#006 悠木という少年
――本当なら今頃は……。
雪那は車の後部座席に座りながら、窓の外を流れていく景色を見つめて嘆息した。
現在雪那は、父である宗吾が運転する車に乗って、以前華流院園美の誕生日パーティーを行ったあのホテルへと向かっている。
件の美堂コンツェルンが主催するパーティーに参加する為に。
今日は『日和祭り』。
なのに自分は、よりにもよって日和町から遠く離れていく車に揺られている。
ままならないものだと、嘆息せずにはいられない。
(……悠木クン、怒ってないかしら……)
悠木からの連絡があまりにもあっさりし過ぎていた為に、かえって雪那は不安だった。
もしや自分に幻滅しているのではないかと考える度に、雪那の小さな口からは溜息が漏れてしまう。
そんな雪那の横顔を見て、沙那はスマフォを手に取ってメールを送っていた。
送信相手は水琴だ。とは言え、よりにもよって今日は水琴も夏の祭典の本番を迎えている。
悠木を連れ出せる相手と言えば、思い当たるのは彼女しかいない。
そんな沙那なりの気遣いから、水琴を通して瑠衣に連絡が届いたのは『日和祭り』の当日の昼前の出来事であった。
◆ ◆ ◆
巧と篠ノ井のゴタゴタに巻き込まれて、すでに数日。
今日は『日和祭り』の当日だ。
7年前のあの夏を、つい思い出してしまう。
去年は確か、この部屋で一人、どうしようもなく落ち着かない気分で『日和祭り』に出向こうかどうしようかと迷っていた。
……まぁ結局、俺は出向かない方向で落ち着いたんだけど。
雪那とはあの後、何度かメッセージをやり取りしていた。
何でも、親父さんの会社に関係するパーティーに参加して欲しいと言われたらしく、断ることは出来なかった、とか。
何度も謝ったりもするから、まるで俺が悪者になった気分だった。
とりあえず了解して、来年こそは一緒に行こうなんて約束をしてみたが、ある意味俺達にとっては今年こそ行くべきだったような、そんな気がしなくもない。
まぁ口には出せないし、来年こそはとは思うけども。
クーラーの効いた昼下がりの自分の部屋で、ベッドで横になっている俺。
手に持っていたスマフォを、仰向けになって顔の上で眺めていたその時、スマフォが鳴動して俺の指をすり抜け、顔にダイブしてきた。
誰のせいかと思いつつスマフォを見てみると、そこには瑠衣からのメッセージが入っていた。
『悠木先輩、今日暇ですか? もし暇だったらお祭り行きませんか? この間の埋め合わせするですよ』
可愛らしい顔文字と共に送られてきたメッセージに、俺の理不尽な痛みは消えた。
まさかの瑠衣からだ。
そういえば、この間友達と遊ぶって言っていた以来、連絡はしていなかったな。
なんだかんだで友達との関係も良好なのかと思いきや、祭りに俺を誘ってきたってことはあんまりそういう訳でもないんだろうか。
『おいーす。暇だし、行けるぞ。おいちゃんが綿菓子買ってあげるからな』
『死ねば良いです。準備したら学園の門に向かうです』
僅か数秒でメッセージが返ってきた。
俺がボケるって踏んでたんだろうか。しかも俺が了承することも。
ともあれ、このまま悶々と過ごすよりは良いだろう。
俺は得意のシャツと七分パンツという出で立ちで、瑠衣がやって来る時間を待つことにした。
◆
あまりにも暇を持て余し、俺は食堂へとやってきた。
祭りの開始に合わせて行くことになるんだろうから、恐らくは夕方ぐらいに瑠衣も来る。
そろそろ連絡が来ても良い頃だと思いながら、俺は食堂でジュースを買ってダラダラと過ごしていた。
「……はぁ」
「…………」
「…………はぁ」
「いや何なのそのチラ見と溜息。男の物思いに耽る姿とか何も画にならないんですけど」
食堂で椅子に腰掛けて、ジュースを口にしていた俺のちょうど視界に入る位置。
痛い頭のままでいた外野クンがチラ見しながら、これ見よがしに溜息を吐いていた。
「……永野、聞いてくれよ」
「茅野クン、キミは毎回俺を呼び捨てにしたがるみたいだが、呼び捨てにすれば親しいって訳じゃないと思うぞ」
「…………聞いてくれよ、永野クン」
相変わらずの意志の弱さを発揮する外野クンが、そんなことを言いながら俺と向かい合うように座った。
鋼鉄の意志が足りないな。
「それで、どうした?」
「どうしたもこうしたも……。いや、ホラ。あの華流院さんの誕生日パーティーあっただろ?」
俺が現実の苦さを噛み締めたあの日のことだ。
そういえば帰りの車に外野クンの姿がなかった気がする。
「……俺、あの後さ。お前達が帰っちゃってから――」
「――おっとすまない。呼び出しのメールが届いた。またな」
「…………」
瑠衣が家を出て寮に向かっているというメッセージを送ってきたので、俺は早々に切り上げて外野クンに別れを告げて寮を後にした。
何だか恨めしそうにこちらを見ていた気がするが、気のせいだろう。
巧のスルースキルは今だけは俺にも発揮している。
「おぉ、ちゃんと浴衣着てるんだな」
「にっへっへー、もちろんなのですよー。お祭りは普段出来ない格好をするチャンスなのですよ」
「なんかあれだな。コスプレっぽいな」
「まぁ普段とは馴染みもない和服や浴衣は、コスプレみたいなものかもしれないですねー」
全体的に淡いピンク色の浴衣に身を包み、いつものサイドテールを後ろで持ち上げた瑠衣がくるりと回ってみせながら、そんなことを口にした。
対する俺はと言えばいつも通り。
正直、甚兵衛なんて着るのはちょっとイタい青年っぽく見えるし、かといって和装は似合わないというか。
そんな割りとどうでも良いことを考えていた俺だった。
「さぁ、楽しむですよ!」
「おう」
……どことなく空元気、といった具合の瑠衣。
何かあったんだろうか。
◆ ◆ ◆
一方で、夏の祭典が一段落ついた水琴は、自分のスマフォを見て苦笑いしていた。
(……沙那さんも無茶言うなー)
昼前頃に突然届いた沙那からのメール。
それは、瑠衣を使ってでも悠木を『日和祭り』に連れ出して欲しいという、あまりにも突拍子もない内容のメールだった。
幸い水琴は瑠衣とメッセージのやり取りをしていたおかげで、巧と瑠衣の間で何があったのかを理解していた。
そんなやり取りの最中だったからこそ、瑠衣に悠木でも誘って気晴らししたらどうかと提案してみたのだが、大方断られるだろうと踏んではいた。
その数分後には瑠衣はそれをあっさりと受け入れ、悠木と約束を取り付けたそうだ。
(るーちゃん、相当キテるんじゃないかな~)
一日の疲弊に対してか、あるいは心配だからか。
水琴は深く嘆息すると、スマフォに送られてきた瑠衣からの文面を見直す。
『……実は、巧先輩にフラれちゃったです』
『へ?』
『告白したですよ。でも、そういう風に見たことないって、そう言われたです』
『じゃあ、付き合えないって訳じゃないのかな、たっくん的には』
『いえ、もう諦めます。巧先輩にはゆずさんがいるですし』
――淡々と、自分の想いを振り払ったかのような文面だ。
しかし字面から伝わってくる感情は、胸を刺すような痛みを伴ったものだった。
(……悠木クンなら何とかしてくれる、かなぁ)
どうしてそう思うのかは解らないが、少なくともあの『読書部』の中で中心と呼べるのは悠木だ。
水琴はそう確信している。
彼女なりの相関図を書くのだとすれば、少なからず誰もが悠木に繋がっている。
特にそれが顕著に表れているのは、雪那と瑠衣の関係性だろう。
雪那と瑠衣は確実に、悠木というクッションがなければバランスが悪すぎる。
そもそも雪那と悠木、巧とゆず。その二人二組のバランスが強すぎる気がしなくもないが。
それに加えて、初めて悠木と巧を意識したバイト中のあの日だ。
悠木は巧の方向を正すかのように怒声をあげてみせた。
リーダー的な要素は普段の振る舞いからは見て取れないが、少なくともそれが備わっているのだと、水琴は悠木をそう評価している。
(……でも、何であんなに奥手なのかが解らないんだよなぁ……)
つい水琴は、永野悠木という少年にフォーカスを当てて思考を逸らしていた。
あれだけの気遣い、周囲への配慮。
そんなものがこの歳で出来る人間――それはつまり、そういったものが出来なくてはならなかった人間だ。
水琴は社会に出て、それなりに人付き合いを経験してきている。
だからこそ周囲に比べてまるで年上のように見られることも多い。
――そんな水琴が、同い年の相手に【大人な印象】というものを抱くのは、ある意味初めてだった。
少し違った【大人びた印象】ならば雪那などからも感じられるが、それを通り越している雰囲気。
下ネタとまではいかないが、あえて道化のように振る舞う悠木の姿から水琴が捉えた印象は、核心には他者を寄せ付けないという態度だった。
一体どうすれば、あんなにも他者を拒絶するのか。
その背景が未だに見えて来ない。
そういう点では、あの『読書部』で一番爆弾を抱えているのはあの少年ではないのではないか。
ついそんなことを考えてしまう。
「いやー、みこっちゃん、おっつかれー。放心しちゃってるねえ」
「――あぁ、お疲れ様ですー。いやー、さすがに疲れましたよー」
参加させてもらったサークルの先輩に不意に声をかけられ、水琴は意識を引き上げて答えた。
(……ま、悠木クンに関しては一番ガードが硬そうだし、私はノータッチになるかなー)
そんな言葉で頭の中に巡っていた疑問を締め括って、水琴はサークルの先輩達との談笑に意識を向けた。
外野クン、語れず。
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