赤と異形の者と官府(15)
悠真がいたのは、地下牢のようだった。とことん、悠真は地下牢に縁があるらしい。今もこうやって、地下牢の中にいるのだから。悠真は何とか立ち上がったが、足が定まらなかった。
「ほら、つかまれ」
赤星が悠真に背を向けた。傷だらけの赤星の方が元気が良いのだから不思議だ。悠真は赤星にすがりながら、足を進めた。鍵のかけられていない地下牢から外に出ると、長い階段があった。赤星の背の毛を掴みながら、必死に足進めていたが、今の悠真には登れる距離でなかった。赤星はそのようなことまで気遣っているのか、一つ呟いた。
「休むか」
犬だからかもしれないが、心なしか赤星の呼吸も速かった。
階段に悠真と赤星は腰を下ろした。赤星は大きな体で何とか階段に横たわろうとしていた。仕草も心遣いも人間のよう。時間があると、悠真は赤星の正体が気になった。
「本当に犬なのか?」
思わず、そんな質問をしてしまったほどだ。赤星は犬ではなく、人間のようだからだ。そもそも、動物が色の石を使う術士であるということが信じがたい。赤星は犬だから気安く話せるが、もし赤星が人間であったら悠真は萎縮してしまうだろう。赤影の一員であり、赤丸に悪態をつく者だ。強さと立場を持つはずだ。犬だからか、赤星は気安い存在だ。包み隠すこともなく、あっけらかんと答えてくれる。
「犬さ。たぶんな」
赤星は低く言った。
「十年前、赤星という名の男がいた。燈の石を使うことに長けた術士で、赤影の一員だった。燈の石を使うことに長けているから、赤星は相棒となる犬を連れていた。必要に応じて、その犬の体を借りていたのさ。そもそも、赤星は術士としては優れていたが、剣士としてはあまり役に立つ存在ではなかった。赤星はな、目が見えなかったのさ。目の変わりに犬を使って歩き、戦いの場になると、犬の体に入って戦っていた。赤星は赤影としては役に立たない存在だった。だが、表の世界で生きることが出来ない。それは、赤菊と同じだ。両親を赤影に持つ、生粋の赤影だ。だから赤星は、燈の石と己の目の代わりをしていた犬の力で戦っていたのさ」
悠真は赤星の話しに聞き入った。
「そう、俺は赤星の目の代わりをしていた犬さ。子犬のころから赤星の横で育ち、身体に綱をつけて赤星を引っ張って歩いた。道を覚え、段差を教え、赤星と一緒にいることが幸せだった。赤星は、俺の体を使って戦うことを嫌っていたが、俺は気にしなかった。辛いのは、俺が気にしていないことを赤星に伝えることが出来ないということだった。そして十年前。先代の紅が殺された、あの戦いが起こった。赤星は赤影として戦った。先代の紅を守るため、戦った。悲劇が起こったのは、その時だった。分かるだろ。犬の体に入った赤星の体は、無防備な状態だ。赤星の体は、殺されたのさ。一体、何がどうなったのか分からない。戻り場を失った赤星の魂が俺に残ったのか、俺自身が術士としての才覚を有していたのか、原理は分からない。赤星が死んだ時、奴は言ったのさ。代わりに戦ってほしいと。それが、俺が俺になった瞬間だ。力を持ち、言葉を持ち、知識を持った。俺は、犬の体をもつ人間になったのさ。それから、俺は赤星として赤影と一緒に戦い続けている。俺はもう、十三歳になる。犬としてはいつ何があっても可笑しくない年だが、俺の体は少しも衰えていない。人間として十歳年をとった感覚も無い。どうやら、俺は年をとらなくなったようだ。俺は、何人の赤丸を見ていくのか、赤影の未来を見続けるのか、俺は不安の中に生きているのさ。――俺のような存在は許される存在でない。お前も、そう思うか?」
悠真は赤星を見つめた。赤星は、それほどの苦難の中、生きているのだろうか。想像するだけで辛くなった。
「先代の赤丸は、赤丸に向いていない人だった。人を殺すことが出来ない、赤影としては失格のような人だったが、とても優しい人だった。俺の飼い主だった赤星にも優しく、術士として一流の力を持っていた。今の赤丸は先代と少し違う。今の赤丸は、母親でなく父親に似たのだろうな。義藤の方が、よほど先代の赤丸に似ている。こうやって、俺は赤丸のことを上から話すことができるが、いずれ赤丸は年老いて現役を引退する。少し、寂しいな。俺は、あの赤丸のことを信頼しているのだから」
赤星のこげ茶色の目は遠くを見ていた。地下牢には赤丸が残っている。異形の者に立ち向かい続けた赤丸だ。赤丸のことは赤も信頼している。赤丸と紅が近しい力を持つと言っていた。執拗に、黒の色神が赤丸を狙っていることも気になっていた。
「少し話しすぎたな。ほら、そろそろ行くぞ」
赤星がゆっくりと腰を上げた。
赤星が横たわっていた場所には、血の跡が残されていた。
悠真は階段を上り、廊下へと出た。閑散とした廊下は、慌てて人が逃げ出した形跡があった。散らかった部屋、投げ捨てられた書類。官府は紅城と少し雰囲気が異なる。ここが官府だ。悠真はそう思った。