんてしないはずだ。
そんな普段との差異が、悠木が気付いたのだと瑠衣に理解させる。
ようやく二人が歩みを止めたのは、木々を抜けた日和神社の裏手にあたる山の中腹だった。
開けた視界の先には、ちょうど花火が上げられるであろう場所が見える。
この場所から日和神社を眼下に挟み、斜め向こうの山の中腹から花火が上がる予定になっていたはずだ。
「……あー、その、なんつーか。とりあえずここなら泣けんだろ」
ぎこちない言葉で、悠木は頭をぽりぽりと掻きながら声をかける。
かけられた予想外な言葉に、瑠衣は俯いたまま小さく笑った。
「……普通、どうしたとか大丈夫かとか、そういう言葉を口にすると思うですよ……?」
「どうしたって聞いたら、何でもないって答える。大丈夫かって聞いたら、大丈夫って言うだろ、お前」
「……それも、そう、ですね」
こういう部分が、ある意味悠木らしいと言える。
そう瑠衣は、頭のどこか冷静な部分でそんなことを実感していた。
そもそも今日こうして悠木を誘ったのは、水琴からの提案によるところだった。
なんだかんだと言いながら水琴に乗せられてみたものの、本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
その相手は悠木ぐらいなものだったのかもしれない。
そんな事を自覚した瞬間、瑠衣の目からは大粒の涙がポロポロと零れた。
「悠木先輩」
「ん……――ッ」
声をかけられて振り返った悠木は、瑠衣の表情を見て目をむいた。
月光に照らされて浮かび上がった瑠衣は、頬に涙を伝わせながら笑っていた。
胸元で小さな拳をきゅっと握り締め、瑠衣は小さく口を開いた。
「わ、たし、フラれちゃった……ですよ……」
口元を震わせながら、声を絞り出した瑠衣が悠木に向かって笑顔で泣いた。
瑠衣は震えた調子で呼吸する。
「ホントに、ずっと好きだった相手にフラれる、なんて、ちょっと、辛いです」
「……そっか。巧に、告白したんだな」
全てを悟ったように告げた悠木の言葉に、瑠衣は頷いて肯定を返した。
一度下げた頭を上げることも出来ずに、瑠衣はそのまま俯いて身体を小さく震わせていた。
「……好きだった、です……。ずっと、中学生の頃から、ずっと……。でも、ゆずさんがいて……、無理だって、自分でも、分かってたです……」
――中学を卒業していく巧とゆずを見送って、一度は諦めかけた恋だった。
高校に入って、弱い身体でもテニス部に最初に入ったのは、諦め、断ち切る為だった。
身体を動かしていれば、いつか忘れられるんじゃないか。そんな気持ちを胸に抱いたのだ。
それでも身体がそれを許してはくれず、激しい運動にはついて行けなかった。
心のどこかでは巧の姿を探してしまっていた。
そうして『読書部』へとやって来て、瑠衣は相変わらずの巧とゆずの現状を知った。
同時に、心のどこかで安堵しながらも絶望にも似た感情を抱いた。
巧とゆずの関係は、未だに中学時代と何も変わっていない。
それは、瑠衣が断ち切ろうとした、立ち入れるかもしれないという淡い期待を再燃させた。
「なのに、どうしてこんなに辛い、ですか……? フラれるって分かってたのに。今はもう、前みたいに単純に好きって気持ちだけじゃなかったのに、どうして、ですか……?」
くりくりとした大きな瞳に涙を溜めて、それを次々に頬に伝わせて、瑠衣は悠木を見つめた。
くしゃっと顔が歪んでしまいそうで、少しでも気を抜けば大泣きしてしまいそうで、瑠衣はそれを耐えている。
口元は今にも、ちょっとした一言を紡ごうとすれば歪み、それが必死に抑えている感情のダムを決壊させそうな気がする。
それでも瑠衣は、口を突いて出て来る言葉を止めることは出来なかった。
「好きでいるのも、辛いです……。フラれた方がいっそ、すっきりすると思ったですよ……っ! なのに……っ! どうしてこんなに、辛い、ですか……っ!」
言葉にするだけで、感情の箍が外れてしまった。
顔を歪ませてみっともなく涙しながら、何度も、何度も頬を伝う涙を手で拭う。
それでもぼろぼろと零れ続ける涙が止まってくれず、感情はぐるぐると胸の中をかき回した。
八つ当たりにも似た感情の吐露。
それを悠木にぶつけている自分の傲慢さにも嫌気がさす。
唯一の救いは、悠木が何も言わずに待っていてくれることだろうか。
気まずさに沈黙している訳でもなく、ただ聞いてくれているだけでいてくれる悠木が、瑠衣にとっての救いだった。
◆ ◆ ◆
――瑠衣が、泣いていた。
涙をぼろぼろと零し、それを拭い続ける瑠衣の姿はまるで小さな子供のようだった。
もちろん、普段からかっているそれとは違う。
行き先が解らなくなってしまった、迷子の子供。
何故か俺は瑠衣を見て、そんな感想を抱いてしまった。
でもあながちそれも間違ってはいないんじゃないかって、そう思う。
一つの目的地を失って、放り出されてしまったような危うさがあった。
何も言えない。
俺はただ何も言えないまま、瑠衣が落ち着くのを待っている事しか出来なかった。
――俺と違って、こんなに頑張ってる相手に、俺なんかが何かを言えるはずがなかった。
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