赤を殺した者(2)
悠真は赤星と共に先へ進んだ。人気の無い官府の中を進み、階段を上った。どこと無く、悠真は赤い夜の戦いの時を思い出した。あの時は、死の覚悟を決めた義藤と一緒に紅城を昇った。あの時、悠真は無力な小猿だった。しかし、今も何も変わらない。赤星に頼って、甘えて、赤星がいなければ何をすれば良いのかも分からない。
「待て」
ふと、赤星は立ち止まった。そして、辺りを見渡したのだ。
「どうしたんだ?赤星?」
悠真は赤星に尋ねた。
「静かに」
言った赤星の耳は左右に動いている。仕草は犬そのものだ。そして犬は口を開いた。
「誰か来る。この方向だと接触を避けることは出来ないだろう。――悠真、俺たちが術士であること、決して明かすんじゃないぞ。官吏の多くは、紅の敵だ。今からなんだ。今から紅は官吏の仲間を探し出す。それは、川の中から針を探し出すような、地道な作業だ。今からなんだ。だから、俺たちが官吏と問題を起こすことは出来ない。俺たちの言動が紅の行く手を阻むこともあり得るのだから。悠真、忘れるな。俺は只の犬だ」
言うと、赤星は押し黙った。そして、赤星は前に進み、悠真は赤星の後を追った。しばらく進むと、悠真は初老の男と鉢合わせた。
――派手なおじさん。
悠真が抱いた第一印象はそんな印象だ。豪勢な衣装に苛立ちを隠せない表情。その顔は鬼瓦のようであった。官吏であるのは間違いないだろう。迷うことなく官府の中を歩き、悠真に対して不信感を抱いているのは明らかなのだから。
悠真は何も言わなかった。言えなかったのだ。周囲に当り散らすような雰囲気が恐ろしく、近づくと何に巻き込まれるのか分からなかったからだ。
「何をしておる!」
男は悠真を見るなり、怒鳴りつけた。黒の色神の身体を捜している。そんなこと、口が裂けても言うことは出来ない。
「何をしておる、と言っておるのじゃ!」
初老の男は問答無用で怒鳴りつけた。反論する隙も、言い訳をする隙もない。感情に押し流されて怒鳴りつける。悠真は、下村登一を思い出していた。派手な初老の官吏と下村登一はどこか似ているのだ。そもそも、官吏とは、そのような生き物なのかもしれない。悠真は官吏になる試験や資格や採用基準なんてものを知らないが、同じような人が選ばれる時点で、悠真なりに一種の基準を見つけた。下村登一のように血統官吏なのかもしれないが。
「なぜ、子供や犬が官府の中におるのじゃ!いつから官府は下賤な者が立ち入ることが出来るようになったのじゃ!何とか言うてみろ!」
言うと、派手な初老の官吏は手近な瓦礫の棒を掴むと、突然振りかざした。何をしだすのか、悠真が混乱している間に、初老の官吏は棒を振り回し赤星を殴りつけた。
――ぎゃうぅん!
赤星は悲鳴を上げて床に倒れ、投げ捨てられた雑巾のように散らかった床を転がった。
(赤星!)と名を呼んで駆け寄りたい気持ちを、悠真は押し殺した。名に赤を持つ者がいるはずがない。少なくとも、火の国で「赤」を持つことが許される者は、その辺りにいないのだから。犬の名に「赤」を与えるのは許されないことだ。