第百四十九話 セバスとヒナヒメ
救出、数時間前。
──大洞窟──
珖代の助言を受け、なんとか崩壊に巻き込まれずに済んだセバスとダットリーは横穴から地上を目指し歩いていた。
風は通らない──。
異様なほど暗い──。
地上に繋がる可能性が低い──。
それでもダットリーの肩を担ぎながらセバスは前に突き進む。
道は必ず続いている信じて。
ヒトで居られる時間も残りわずか。だからせめて、この無気力な男が少しでも地上に近付けるよう行けるところまで連れて行く。そう決めたセバスは勁かった。決して足を止めることも、希望を捨てることも無かったのである。
「──私は記憶喪失だった。記憶を失った状態で、ヒナを失ったあの戦場にいた」
自分の目の前で死ぬことだけは許さないとする彼女は意識が落ちかける男に、そんな枕言葉から始まる昔話を始めた。
「血と肉と悪臭で形作られたお山の中から這い出でるように息を吹き返した私は、足元のが敵なのか味方なのか、この事態を誰が引き起こしたのか、そもそも私が誰なのか一切分からなかった」
「待て……、お前さんはヒナと別の魂じゃなかったのか」
違和感を感じたダットリーはあることを思い出し、話の腰を折ってまで聞き返す。
あることとは、ユイリー・シュチュエートとユキタニ・アザナが『二心一体』だったように、セバスとヒナも『二心一体』という説明である。加えて、その説明をセバス本人から受けたことを指摘する。
「ヒナのことまで忘れちまったんじゃあ、『二心一体』の話、どっから出てきたんだ」とダットリー。それに対してセバスは「のちに記憶は取り戻したんだ」と答えた。続けて彼女は言う。
「記憶を無くしてから現在に至るまで、私の中にヒナを感じることが出来なくなってしまった。そしてユイリーの件を聞いて、私たちも同じ目にあったのだと理解したのだ」
記憶喪失により 『二心一体』 も忘れただけでなく、ヒナの心も消えていた。また、『二心一体』には制限時間があることをユイリー姉妹をみて学んだのだとセバスは語った。
ダットリーが納得したように「それで、どうしたんだ」と呟くと少し間があってセバスが話を戻す。
「記憶のない私は恐怖で逃げ出した。宛もなく何日も彷徨い続け、やがて体力が底を尽き倒れた私を待っていたのは、同じ戦争で家族を亡くしたひとりの医者だった。その医者は『戦場での記憶喪失はよくある事だ』と私を助けた。それと私の着ていた外套にセバス・ヒナヒメと書かれていることも──、それが私の名前であることも教えてくれたのだ」
ダットリーがゆっくり顔を上げる。
「なら帰ってこれただろ……協会にかけ合えば名前だけでも身元は割り出せる」
「だろうな。だがそれはしなかった」
「……聞いてもいいか」
今聞かなかったらなんとなく後悔してしまうように思えて、ダットリーは彼女の過去に慎重に接した。
「対外的に情報を得て故郷や貴様の元に帰れたとしても──……。いや、認めよう、怖かったのだ。私が良い人間ではなくて、受け入れてもらえなかったらと怖くて仕方なかったんだ」
彼女は珍しく弱音を吐いた。
対して男は押し黙る。安易な理解や共感は無理だと悟ったから。ただし、医者の立場は理解できる。
「その医者は遺族なんだろう。戻れと説得はされなかったのか」
セバスはゆっくりと首を横に振った。
「むしろ歓迎されたぞ。『あなたと同じように弟が今も世界を旅している途中だと思うと、いつかは会えるような気がして幾分か楽になれる』だそうだ」
「……旅か」
大きく共感できるわけではないが、自分も妻の死が受け入れられず世界中を旅したものだから、希望の持ち方は人それぞれなんだなとダットリーは思うことにした。
それからセバスは記憶を取り戻すことはせず、安住の地を求めて旅に出たという。その旅の終着に荒くれ者をまとめる一国の騎士団長となったことや、五賜卿ピアニッシモと戦い自らを含め半分以上の団員がイヌにされたことを語った。
「──多くの犠牲者を出した責任を取って私は団長を辞任。どうせならと再び旅に出ることにしたのだが『行く宛てが無くなって、それでも帰るのが怖いと感じたなら、この街に来るといいさ』と医者に言われた “ある街” を思い出し、現在に至るという訳だ」
“ある街”とはそう、ユールのことである。
「この街の住人なのか?」
「町長の父親だ。再会は叶わなかったがな」
「ああ、そうか。あの人ならそうか。そうするか……」
現町長の父親、初代ユール町長と過去に面識のあるダットリーは噛み締めるように納得した。なぜならこの男も世話になりっぱなしだったからだ。
「私の過去はそんなところだ」
「フッ。裏切り者に、わざわざありがとな」
ダットリーは自分を卑下するように鼻で笑う。少しだが、元気は取り戻せたような言い回しにセバスも安堵した表情で笑う。
「私は話したぞ。次は貴様の話も聞かせてもらうぞダットリー」
「おいおいな」
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「……行き止まりか」
目の前には岩盤。
二人の前にこれ以上道は無く、諦めたように口にしたのはダットリーだった。
「いや、まだだ」
そう言うとセバスは大きな岩の出っ張りにダットリーを座らせて壁に挑む。剣で掘ろうと何度も突き刺すが硬い石に跳ね返されてポキッと折れ、地上まで風穴を空けることは困難だと理解する。
「ナメるなよ私を」
それでもセバスは諦めない。折れた剣が使い物にならなくなれば今度は素手で掘る。しかし「その手は大事にしてくれ。頼む」とダットリーに腕を掴まれ、やむなく諦めた。
やれることが無くなり、ぽっかりと空いた暇な時間。
「おい」
セバスがダットリーに自分語りを急かす。
「オレの話をする前に、一つ聞かせてくれ」
出っ張りに座り直したダットリーは正面の壁に寄りかかるセバスに質問を飛ばす。
「今のお前さんは失ったヒナとの記憶を保持しているな。肝心のソレはどうやって取り戻したんだ」
「ハッ。そうかそうか話してなかったか。戻ったのは今から約一年半前。かなみ殿……いや、厳密に言うと珖代殿がキッカケだったかな」
彼女は思い出したように軽く笑うと簡単に、完結に、説明した。
「日本語を聞いたからだ」
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一年半前。
《お食事処レクム》の店番を女主人デネントに任された珖代とリズニアは店の掃除をしていた。
転生の間の元女神リズニアは軒先をほうきで掃き、珖代が店裏で食器を洗っていると一匹のセントバーナードが珖代の方へとやって来た。なんとなく散歩して、たまたまそこにあった日陰でくつろぎに来たセバスである。
目が合うと珖代は声をかけた。
「ん? お前、セントバーナードか? こっちの世界にもいるのか。こんな暑い地域でよく生きてるな」
その言葉を聞いてセバスは立ち上がった。聞き馴染みのない音のはずなのに、なぜか男の言っている言葉の意味が理解できて全身に鳥肌が立つ感覚に襲われたからだ。