腹の底から
宿に戻ったクロスは、《月影の宿》の厨房へ直行し、カリナにグラスファングの肉が無事に手に入ったことを伝えた。
「頼まれてた肉、持ってきたよ。保存状態もばっちりだと思う」
「ありがと。ちょうど仕込み始めたところなの。ラディス、手伝ってあげて」
「おう、任せとけ。今日も一番いい煮込みを作ってやる!」
ラディスは目を輝かせながら手際よく肉の血抜きと下処理を始めた。
「魔物の肉なんて、うちじゃ普段から使ってるが……グラスファングはなかなか扱いが難しいな。けど、あの果実味噌の加減で、ぐっと食べやすくなるんだよな」
「ラディスさんの調理、信頼してるから」
クロスが笑うと、ラディスは鼻の下をかきながらも嬉しそうに笑った。
その横でカリナがクロスに話しかける。
「そうだ、明日の夕飯、あんたの仲間も一緒にどう? この間言ってたグラスファングの煮込み、まだ客には出してないし、身内での試食ってことでちょうどいいわ」
「それ、ありがたい。みんなには“絶対うまいから”って言ってあるからさ」
「ふふ。商売の宣伝にもなるし、うちとしても歓迎するわよ」
◇ ◇ ◇
翌日――朝のギルドには、いつもの四人が揃っていた。
「おはよ、クロス。今日も暑くなりそうだなぁ」
「……それより、俺は夕飯が楽しみでな。マジで期待してるぞ?」
ジークが嬉しそうに声をかけてくる。
その隣で、テオとセラはやや不安げな表情を浮かべていた。
「昨日はあんなに胸張ってたけど……ほんとに、平気なんでしょうか」
「まあ、魔物の肉ってのは普通に食べるけど……グラスファングってのは初めてだしな……」
「心配いらないって。俺だけじゃなくて、もう何人かには食べてもらってるし、特に問題は出てない。ラディスさんも仕込みに気を配ってくれてる」
クロスは自信たっぷりに言ったあと、軽く拳を握って笑う。
「それに、今日は働いたぶんだけ旨く感じるよ。しっかりお腹を空かせてから行こうぜ」
ジークは笑って頷いたが、セラとテオはなおも微妙な顔で視線を交わした。
(※本日の仕事は“森林伐採後の枝打ちと再整備”)
魔物の襲撃で荒れた林道を整備する仕事で、斧を使って木の枝を落としたり、運搬のための道を広げたりする、体力勝負の内容だった。
「これ……予想以上にキツイな……」
「夕飯のために……」
ジークとテオがぼやきながらも黙々と働き、セラは丁寧に作業をこなし、クロスは黙々と前を見て斧を振り続けた。
◇ ◇ ◇
夕方、ギルドに報告を済ませた四人は、各自宿で汗を流した後、《月影の宿》へと集合した。
店の扉をくぐると、カリナが明るく迎えてくれる。
「いらっしゃい。みんなそろったわね。さっそく席に案内するわ」
「なんか……いい香りしてるな」
「これがあの……グラスファングか……」
「確かに魔物の肉は食べ慣れてますが、これは初めてです……」
席についた三人は、漂ってくる甘く芳醇な香りに鼻をひくつかせながらも、どこか警戒した様子だった。
カリナが笑顔で厨房の奥に声をかけると、ラディスが自慢の鍋を抱えて登場した。
皿に取り分けられた料理は、果実味噌と香草で煮込まれた深い褐色をしており、野菜と肉のバランスも絶妙だった。
「さあ、どうぞ。“試食”だから、遠慮はいらないよ」
クロスが先に一口を食べ、うなずく。
「……今日も、完璧だ」
その一言に背中を押されて、テオがおそるおそる口に運ぶ。
「……うまっ!?」
ジークも勢いよくスプーンを運び、口の中で味が広がった瞬間、目を見開いた。
「これ、ホントにあのグラスファングか!? どういうことだ……!?」
「……こんなに柔らかくて香り高い魔物肉は初めて……。ちょっと信じられません」
セラは少しだけ顔を赤らめて、箸を置く。
「……勢いよく食べてしまいました。なんだか、恥ずかしいです……」
「すみません! おかわり、もう一皿いけますか!?」
テオが手を挙げると、ラディスが豪快に笑った。
「はいよ、任せな!」
◇ ◇ ◇
「なんだか……すごく、幸せな気分だ……」
「俺、今日働いたぶん、全部この一皿で報われた気がするわ……」
「ごちそうさまでした。とても貴重な体験でした」
三人が思い思いに感想を語っていると、近くの席にいた客が不思議そうに声をかけてきた。
「すみません、今の料理……何ですか?」
「グラスファングの煮込みです。まだ試験的に出してる段階ですが、もし興味があれば……」
カリナが手慣れた口調で返すと、興味津々の客が次々に反応を見せ始めた。
「グラスファング!? あれ食べられるのか?」
「ちょっと……俺も一皿頼んでいいか?」
「俺も俺も!」
「ちょ、俺の分も残しておいてくれよ!」
急にざわつき始める店内に、クロスたちも思わず顔を見合わせて笑い出した。
◇ ◇ ◇
「……なんだか、すごい夜だったな」
帰り際、ジークがぽつりと呟いた。
「おかげで明日からも、ちゃんと頑張れそうです」
「美味しいものを食べると、元気になりますね……」
「まあ、俺としては、おかわりの分も含めてもう一度食べたいぐらいだけどな」
クロスはその言葉に笑いながらうなずく。
「それなら、また素材取りに行かないとな。……明日からも、頑張ろう」
四人は立ち上がり、騒がしくなった食堂を背にして、3人はそれぞれの宿へと向かった。
静かに、確かに――
新しい仲間との日々が、少しずつ前へと進んでいた。




