第百五十六話 【代償の治癒】
【代償の治癒】──。
ケガによる他者のどんな欠損も一瞬で治す代わりに、使用した者の肉体が黒い煙となって消えてしまう代償魔法の一種。別名、黒煙呪回。
『ゴールデンレトリバー』のセバス・ヒナヒナは胴体を切り離された『血染めのバラ』のセバス・ヒナヒメを救うべく、それを使用した。結果、大きな代償を得たが治すことは叶った。
「どうして? こんなになってまで、おかしいじゃん……」
そんな状態でもセバスはニンゲンに戻ることを諦めておらず、ピアニッシモを頼った。窮地を救ったのはそのためである。
「ワウ……ゥ」
必死の助けも甲斐はなく、まともに理由を話す力ももう残ってはいないヒナヒメ。黒い煙は少しずつ勢いを増して、全身を包み込もうとしていた。
「なによ……勝手に助けておいて、勝手に死ぬつもり?」
息をするのがやっとの彼女に、ピアニッシモは優しく触れながら悪態つく。
「分かった、ニンゲンに戻りたいんでしょ。……だから助けた。ちがう? ……だったそう言えば? 頭でも下げてお願いしてみなって、ねえ!」
「……。」
「黙ってちゃ、分からないって……」
ヒナヒメは彼女の瞳が潤んでいるのをみて一瞬、目を疑った。それでも自分のために泣いてくれるピアニッシモに不快感はなく、零れ落ちる涙を静かに受け入れた。
「アナタはもうピアシーのイヌなんだから……ワタシの前で、ワタシの許可なく勝手に死んだりしたら絶対に許さないんだから!」
顔を泣き腫らす顔を隠すようにすかさず抱きしめるピアニッシモ。他人に素直になれない性格の彼女でも、自分のイヌのためには真剣になれたし素直にもなれた。
「呪回がなんなの……こんな事で死んだらタダじゃおかないし」
諦めない彼女は異空間を大きく広げ、そこにヒナヒメを放り込もうとした。しかしヒナヒメはおもむろに立ち上がるとふらふらと歩き出した。
目の前には怪我を負いながらも必死に生きようとする兵士の姿がある。ヒナヒメはその兵士に寄り添った。
「その身体でまだ他人を気遣うつもり? 諦めの悪いオンナ。……ワタシもか」
ヒナヒメはピアニッシモの疑問に答えを示すように兵士に回復魔法をかけた。
「意味わかんない……同胞だろうと平気で斬り捨ててたアンタが! どうして? 矛盾してるって……。頭まで重症じゃない……」
彼女は返事をしない。それでも行動で示し続けた。回復が間に合わなければ次へ、また次へ、助けを試みる。しかし、イヌ化による弱体化の影響は大きく、満足に回復させてあげられない。兵士は次々力尽きていく。
「あーはいはい! “戻りなさい”」
ピアニッシモは根負けしてイヌ化を解いた。
直後、一糸まとわぬ裸の少女が黒い煙にまかれた状態で生まれてくる。
「いいの……?」
「勘違いしないで!! たかが呪いなんてピアシーが治すんだから、死ぬ前に絶対戻ってくること。これからも多くの命を助けたいなら、なおさら! いい!?」
イヌに素直な性格の彼女でも、ヒトには優しく素直になれなかった。
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「……はァ……、はァ……、……はァ……」
無辜の怪物と婿の騎士の対決は騎士の勝利で終わりを告げる──。
手足を失い満身創痍だった男は最終的に近くの峡谷から少女を突き落とし、辛くも勝利した。実力は間違いなく少女の方が強かった。しかし殺意や狂気は遥かに男が勝っていた。だから戦えた。やりきれた。死ぬことが出来なかった。
「オレは……なんにも、できない……」
救うことも倒すことも死ぬことも。
足が重くて立ち上がれない。
痛みすら感じる余裕がない。
祝福する者もどこにもいない。
ゆえにひとりぼっちに天を仰ぐ。
「……ヒ……ナ」
男はその言葉を最後に崩れ落ち目を閉じた。
「……。」
そこに、黒い煙に包まれた少女が歩み寄る。少女はその兵士の正体が自分の夫であると知っていたかのように優しく微笑むと、呪いの力で全身の傷を瞬く間に治してみせた。彼女の身体からは一層濃い煙が吹き出す。
「ダン、私バカだから貴方にたくさんのことを伝え忘れた。ずっと伝えなきゃ伝えなきゃって思ってても、貴方と居ると時間すら忘れてとにかく幸せだったから、難しいことは全部忘れちゃった」
彼女はキズを修復し終わると、熱の灯るダンの手を取り自分の頬と重ねる。
「今はまだ分からないかも知れないけど、私を探して。私じゃないワタシを。もうひとりのワタシを。貴方を嫌うワタシがきっと──、貴方を救う日が来るから」
掴んでいたダンの手が落ちて、彼女は自分の両手が無くなっている事に気付いた。煙に巻かれた足も既に消えかけている。
無理やり助けたことで自分の死期を早めてしまったのだと少女は力なく笑う。しかし、どこか吹っ切れたような明るい顔は幸せに満ちていた。
「何してんの! 早く戻ってきなさいよ! いい加減死ぬぞ」
そこにプンスカ怒るピアニッシモがやってきた。ヒナヒメは振り返り応える。
「もういいの、守りたいものは守れたから。それとありがとう。まさか貴女に助けられるとはね。私の分の優しさは他人に向けてあげて。ニンゲンも悪いヒトばかりじゃないから」
「は? 関係ねーし。ピアシーはピアシーのためにオマエを救うんだし。アンタはもうピアシーのイヌなんだから、勝手に死ぬとかナメてると後悔すんぞ!!」
覚悟を決めたピアニッシモは消えようとする彼女の肩を掴み、空間を歪むように裂いた暗闇の中に放り投げた。
「絶対に見捨てたりするもんですか……」
そう言うとピアニッシモは一段落ついたとばかりに額の汗を拭う。
「ラッキーちゃん聴こえるぅ! 馬車の手配をお願いしたいんだけどー。ピアシーもう帰るからさ!」
「ブラックスコーピオンはもういいのかィ?」
ピアニッシモが声のした方を振り向くと、赤い魔法陣の上で頭蓋骨のついた杖がカタカタ揺れながら喋っていた。アルデンテの声を代わりに発している。
「こ、こんだけ探してないんだから多分消滅っしょ。それにこんな環境になっちまったら育ちようがないしねー」
ピアニッシモは目的を忘れていたとばかりに動揺するが、うまく言い訳をつくって返した。
「万が一にでもさ、出てきたらどうするノ?」
「その時はぁー、そうねぇ……、ラッキーちゃんが管理して。もしかすると残して置いといた方が良さそうだし?」
この時──、五賜卿たちの長は魔王候補者として他の候補者たちと覇権争いの真っ只中だった。ゆえにピアニッシモは、別の魔王候補者を倒す切り札として黒蠍を使用することは最悪アリだと考えていた。
勅命を受けたので消すほかないが、残ったら残ったで使い道はある──。その考えをアルデンテも理解を示しドクロがカラカラケタケタ笑う。
「なるほどそれはオモシロイ。あの御方にはキミが任務をやり遂げと報告してあげるヨ」
賜卿たちの勝手な取り決めは、後のユールで波乱を巻き起こすが、それはまた別のお話──。
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それから数時間後。
セバス・ヒナヒメは一時的な脳死状態だったことで記憶を無くし、夫やもう一人の自分のことも全て忘れ、恐怖から戦場を逃げ出した。
一方でダン・レトレッド・ダットリーは、自分の身体が無傷だったことに驚いた以外、特に何に対しても反応を示せないカラッポな男になった。
無気力だった男はある日突然、ピースに選ばれた。それから、自らの正体を隠すように幾つもの偽名も名乗り出した。
五賜卿たちにはダットリー・マイルド・ホープを名乗り、ユールでは『S級冒険者』ワイルド・ソール・メン・ダットリーを名乗り、聖職者には『グランドゼロ』のダットリー・スピリットを名乗り、アサシンには『E』のキャビン・レッド・ダットリーを名乗り、本来の自分を捨てた。
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