#006 まさかの遭遇
朝起きたら、クーラーで過ごしやすい気温となっている部屋の窓を開け、外の熱気を部屋の中に取り込みつつ身体を暑さに慣らす。
そうしないと外へ出た後、クーラーの効いた部屋に帰りたくなるのが俺という男だ。
夏は暑さと、冬は寒さとそうやって戦ってきた。
網戸から流れ込んでくる騒がしい蝉の声と熱気の波。
朝っぱらから元気……というか、喧しい蝉の鳴き声が暑さを増長させているような気がするのは気の所為だろうか。
こんなクソ暑い中、よくラノベやマンガなんかでは涼しげな顔で歩いていたり、デートしたりってあるよなぁ……。
さすがに汗ばむこの猛暑に密着するなんて、いくら好き同士であったって暑いと思うんだ。何故あんな自然に引っ付けるのか。
涼む為には「やだなー、こわいなー」なお話でも聞いておけば良いんだろうか――などとどうでもいい益体もない事を考えるあたり、まだ頭は寝惚けているのかもしれない。
ともあれ顔を洗い、食堂で朝食へ。
比較的早い時間にやってきた食堂に人の影はなく、当然ながら実家に帰っているであろう雪那の姿もない。
なんとなく孤独感を覚えるが、それはそれで煩わしさがないと感じるあたり、割りとぼっち精神が根付いているのかもしれない。
今年の春、雪那が読書部に入って以来――この食堂でぼっちで過ごす時間もずいぶんと減った。
以前まではそれが当たり前だったし、朝から雪那みたいな美少女と朝食を食べるなんていう、まるで経験した事もなければ他人だったら爆発四散してしまえと思うような日常が、今では自然となっている。
こうしてぼっちで過ごす事になんとなく違和感を覚えてしまうのだから……なんというか変わったものだ。
今日の予定――と言うか、目的はお礼だ。
一応、瑠衣には雪那と沙那姉の件で話を聞いてもらったっていうのもあるからな。
昨日水琴が言っていた服と魅惑の光景という、そんな邪な誘惑に心が折れた訳じゃない。決して折れたりしていない。
ちゃんとその事をする時に雪那とか周りには公言するなと釘を刺したりなんか、断じてしていない。
完璧な理論武装を改めて再認識しつつ、早めに寮を後にした。
約束しているのは十一時という、いかにも朝をゆっくり過ごしたい時間だ。
俺が駅前に到着したのは、まだ九時。ずいぶんと早く着いてしまったらしいが、暑さがまだマシなウチに行動しておきたいという本音があったので、特に問題ない。
どこかの店やら本屋やらを冷やかしながら時間を潰す事にした。
さすがに八月に入ったともなれば、夏休みを満喫する大人の姿もちらほらと目に入る。
あまり人通りが多いような、決して栄えているとも言えない日和駅の近くは相変わらず人もまばらではあるけれども。
待ち合わせからの女子が絡まれる、という事態には陥らない日和町クオリティ。
この町で不良なんていう連中はそうそう見かけない。どうやらこの町でやんちゃな真似をしようものなら、周りから生温かい目で見られたりもするらしい。これはこの町で育った巧から聞いた話だ。
親から親へ、そして子供へと伝播していく不良情報。結果として爪弾きされるという悲しい現実しか待っていないらしい。
町からしてフラグブレイクしている。
さすがは巧が育った町、恐るべきフラグブレイクタウンである。
「あれ、悠木?」
「あ、悠木くんだー。おはよー」
「……おう」
暑さに負けつつ、コーヒーでも飲みながら涼もうと入った店先で、入り口からほど近いテーブルについた幼馴染ペアから声をかけられた。
会いたくない時に限って人と会うってなんでだ。
相変わらず篠ノ井はピッチリ系のシャツのホットパンツにサンダルと、やはり色気が足りない。
これでも水琴が来る前までは、俺の中では巨乳ポジションを請け負っていただけはあるが……今となってはそこまでの誘惑はない。
俺も少しは成長した、という事なのだろう。
巧の服装は……特筆する必要もないだろう。どうでもいいし。
「……何故お前らがここにいる」
「俺はゆずの買い物に付き合うことになって」
「うん、ちょっと色々見て回りたくて」
「ほー。つまりはデートか」
「ま、まぁ二人っきりだし、デートって言えなくも……」
「デートってか買い物だけどな」
篠ノ井頑張れ。
ふくれっ面はご都合主義的に視界から外れるんだぜ、鈍感系。
「そういう悠木こそ、こんな所で一人で何してんだ?」
「あぁ、俺は待ち合わせ」
「ゆっきーと?」
「いや――」
――待てよ。
巧と篠ノ井に俺と瑠衣が一緒に出かけるって知られたら、ひょっとしてまずいんじゃないか?
瑠衣は巧が好きで、篠ノ井もそれを知っている。
そんな状態で俺と瑠衣が二人きりってなったら、何か良からぬ誤解を招く気がする。
「まだ見ぬ俺の恋人とだな」
「なんだよ、それ……。暇なら一緒に行かないか?」
「断る。あまりの暑さに燃え尽きてな。帰ろうと思ってる」
「え、まだ十時半だよ? 帰るの早くない?」
おい篠ノ井! お前が食いつくのは俺に対してじゃない!
早く二人きりに戻りたい所だろうが。そこで食いついてどうする……!
「そうだよ。暇だったら一緒に行こうぜ」
「残念だが俺にそんな余裕はないんだ。色々と」
「あれ? もしかして悠木くんも宿題まだ終わってないとか?」
「バカ言うな。俺はすでに終わらせてある」
「じゃあ暇なんだろ? まだ何も持ってないみたいだし、買ってないんだろ?」
しまった、つい墓穴を。
というより巧、お前の普段の鈍感能力はどうしてそういう部分では発揮しない。
適当にはぐらかしながら瑠衣にメッセージでも――とスマホを手に取ったところで、篠ノ井が店の外を見て何かに気が付いた。
「――あ、あれって瑠衣ちゃんじゃない?」
「気のせいだよ篠ノ井。早く二人きりでデートでも楽しんで来い」
「あ、こっちに歩いて来た」
……おい瑠衣、貴様もか。
ここはいっそ気付いても気付かないふりしてそっと何処かに行くとか……って、無理だよな。
俺がここにいるんじゃ、巧と篠ノ井も誘ったとか、そういう流れになってるのかと思ったりもするよな。
「おはよーです」
「おはよ、瑠衣ちゃん」
「おーす」
「……よう」
何食わぬ顔して登場した瑠衣と視線が交錯する。
《おい瑠衣。お前の立場的にこの状況で二人きりって思われるのはまずいだろ。別々の目的で来たって振る舞うから合わせろよ》
《了解です! 巧先輩とゆず先輩もいたんですね!》
《通じてない気しかしない!》
俺と瑠衣のアイコンタクトは失敗に終わった。
悟ってはいるが、この状況だ。敢行する!
「さて、瑠衣。買い物とか宿題用の参考書を選びに行くんだったな。さぁ行こう」
「え? あ、あの、でも巧先輩とゆずさんがいるなら……」
「いいから行くぞ。空気読め」
「あれ、二人で買い物する予定だったのか? さっき悠木帰るって言ってなかったっけ」
「気のせいだ。熱中症なんじゃないか、巧」
「っ!?」
「どうせだったら四人で行こうよー」
……俺の誤魔化しと頑張りが水泡に帰する瞬間であった。
何故だ。
何故篠ノ井、お前までもが瑠衣の同行を促した。
今の流れだったら「そっかー。またねー」とか言って見送ればそっちだって二人きりになれただろうに。
かつての協力者、篠ノ井とのアイコンタクトだ。
《大丈夫! 私はもうそんな事でめげたりしないからねっ!》
《今日の俺のアイコンタクトは眼下に駆け込むレベルなのか》
…………俺のアイコンタクトは連敗を喫したらしい。
とにかく俺と瑠衣は飲み物をカウンターで買いに行くと告げ、幼馴染ペアから離れる事にした。
トイレで作戦会議みたいなアレと同じだ。
「……おい瑠衣。この場は予想外だ。なんとかして離れるぞ」
「え……? そ、そうなんですか?」
「当たり前だろ。俺のプランにあの二人はいない。そもそもお前だって巧と篠ノ井の前で俺と二人きりなんてまずいだろうが」
「……それはそうですけど……」
「飲み物飲んだら先に出るから、その後でメールする。再合流だ」
「悠木先輩……!」
「どうした?」
「……ケータイ忘れたです……」
………………。
「お前なんなの。このタイミングでドジっ子披露とか、そういうのやってないんだけど」
「っ!? ど、ドジっ子なんて狙ったりしないです! 今日はホントにたまたま忘れただけで……!」
早速頓挫した俺のぬかりない計画。
今日は厄日なのか。
「……まいったな。このままだとこの前のお礼って感じじゃなくなるんだけどな」
「……あの、悠木先輩」
「んあ?」
「だったら、お礼はまた明日とかでもいい、ですよ? 今日はヘタに動いたら怪しまれるですし……、それに私、四人で遊ぶのも楽しそうだと思うですよ。あ、でも明日が予定入っちゃってるなら明後日とかでも良いですけど」
ふむ。確かに妥協案としては有りだな。
ことごとく俺の妥協案が潰れている以上、俺がどうこう言っても失敗に終わりかねないしな。
「まぁ俺は明日も明後日も暇だから別に構わないぞ」
「じゃ、じゃあ明日にするですよ!」
「お、おう」
今日のでお礼終了、とならないのが良かったのか。
なんだかご機嫌だな。
とりあえずは瑠衣の提案を採用する事になった。
結局テーブルに戻ってからは、四人で行動する事を了承して自然な流れで行動する事になったあたり、運命の強制力的な何かでも働いているのかと思わずにはいられなかった。
さて、瑠衣と一緒に幼馴染ペアに付き合う形になったのはいいんだが、この状況で俺は一体何をどうすればいいのやら。
巧を狙う瑠衣と篠ノ井の三角関係。
今は巧と篠ノ井が並んで歩き、瑠衣は俺の隣を歩いている。
――さて、どういう事なんだろうか。
瑠衣は目の前の巧と篠ノ井の関係を見ていながらも、どうにか輪の中に入ろうとか、そういう事をする気配も見えない。
むしろ自分からあの二人の間に入ろうとはせずに距離を置いているような、そんな節すら見受けられる。
「なぁ瑠衣。お前巧にアプローチしなくていいのか?」
「え……?」
前を歩く二人には聞こえない程度の小さな声で、瑠衣へと話しかける。
水琴に探ってほしいとは言われていたが、この際それはどうでもいいとして、俺自身も気になっているのだ。
そもそも瑠衣は篠ノ井と巧のゴタゴタに時期に入部して、あの時期を逃してからどんな調子なのかはさっぱり分かっていない。
何かしら動きがあってもおかしくはないと思うんだが、どうにもそういう気配が感じられない。
「う~~ん、今はそういう気分じゃないですよ」
「そういう気分って……。気分の問題なのか」
「はい。気分の問題なのです。そういえば悠木先輩、今日って何する予定だったですか?」
そういえば、駅前で集合、としか言ってなかったんだった。
何するって考えてなかったな……。
「何するって、適当にお前が遊びに行きたい場所にでも行くとか、そういう方向でいいかな、と。……何だその何か言いたげな視線は」
「普通、女の子を誘うならしっかりとコースぐらい決めておくべきだと思うですよ」
「コースなんて決めてて、もし不測の事態があったらどうするんだ? ケツカッチンなんで巻きでお願いしまーすとか言えばいいのか?」
「う……、何で業界用語なのか謎ですけど、確かに……」
よし、このまま押せる。
瑠衣は押しに弱い。
このまま攻める……ッ!
「せっかく楽しくウィンドウショッピングしてるのに、時間ないからって次に行かせたりとか? おいおい、瑠衣さんや。そんなものが本当に楽しいのかね?」
「そ、そこまで分刻みじゃなくても良いと思うですよ! せめてデートのスポットとか……」
「デートのスポット、ねぇ……。知ってればいいもんなのか?」
「そ、それぐらい調べてくれてたら、一緒に出かける女の子としては嬉しいはず――」
「ダウト」
「っ!?」
瑠衣のその言葉に俺は異議を申し立てる。
「瑠衣、落ち着いて考えてみろ。例えばデートスポットなんかに連れて行くとしたら、それはもう付き合う一歩手前か付き合っている相手と一緒ぐらいじゃなきゃ成立する訳がない」
「な、なんでですか?」
「決まってる。そんなムード満点な場所に連れて行ったら、それだけで告白決定じゃないか。だいたい女の立場からすれば、そんな場所に連れて行かれたら十中八九は告白されるって気付くだろうが」
「……ま、まぁそうですけど」
「つまり、雑誌でスポットを調べるというのは基本的には恋人か友人以上恋人未満のポジションにいなくてはならないんだッ!」
「い、言われてみればそうですけど……! って言うか悠木先輩、なんでそんな話に……!」
拳を握って力説する俺。しかしどうやら瑠衣は論点をずらす俺に気付いたらしい。
だが俺は止まらない。
「だいたいな。前もって調べていたとなれば「うわ、マジか、こいつ」って反応されて、調べてないと言えば「え、じゃあ誰かと来た使い回し?」とか思われるんだぞ。よく分かっただろ、瑠衣。デートスポットに行きたがるのは悪手なんだ、と」
「い、意外と的を射ている気がするですよ、悠木先輩……!」
当たり前だ。
これは俺がモテる為に完璧なシミュレートを繰り返し、現代女子を冷静に分析した結果だ。
ふぅ、こんなもんでいいか。
「ま、だからどうしたって話だけどな」
「っ!? ゆ、悠木先輩は話をどこかにずらし過ぎですっ! 死ねばいいですっ!」
つい本音がこぼれてしまった。
この後、瑠衣は巧と篠ノ井の所へ走って行った。