第百五十四話 吹き飛ぶ腕
グロ注意回です。
ヒトを呪い殺す邪険に満ちた鬼の形相でピアニッシモは新たな権能、その名を叫んだ。
「慄けや、戦けよ、┠ 懐柔戦慄 ┨ァァーー!」
銀色の帯。恐れ戦き震えあがる者を従わせる能力の環。それがセバス・ヒナヒメに襲いかかる。
「……無駄だぞ。少し能力を変えたくらいじゃ相性の悪さを越えられない。諦めろ」
焦るピアニッシモを嘲笑うかのようにヒーラーはまた性格を変えて平然と応えた。実際、セバスの身体をすり抜けるように透過した帯は全く通用しなかった。
「なら後悔させてやラァァ! 吠え面かくなやァあ!?」
ピアニッシモは激情に任せ、様々な色の環を右腕全体にかけて大量に発現させた。そしてその全てを解放してライト級の権限を次々と畳み掛けた。
「幸福! 軽蔑! 希薄! 冷血!生命! 光!」
様々なバリエーションの帯が飛び交いどれもセバスに触れて消えていく。だが、無意味に終わる。すべてを真正面から打ち破ったヒナヒメは自らピアニッシモに近付いていく。
「ありえない……ありえないッ! 効かねぇとかピアシーそのものじゃなきゃ説明つかねぇだろがッ! このボケナスがよォ!」
「その力に対抗できるのは、おそらく戦場じゃ私たちぐらい……。決めました。やはり貴女はここで殺します。その方が未来のためになりそうなので」
「はぁ!? 冗談よね? さっきは見逃してくれるって言って……!」
「私たちに出会ったこと、運がなかったと諦めてください」
どんな権限も意に返さない少女の持つ剣が夕日に反射して強く光った。まるでその決意を示すかのように。
「待って止まって! 止まりなさい! お願い止まってお願いだからぁ! ねぇ止まってよ! 殺さないって約束したじゃん! 帰るからねぇってば! ねえぇ!」
恐怖のあまり泣きべそ掻くピアニッシモは、尻もちついて後退る。
自分がしてきた非道な行いなど忘れて、哀れにも必死に生にしがみつく五賜卿に対しヒナヒメは憤りを感じて剣を強く握る。倒さねばという想いはより一層強くなった。
「死んで詫びてください」
「戻らなくなるぞ!!」
振り下ろされた剣はピアニッシモの額に触れて静止する。額からは一筋の血が流れる。
「……ワタシが死ねば、イヌは誰にも元に戻せなくなる。それでいいの……?」
苦し紛れの言い訳──、にしか聞こえないが、ヒーラーは確かに剣を止めた。止めてしまった。
多少なりとも揺さぶりが効くと分かったピアニッシモは内心ニヤけが止まらなくなる。
──ふふふ、自分から近付くなんてホントバカね。
一瞬の油断がアンタをイヌに変えるのよっ!
しかしピアニッシモは知らなかった。それが通じるのは心の根の優しい衛生騎士ヒナヒメであって、もうひとつの魂には全く通じないことを。
「はぁ……言っただろう。私は一人救えればそれでいいと」
目付きが変わった。
それと同時に殺気を感じ取ったピアニッシモは『終わった』と、慈悲も容赦もなく殺されてしまう未来を悟る。
【血染めのバラ】のセバスはそんな彼女の覚悟が決まるより早く眉間を射止めるように正確に剣を振り下ろした。
直後、セバスの右手が吹き飛ぶ。
「……?」
セバスの右手が吹き飛んだ。
切断され、血飛沫があがるも理解は追い付かず疑問が脳裏を駆ける。
「……!!?」
肘から先を失ったことに誰よりも驚いたのはピアニッシモ。
「──コロス」
何処からか呼吸を忘れてしまう冷たい殺気の音が聴こえる。
その響きとともに冷気がその場を支配する。
セバスが落ちた右手を拾うことも忘れて振り向くと、至近距離にひとりの少女が立っていた。
安易に動けないほど、近くに。
「……。」
さらりと伸びた白金色の髪を揺らし、くすんだ瞳をその隙間からチラつかせる謎の少女は静かに佇む。
手には血濡れの剣が二本。
異常な程にやせ細った手足をぶら下げ、息苦しさを感じるほどの殺気を放っている。
「なんだ、お前は?」
セバスの問いが届いていないのか反応は示さない。
恐怖と乖離する儚さや脆さ。
飢えや貧しさと乖離する “狂気” の纏い。
存在が矛盾している。
“恐怖” が体現されている。
理解の及ばない次元にいる。
“強さの檻” から外れている存在。
「コロス、コロス、コロス」
真横に近付かれるまで一切気付けなかったピアニッシモは理解出来ない怖さに声のあげ方を忘れる。
少女は重たそうに引きずる両手の剣を振り上げセバスに斬り掛かった。セバスはそれをどうにか片手で受け止めようとするが、その隙をピアニッシモが見逃さない。
敵の敵は味方とばかりにセバスに手を伸ばし、そして触れた。
バチチチッ──!!!
次の瞬間、大きな炸裂音と共に三人を巻き込むような電気の波が乱れ飛ぶ。 何かしらによる拒絶反応──。それが何かはセバスにもピアニッシモにも分からない。それぞれが四方に大きく飛び散った。
足の踏み場もない地面を何度も弾み頭を強く打ったピアニッシモは気絶。吹っ飛んだ右手を拾い上げる【血染めのバラ】のセバスと両手剣の少女は立ち上がり、示し合わせたように向き合う。
二人にはかなりの距離がある。おかげで別の兵士に気を取られた謎の少女が無差別に襲い始めた。
セバスは今しかないと行動に出る。
「ヒナ、腕を治してくれ。私の回復魔法では時間がかかり過ぎる。だから……おい、ヒナ! なにしてる出てきてくれ!」
【血染めのバラ】のセバスは戦闘能力に特化している分、回復魔法のレベルが低く治療が遅い。対して衛生騎士のヒナヒメは虫すら殺せない臆病者な代わりに回復魔法のレベルが異常に高く治療が早い。故に効率を重視したセバスが呼び掛けるも、ヒナヒメは一向に表に出てこようとはしなかった。
当然、セバスは心配になる。
「ヒナ、交代だ。交代だと言っている。おい! なぜ応えない……!?」
何度呼びかけても反応がないヒナヒメのことを考えているうちに、セバスは五賜卿に触れられたことを思い出し、良くない想像を膨らませる。
「まさか……お前っ」
──さっきの拒絶反応……。もしあれが……私を庇ってのことだったら……。
思い返せば違和感でしかない。
三人が四方に吹き飛んだ事実が。
「ヒナ! ヒナァ!! 何処だ、返事をしてくれぇーー!! ヒナヒメェ!!」
セバスは自分の右手の痛みも忘れ、一心不乱に彼女を探し求めた。その時、底冷えする声がまたしても響く。
「コロス」
気が動転していたセバスは致命的なミスを犯してしまう──。それは、悪魔のような少女に背中を向けたことだ。
「しまっ──」
振り返ったがもう遅い。
セバスの胴体はスルっと分離した。
たった一撃。
少女の一閃。
あっけなく音もなく訪れる終幕。
下半身が力なく横たわると、臓物を撒き散らす上半身が遅れて地面に落っこちた。
深緑色の外套は引き裂かれ、半分が風に吹かれて飛んでく。
「ヒ……ナ……」
その言葉を最後に、【血染めのバラ】は瞳孔を開いたまま動かなくなった。
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死んだ──。
たった一人を救えず、願い叶わず無様を晒して。
死んだ。
なにも成せない、なにも守れないままに。
──くだらんな、私は。
そんな愚か者にはちょうどお似合いな死に方だと自らを卑下する。
それと同時に自分がまだ思考出来ていることの違和感に気付いた。
死んでいない……?
まさか、辛うじて。だが何が出来る。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸より細い可能性。それを自覚すると暖かい光に包まれる心地良さを知る。
この光は──治癒の光だ。
優しい光。
とくに見慣れた光だった。
光源を探るように意識を引き起こし、ボヤけた視界を必死に動かす。
「……あ。……あ……」
声は出ない。
ただぼんやりと誰かが治療してくれていることは分かる。
ヒトではない、何かが。




