一人、そして再出発
朝の陽がまだ低く差し込む頃、クロスは訓練場の片隅に立っていた。手には借り物の木剣。地面には薄い砂が撒かれ、稽古には丁度よい滑り止めとなっている。
(基本は変わらない。構えも、踏み込みも)
クロス――いや、本名・黒須龍也は日本にいた頃、剣術道場に通い、剣の理と精神を学んでいた。実戦の経験はなかったが、身体には染み付いた型と、幾度となく繰り返した稽古の記憶がある。
(ただ……これが“本当に命を懸けた場”で通じるのか)
異世界に来て以来、クロスは“現実”と向き合い続けていた。魔物、魔法、そして異世界で生きるという事実。講習で学んだ知識、そして目の前で訓練する冒険者たち。その姿を見て、彼は自身の力の“未熟さ”を強く感じていた。
「クロス、ここにいたか!」
振り返ると、マルコの護衛であるダナが訓練場の門をくぐってくる。その後ろには、商人マルコともう一人、村のギルド職員らしい中年の男がいた。
「そろそろ行く時間だ。」
クロスは木剣を下ろし、無言でうなずいた。日本の道場では、別れの儀式など必要ないと考えていたが、この世界では、それが必要に思えた。
***
広場の一角、村の門の手前。マルコの荷車には食料と交易品が積まれており、すでに出発の準備は整っていた。
「……本当に、一緒に来ないのかい? うちの街なら、クロス君みたいな若いの、引く手あまただと思うんだけど」
マルコは笑みを浮かべつつも、どこか寂しそうにクロスに問いかけた。
「行きたい気持ちはあります。でも、まずは……この村で、一人で立てるようになりたいんです」
クロスの言葉に、マルコは肩をすくめて笑った。
「そうかい。あの時、森で倒れてるお前を見つけなかったら、今頃どうなってたか……」
そう言って、マルコは革袋をクロスの手に押し付けた。
「これ、俺からの“投資”ってことでさ。手持ちがないんだろ? 講習の費用や服に装備も必要だろうし……、使える時に使え。返すのは、一人前になってからでいい」
「……ありがとうございます」
言葉が詰まる。クロスは礼を言うしかなかった。だがその目には、決意の色が宿っていた。
「絶対に、一人前になって……返しに行きます」
「ふふ、楽しみにしてるよ。……じゃあな、クロス君!」
手を振って馬車が進む。荷車の後ろでダナが軽く手を上げ、遠ざかっていく。その姿が街道の向こうに消えるまで、クロスはずっと見送っていた。
***
それからの日々、クロスは訓練と講習に明け暮れた。
ギルドでの基礎訓練は厳しく、魔法理論から魔物の生態、さらには草木の見分け方や緊急時の応急処置まで、多岐にわたる内容だった。中でも、戦闘訓練はクロスにとって、懐かしくも新しい世界だった。
「お前、構えが変わってるな。どこかの流派か?」
訓練教官のひとり、筋肉質の女戦士が首をかしげながらクロスの型を見る。
「はい、故郷で“剣術”という武道を学んでいました。実戦経験は、ありませんが……」
「なるほどな。動きが無駄に洗練されてると思ったら……でもな、ここじゃ“実戦で使えなければ”意味がない」
そう言われた瞬間、女教官の剣が振り下ろされた。クロスは直感的に足を引き、刃の軌道を外す。
「ほう、反応はいい。じゃあ――これならどうだ!」
教官の剣が連続して振るわれる。クロスは紙一重でそれをかわし、木剣を正眼で構えた。
(振りを最小限に――斬らず、打ち込む)
クロスは自分の戦い方を思い出していた。剣術とは、相手を斬るための技術でありながら、相手を傷つけぬ道も示していた。師匠の言葉が蘇る。
――「力は、使い方を間違えれば暴力になる。だが、正しく使えば、それは“守る力”となる」
息を整え、クロスは踏み込んだ。教官の剣をいなして、その隙に胴へと一撃を加える。
「……っ!」
教官が驚いたように一歩下がった。
「なかなかやるじゃねぇか……」
訓練場にいた他の冒険者たちも息を飲んだ様子でその様子を見ていた。クロスは木剣を下ろし、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。今のは、偶然です」
「謙虚だな。だが……その“偶然”を再現できるなら、偶然じゃない。訓練、期待してるぜ」
***
訓練後、クロスはギルドの宿舎に戻った。夜の帳が降り、灯火の揺れる部屋で一人、ベットに腰を下ろす。
(日本では考えもしなかったな……こんな世界で、生きることになるなんて)
ふと窓の外に目をやると、満天の星空が広がっていた。
(剣を振るう理由も、力を持つ意味も……ここで、改めて知っていくんだ)
誰に語るでもなく、クロスはそう誓った。
明日も訓練は続く。だがそれは、自分の“力”を見つける旅でもあった。
そして、クロスの成長は――まだ、始まったばかりだった。