第二話 恋する☆美少女清掃員②
休み時間に入る度に、たくさんのクラスメイトが僕の元へとやってきた。大宮煌は常に生徒たちに囲まれている人気者だ。
女子たちにはいつもと少し違うことを、不審に思われたりもした。今日は体調が優れない、とかなんとか誤魔化して乗り越えた。
今日だけならこの言い訳でも大丈夫だろうけど、日に日に大宮煌が別人のようになってしまったことを、きっと周囲は勘付いてしまう。
「……はぁ」
やっぱり僕は大宮煌になりきれない。一刻も早く元の身体に戻る方法を探すべきだ。
休み時間を報せる憂鬱な鐘の音が聞こえてくる。
改めて、絶対に元に戻ってみせる、と心の底から思った。自然と俯いてしまっていた顔を上げ、決意を眼に込めた。
「大宮大宮!」
また来たよ。今日朝から一番うっとおしい奴が。笑顔で手を振りながら、僕の座る席へと走り寄ってきている。
学園のアイドル大宮煌は、もちろん男子からの人気も確たるものだ。
煌になってみて知った。他人からの恋慕の眼差しが、こんなに分かりやすいものだったとは。
煌はそんな飢えたサルたちにも、わけ隔てなく相手をしてきたんだ。笑顔と軽口、頼りになる言動。大宮煌を意識して演じてみようとしても、やはり僕なんかが演じられる人物ではない。ただ愛想笑いを浮かべるくらいが関の山だ。
「なんですか、友枝君?」
「球技大会が近いことだし、やっぱり放課後に俺たち二人で残って色々話し合うべきじゃないかなぁ」
友枝壱はこのクラスの副委員長だ。つまりは委員長の大宮煌のパートナーだ。話しかけられるのは、仕方ないことなんだけど。
「放課後に二人きり。人気のない教室。偶然触れてしまった手を、恥らう大宮」
「妄想は口にすべきじゃないと思いますけど……」
「きゃ、ごめんなさい友枝君! ちらりと俺を盗み見る大宮と目が合って、俺は自然に大宮の頬に触れていた」
聞いてない。
「そして二人は自然に顔を近付けていき、唇が触れ……ふへへへへ」
友枝は男くささを感じさせない、可愛らしく人懐こい笑顔が特徴的だ。気さくなお調子者タイプで、話はしやすそうだ。
母性本能をくすぐる可愛い容姿で、クラスの女子からの人気も高い。本日の女子からの情報収集結果。ちなみに内倉永久は一度も話題にのぼらなかった。悲しくなんかないやい。
内倉永久の時の僕は、友枝とほぼ接点がなかった。友枝はきっと僕の存在すら知らないに違いない。虚しくなんかないやい。
トワをちらり、と横目で見遣ってみた。机に本をたてて読書をしていた。苦労がなさそうで羨ましい光景だ。
刹那は机に突っ伏して寝ている。いつもの光景だ。
保田さんは……一生懸命机に向かって書き物をしている。そういえば彼女、休み時間はいつも何か書いている。僕ぐらいしか気付いていないだろうけど。
「顔が赤いぜ大宮。そんなに俺と居残るのが嬉しいのかよ? 参ったなぁ、こりゃ参った参った」
「……」
「もう付き合うしかないだろ俺たち」
友枝が大宮煌を大好きなのは、ここ数時間でよく分かった。けどこの場合、僕は一体どう反応すればいいのだ。
迷ってる間に両手をがっしりと握られてしまった。
「な、何ですか? や、やめてください」
「ああっ今日の大宮はなんつーか奥ゆかしさが堪んないんですけど! なんか抱き締めて頬ずりしたくなる小動物みたいだ!」
こいつ死ねばいいのに。
僕には珍しく負の感情が胸を渦巻いた。頬を引き攣らせている僕に、更に顔を近づけてくる友枝。
「ひぃっ」
思わず小さな悲鳴がこぼれた。涙が目の端に浮かんでしまう。
「可愛すぎるぜ大――「嫌がってるだろうっとおしいんだよ変態が」」
がす。友枝の頭に本の角が刺さった。
僕は大きく目を見張る。
友枝の後ろに立って恐ろしい言葉を発したのは、トワだった。いつの間に来たんだ。
クラスメイトたちも、予想外の闖入者にざわり、と騒ぎはじめる。一気に注目が集まった。
「い、痛いだろうがぁっ! 何すんだよお前誰だ!」
後頭部をおさえ、怒りの表情を露にしている友枝がトワへと振り返った。
僕はアワアワして言葉も出てこない。口をぱくぱくするしなかない。
何考えてるんだ、トワ。
トワは軽蔑の眼差しで友枝を見下ろしている。
「ボクは内倉永久だ。お前がさっきからベタベタ触ってる大宮さんの代弁者だ。女の子が嫌がってる態度くらい理解しろ」
どこまでも強気な上から目線。内倉永久にこんな顔が出来るなんて、僕自身知らなかった。
「はぁ!? なんでお前が大宮の代弁者なんだよ!? 関係ないやつは引っ込んで……なさいよ?」
友枝は顔を赤くしてトワに向けて言いながら、後ずさっていた。
迫力で完全に負けているのは誰しも分かる。トワ、怖い。ライオン対肉のようだ。
「キミごときがボクにたてつくのかい? この内倉永久に?」
「な、な、なんだよそんなに怒らなくてもいいだろ? ちょっと大宮に触ったくらいで」
「黙れ変態。大宮さんに土下座して謝れ」
なんでそこまでさせる。
結局、どこまでも情けない顔になってしまった友枝が、僕に向けて頭を下げてきた。
そして教室の入り口まで逃げていき、遠くから僕たちを振り返ってきた。
「くそぅ覚えてろよ内倉! 仕返ししてやるからなぁっ!」
まさに負け犬の遠吠え状態で、トワに向けて言い放ってから逃げていった。
僕の前には腕を組んで立っているトワがいる。僕はずっと座ったままで、目が点になってた。どうしてこうなった。
「ハッ、雑魚が!」
鼻で笑ってるよこの人誰だよもう。
「本性を隠さなくていいのって楽だなぁ」
清々しい笑顔のトワ。クラスメイトたちから拍手が起こった。初めて内倉永久が注目され、輝いた瞬間だった。
……心の底から、元に戻りたくなくなった。
やっと一日の半分を消化し、昼休みに突入した。
クラスメイトたちが各々、昼食準備を始めている。
机を引っ張り、くっつけてお弁当をひろげている女子グループたち。学食へと行く生徒や、購買部へと走る生徒たちを僕は横目で見届けた。
そういえば、大宮煌はいつもどうやって昼食を食べてるんだ?
記憶を掘り返してみるが、思い当たらない。沙良さんにお弁当を渡されたので、ここで食べればいいのだろうか。
僕自身は両親不在の為、毎日購買部へと走っている。だから昼食時は、周囲に気を配っている余裕がないのだ。
気になってトワの席へ視線を遣ると、驚いたことにカバンからお弁当を取り出していた。
それを持って、トワが僕の席へと近付いてくる。
「大宮さん、行こうか」
ごくごく軽い口調でトワが言ってきた。
「え? え?」
僕はまたも目が点に。口も半開き状態だ。
教室内も再びざわめく。いつの間にランチタイムを一緒に過ごすほど親しい関係になったのだ、とでも思ってるんだろう。
「ど、どこに行くんですか?」
「中庭。いつもそこで食べてるんだよね、大宮さん。今日は僕もお弁当を作ってきたんだ」
「あ、そうなんですか……」
僕はカバンからお弁当を取り出した。トワの言葉に従うなら、僕は中庭でお弁当を食べるべきなんだろう。椅子を引いて立ち上がり、巾着に入ったお弁当を胸に抱えた。
クラスメイトたちの視線が痛い。変に関係を勘繰られている気がしてならない。
「煌ちゃん、行こ」
「うわあぁあっ」
隣に保田さんが立っていた。すごく驚いた。
僕は仰け反ってお弁当を落としそうになって、慌てて持ち直す。
「え、ええと、保田さんも一緒ですか……?」
保田さんが僕の言葉を受けて、ぷくっと頬を膨らませた。あ、可愛い。
「いつも一緒だよ? お昼休みは一緒に過ごす約束だもん。忘れちゃったの? それに保田さんって何?」
保田さんに軽く睨まれて、僕はばたばたと大袈裟な動きで身体の前で手を振った。
しまった、弁当シャッフル。中身が死んだかもしれない。でも今はそんなことより、保田さんに睨まれている状況の方がおおごとだ。
「ごめんなさぃっちょ、ちょっと今日は熱でもある、のかなぁ」
「煌ちゃん具合悪いの?」
一歩近付いてきたあさひが自然な動きで腕を伸ばし、小さな手の平をおでこにあててきた。
「にゃあ」
変な声が出た。
もう僕、正常な思考回路じゃない。なんだこれ、なんだこれ。
「ちょっと熱いかなぁ」
「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」
ぎくしゃくと保田さんから離れる。その動きのまま教室の入り口へと向かった。
「右手と右足一緒に出てるよ大宮さん」
のんびりとしたトワの声が背中にかかってきた。僕は振り向くともできないまま、早足で歩いて行く。
廊下は出ると、ひんやりと冷たい空気を感じた。頬がどうしようもなく火照っていたので、逆に助かった。
僕の後ろから、トワと保田さんがついてきている気配を感じる。並んで歩くなんて、緊張しすぎて出来ない。中庭に行く為に、急いで階段へと向かう。
「今日は内倉君も一緒に食べるんだね」
保田さんがトワへと話しかけた声が届いて、僕の耳がぴくりと反応する。
「あさひと一緒に食べたかったんだ」
「あさひ……」
僕は堪らずにトワと保田さんを振り返った。いきなり呼び捨て!?
「あ、ごめんね。突然呼び捨てなんて失礼だよね」
トワが嘘臭い笑顔を浮かべて言っている。
保田さんは少し目を丸くしていたが、すぐにトワの笑顔につられてか、ほんのり笑顔になった。ニコニコニコ。ほのぼのとした雰囲気が二人の間に流れている。保田さんの魅力は、やっぱりこの柔らかい笑顔だ。いつ見ても、心が温かくなる。
「ううん、全然気にしないよ。内倉君ってすごく親しみやすい人だったんだね、なんか嬉しい」
「ボクのこともトワって呼んでくれていいよ」
「え、あ、うん。じゃあトワ君って呼ぶね」
二人のやり取りを聞き、温かくなっていたはずの心が冷えていく。
僕はぐっと唇を噛んでしまっていた。
保田さんに永久君と呼ばれるのは嬉しい。けどそれが自分でないことが、悔しい。
僕が訴えたところでトワは飄々としているに違いない。もしやわざとか。休み時間の友枝とのやり取りといい、今の保田さんのやり取りといい、僕に嫌がらせをしているように思えるのは、僕の被害妄想なんだろうか。
僕は腹に力を入れ、もやもやした感情を追い払う。歩みを再開させた。それでも乱れた気持ちが、更に足を速めている。
廊下の曲がり角を、前方確認もせずに折れた。
「うわぁっ」
思いっきり、誰かと衝突してしまった。僕は尻もちをついてしまう。
ぶつけた鼻をおさえながら、顔を上げると。
あ、刹那じゃないか。
「ちゃんと前見て歩けよ。けっこう間抜けだな」
僕がぶつかっても全く微動だにしなかった刹那は、僕の二の腕を掴んできた。
ひょい、と身体を助け起こしてくれた。
「あ、ありがとう刹那」
「どーいたしまして」
刹那は僕の方を一瞥だけして、その横をあっさりと通り過ぎていった。僕の表情は翳ってしまっていた。刹那にとって今の僕はただのクラスメイトなんだ。仕方ないんだろうけど、胸にぽっかりと穴が開いた気分になった。
そして刹那はトワの前に立った。
「こんなところにいたか永久。学食行くぞ」
刹那が言い、トワの腕をガシっと掴んだ。トワが目を丸くしている。
「え、でもボク今日はお弁当……」
「知るか。俺は今日学食なんだ。学食で弁当食え」
「でも、あの、大宮さんたちと」
「何ごちゃごちゃ言ってるんだ。腹減ったから早くしろ」
刹那は腕を掴んだまま、ずるずると無理矢理にトワを引きずっていってしまった。
遠くなっていくトワの頬が、赤くなっているのを見て。
「あ」
ようやく気付いた。ああ、そうか。トワはやっぱり僕に仕返しをしていたんだ。
刹那を見た時の、大宮煌の心臓の反応の意味。僕が刹那と会話や接触をする度に、トワは僕と同じ心境になっていたんだ。
僕が大宮煌の友達、保田あさひに恋をしてるように、
大宮煌は僕の友達、辻刹那に恋をしてるんだ。
「なんて複雑な……」
思わず僕の口から、呟きが漏れていた。
「トワ君、行っちゃったね」
「あ、うん」
僕は隣に立つ保田さんを見る。
「じゃあ今日も二人でご飯食べようね」
ニコッと微笑みかけられて。
――幸せすぎて、死んでしまうかもしれない。
――不幸すぎて、泣いてしまうかもしれない。