赤と異形の者と官府(5)
熊は赤丸を思い、遠くを見ていた。雨に濡れて、熊の身体からは雫が落ちていた。はっきりしていることは、熊、いや赤星が赤丸を思っているということだ。同時に、彼が死ぬ覚悟を決めているということだ。
「赤丸が敵わない敵が現れた。つまり、それは相手が色神だということだ。只の術士に赤丸が負けるはずが無い。菊、悠真、聞くんだ。何があっても紅を守れ」
熊は優しい目を赤菊と悠真に向け、そして倒れる術士の男と薬師を見た。
「長い命なんて、退屈だとばかり思っていたが、こんなところで終わるなんてな。心残りがあるとすれば、これほどまでに優れた術士と人たちに恵まれた紅が、火の国をまとめて導く姿を見れないことぐらいだな」
熊はゆっくりと赤菊から離れた。
「達者でな」
熊は言うと、ゆっくりと方向を変えた。
「赤星……」
赤菊は小さく呟いていた。雨で濡れているのか、赤菊が泣いているのか、悠真には分からなかった。
――それで良いの?
ふと、悠真の中で声が響いた。それは、悠真と共にいる無色の声だった。
――それで良いの?
再び、無色の声が響いた。何のことなのか、悠真には分からなかった。もちろん、赤丸を残してきたこと、赤星が死ぬ覚悟であること、それは悠真の心を苦しめることだ。だが、赤が言っていた。赤丸が負けるはずがない、ということを赤が言っていたのだ。義藤が赤い夜の戦いで戦ったときには、義藤を助けるために叫んでいた赤が、今回は静観を決め込んでいるのだ。つまり、赤丸は負けない。赤丸が勝てば、赤星が死ぬことも無い。あの犬が、命を落とすことも無い。だから悠真は冷静でいられたのだ。赤星が死ぬと決めた覚悟は、無駄に終わると分かっていたからだ。
――赤丸は勝てないわ。彼一人で勝てる敵ではないの。
無色の声が言った。
――赤はね、悠真を死なせないために、私に助けを求めなかったのよ。悠真を死なせないために、悠真を赤に染めようとしなかったのよ。
無色の声は語った。
――赤丸は紅に近しい力を持つ。その赤丸が勝てない敵が現れた。その上、あの黒の色神は心を失っている。このまま、異形の者が暴走を続ければ、赤丸も紅も、もちろん他の赤の仲間たちも皆殺される。黒の色神は暴走のまま火の国を滅ぼし、そして宵の国も滅ぼす。赤は悠真を逃がそうとしているのよ。
悠真は言葉を失った。目の前で泣き崩れる赤菊と、雨に濡れながら倒れる術士の男と葉乃。悠真は彼らの姿を見て、首を横に振った。
(そんなはず、ないだろ)
悠真は赤と親しいわけでない。だが、あの高圧的な雰囲気と、赤の術士や紅を思う気持ちは知っている。赤が悠真を逃がすとは思えなかったのだ。
――悠真は赤のことを知らないの。赤はね、とても優しい色よ。赤は悠真を生かそうとしている。
無色の声は悠真を責め立てた。
――悠真はそれで良いの?
無色は悠真に何をさせようとしているのか。それは明らかだ。