第百四十八話 天敵ス
一章七話
初めて出会ったときの彼女と現在の彼女のわかりやすい比較です。
喜久嶺珖代が魔王に宣戦布告しそれを幇助する形で逃がしたウィッシュ・シロップは五賜卿剥奪とそれに伴う罰を受ける可能性が浮上した。敵側の事情など本来は突くべきではないと分かっている珖代だったが、“命を救った恩人” であるというただ一点に取り憑かれ、彼女を救う方法を模索する。
罰と剥奪を受け入れるシロップと、せめて罰は回避させたいと考える珖代の意見は真っ向から反発するのだが、お互いの勘違いがあらぬ方向のズレを生み出し、その場はなぜか『ラブコメの波動』に包まれていた。
「……。」
「……。」
現在、目線で何度も触れ合いながら二人して髪の毛をいじいじしている真っ最中──。
「た、たしかに──」
甘酸っぱい空気に端を切ったのはシロップだった。
「──アルデンテ様や他の五賜卿と比べたら今の主や環境にそこまで強い想い入れはありません」
「だったら!」
「でも!」
強引に詰め寄ろうとする珖代をシロップはカットした。そして、自分なりの言葉で説明するために敬語をやめにする。
「ワタシは、ワタシの生き場所をくれた者たちを裏切れない。そのヒトたちがワタシにとっての『恩人』だから」
その言葉は勁くまっすぐ伸びる。強く男の胸に刺さる程に。
真正面から逃げずに答えたシロップの覚悟に珖代は思わず目を逸らす。恩人という言葉を聞いて、効いてしまった。言い返す言葉すら見つからない。
ただそれでも助けたいという思いは捨てきれないので、拳をギュッと握り締めてやり場のない想いを地面に吐き捨てる。
「……分かったよ」
白みがかった空から黄色い風と共に真っ赤な太陽が顔を出す。
暖かな陽気が二人の間に射し込むも、その眩しさに目が眩むようなことは互いにない。二人の世界に一切の付け込む余地はないのだから。
「妥協案と申しますか……、折衷案があります珖代様」
「ホントか! それって一体どんな──」
彼女は希望を口にし不意に接近して、男の首に腕を回す。
「──シロップ?」
それから、届かない距離を補うようにつま先立ちで背伸びをする。
そして、触れる。
そうして触れ合う。
陽光を遮るように二つの影が濃く重なった。
ゆっくりと、されど確かに朝焼けの時間は荒野に熱をもたらす。
“こい”影は、反射する糸を引いて離れた。
「シロップじゃありません。ワタクシは五賜卿パーラメント。それ以上でも、それ以下でもない貴方の “天敵” 」
彼女は何も説明せず、男の背中に掛けてあった聖剣の鞘を持って悪戯に微笑む。男には鞘について問い掛ける余裕がない。
近付いた目的は鞘を奪うためだったのか。だとしたらなぜ? と思うことすら思考がママナラナイ。ぼーっとする。
聖剣の一部を戦果として持ち帰り、罰を逃れようとしていることなど露も考えつかない。
そもそも。
直前のアレは必要だったのか。放心状態の彼には分からない。
「五賜卿パーラメントを今後ともよろしくお願いします」
それを告げた後彼女は杖を使い、砂煙だけを残して何処かへと行ってしまった。
残された男はぼっと突っ立ち、自分の唇に残る微かな感触をそっと確かめる。
この感じ、二回目。
“ニセモノ” の魔女に嵌められ枯れない森の中で宙吊りにされ、不意打ちで同じモノを食らった時を思い出す。
じわりと染み渡る熱く甘い感触。
「なんか……違うな」
ただ、なにかが違う。
決定的に。
『切なさ』だろうか。
でもそれではしっくり来ない。
漠然とただ『冷たい』と感じた。
「あれ、珖代?」
彼女なりの決別だろうか。名残惜しさを吹き飛ばすための覚悟が唇越しに伝わった──。
というのは浅すぎるだろうか。
「ねぇってば珖代」
「うおお! か、かなみちゃん!?」
珖代は驚きに目がくらみ目の前の少女の名前を呼んだ。もうすぐ小学校六年生の年になるチート少女、蝦藤かなみの名を。
それと同時に此処が早朝のユールであったことを思い出す。
「そっか、ここユールか……」
安全を自覚するとドっと疲れが込み上げる。
思えば夜遅くに宴を抜け出し、パーラメントと密会しイザナイダケの真実を知りウルゲロやダットリー、他の五賜卿が出てきて結婚する流れになり人間モードのセバスと戦い、デモナス迷宮へ飛ばされ魔王に宣戦布告しパーラメントに助けられて──……ここまでノンストップだった。
予定より帰ってくる時間が掛かり過ぎた所為で、宴を途中で抜けて寝たかなみの起床時間と被ってしまったようだ。
「今誰かとおしゃべりしてなかった?」
「いや、べべ別にぃ?」
純粋に小首を傾げて訊いてくる少女に激しく動揺する。街のど真ん中で五賜卿と話していたなどと、ましてや最後にあんな事があったなんて知られる訳にはいかない。もし怪しまれてもシラを切り通す。
「それよりさ、かなみちゃんはどうしたの、こんな朝早くにさ」
あからさまに話を切り替える珖代に能力を使わずとも色々察したかなみは、しばし目を細めるがいつものことだと判断してあえて聞かないという大人な対応を取った。
「今さっき起きたんだけどさ、セバスがどこにもいないんだよね。だから珖代と一緒かなぁって思って」
「セバスさん? セバスさんなら今頃──……あ」
その名前を口にして、珖代は忘れてはいけない超大事なことを思い出す。
今更ながら、噴いてでた汗が止まらない。
「そうだそうだそうだまずいまずいまずい……!」
崩壊する洞窟にセバスとダットリーを置いてきたことを思い出しパニックになる珖代はキョロキョロと辺りを確認する。そして方角を思い出すと一目散に走り出した。
「二人とも助けに──」
独り、助けに向かおうとしていた珖代だが、唐突に足を止めた。
「珖代?」
急に走り出したり止まったり。
かなみは心配になりその背後に問い掛ける。
「違うだろ。もう勝手は辞めたんだろ……」
自分に言い聞かせるように小さく呟いたあと、覚悟を決めたように男は一息吐いて振り返る。
「かなみちゃん!!!」
「え、な、なにぃ?」
戻ってきた珖代がかなみの両肩を掴んで離さない。当然、寝起きの少女は困惑し身構える。
「かなみちゃんに助けて欲しい!! 違うな、みんなの力を貸してほしい!!」
長いこと避けてきた。
恥ずかしくて避けてきた。
誰かを頼るという行動を、珖代は全力で遂行する。
大事なものを一つもこぼさず、魔王を倒すために。
早朝から珖代のヘルプに集まったのはレイザらスやユールの住人、総勢百余人。
地層やトンネルに詳しいエキスパートたちの力も借りて、大事な師匠と大事な犬の救出作戦が始まった。




