第百四十五話 強い意思 生きる意志
2つ前の話に追加した内容があることをお知らせすることをうっかり忘れてました。なのでここでお知らせします。
セバスとの口論?の部分です。
「悪いウルゲロさん、俺は行かない。何も捨てないし。もう何も置いてかないッ!」
敵に助けられる形となった珖代だが、膝をついたまま強い意思を貫くように自分の胸に親指を突き立てて言った。
「それは、自分の立場を理解しての発言ですかねぇえ」
見下し憐れむような視線を向けられようが、この意思は誰にも曲げられない。
「どう脅されようが俺は屈しない! 大切な人たちに迷惑をかけるような身勝手はもう辞めると決めたんだ。でなきゃ、リズや皆に示しがつかないんでな」
「もー、キークちゃんホントに分かってる? 周り見てみて、よーく細かく」
珖代の熱意と反比例するかのように冷めたく呆れた態度を取るウルゲロとピアニッシモ。覚悟していたような脅しや攻撃が来る気配すら一切なく、珖代は若干困惑する。
「……え?」
しばらく事態を飲み込めなかった珖代も『立場』の意味をようやく理解した。その途端、背筋や顔に大量の汗を吹き出し金魚のように口をぱくぱくさせる。
周りの景色はガラリと変わる──。
「ここは魔族領──」
小刻みに唇を震わすその様子が余程楽しかったのか、ピアニッシモは余計なタメをつくり腰に手の甲を付けながら言葉を重ねる。
「──デモナスの地下迷宮一〇〇階よ」
「は、はは、迷宮ねぇ……」
迷宮──。それがなにを意味するか分かっていないが、ただ、面白そうな響きだと空元気に笑うしかなかった。
──────────────
──大洞窟──
「おい、何をしている。なぜ出てこようとしない。あの程度でくたばるほど歳は取っていないだろう。さっさとしろ。私の気が変わらないうちにさっさと起きろ馬鹿者!」
若く女丈夫な姿を辛うじて保つセバスは崩れゆく洞窟の中、瓦礫の山に向かって幾度か話し掛けていた。しかし痺れを切らした彼女はその山に登って手を突っ込み、土気色になったダットリーを無理やり引っ張り出した。
「死にたいのか貴様」
「……ほっといてくれ」
ぐずり疲れた子供のようなことを口にするダットリーをセバスは容赦なく瓦礫の山から放り投げる。斜面を滑り男は力なく転がった。
「ふざけるな。私の前で貴様が死ぬのだけは許さないぞ。絶対に」
一人では立ち上がる気力も見せないダットリーを担いで上階の出口を目指すのは難しいと判断したセバスは、珖代から聞いた鉄の扉とやらを探しに歩き出す。地上に繋がっている保証はない一か八かの掛け。落ちる岩に気を付けながらダットリーを肩に担ぐ。
「……もういい。ほっとけ」
「何度も言わせるな。お前に死なれると後味が悪いんだ。ほら足に力いれろ」
それから、無言の間が生まれる。二人の間にはゴゴゴと洞窟が崩れゆく音と揺れだけがしばらく響いた。
「単なるニセモノだと思っていた──」
隣りにいてやっと聴こえるか細い声で男は突然続ける。
「──仕草から声からなにまで違うと分かるとタチの悪い冗談に思えて、それでも、本人でないことに安心したオレがいた。……だがそれこそ違った。剣呑して剣圧を弾いた時、戦場でこれを着て敵と対峙する彼女に似ていると感じた。いや、そンまんま、当時の気迫を思い出したんだ」
そう言ってダットリーは空いてる方の手を懐に突っ込み、おもむろにボロ雑巾のような布切れを見せた。布切れはセバスが着る下半分が切れた外套とは真逆の、上半分が切れて無くなっていた。そしてその中に懐中時計が包まれていた。
「……お前が持ってたのか」
ダットリーは返すのが目的でそれを差し出した。
「オレにとっては既にあげたもので、お前さんにとっては一緒に身に付けた大事な形見だろ? だったら、誰が持つべきかは明白だ」
「……フン! あたりまえだ」
セバスは素直になれないまま、されどしっかりとそれを受け取った。
「壊れているな」
「時は、あの時から止まっている」
懐中時計は多くを望まない妻のために必死に考えて初めて送った誕生日プレゼントだった。遺留品として彼の元に帰ってきた頃には、その機能は既に停止していた。どの瞬間に壊れたか分からないが、止まった長い針と短い針を二人が同時に視線でなぞる。
停まってしまった時間が、二人の今の心のようで、冷酷に報せてくる。
「そうか。……ありがとう」
壊れた時間が壊れてしまわないように、セバスはお礼を述べて大事にしまった。
また少し沈黙が続いた後、ダットリーが核心に触れるように口を開いた。
「容姿以外お前はアイツに一ミリも似ていない。それなのに……、それだけでヘドが出るのに、ヒトを殺している時のお前はヒナそのものでしかなかった。完全なニセモノじゃなく、一部面影を残している。だからオレはこう思った。お前は、いや、お前さんたちは元々二人で一つだったと。ちょうど、ユキタニアザナやユイリーがそうだったように」
妻が生きていると信じて、今日まで男は戦ってきた。
結果が実を結んだかどうか定かではないが、今日ようやくその手掛かりに逢えた。
灯台もと暗しというべきか、何処よりも近くにあって、誰よりも似つかわしくなくて、何よりもホンモノを感じた。同時に嫌悪感に苛まれ、止まった時計の針が動き出した。
吹き飛ばされ壁に衝突し、瓦礫に下敷きにされる数秒の間に、似ている部分と似ていない部分が “極端” だと気付き、二心同体説が頭をよぎった。
先日のユイリー・シュチュエート、雪谷字がそうであったように、ひとつの身体に二つの魂が宿っていたのではと思い当たった。
そうなるとヒナは今、裏にいる。
すぐ近くにいる。なら会えるか。
もう少しだ。どうやって起こす。
そういえば、セバスはヒナの存在を認知した上で「私は彼女とは違う!」と言っていた。だから尚のこと、この説は有り得ない話ではない。なのにオレは、そんな可能性に喜ぶことも出来ない。理由も分からないまま瓦礫に埋もれる。
真っ暗な瓦礫の中で漠然とした不安と向き合う。周りの音や光をゼロにする空間だったことは幸運だった。ゆえに答えはあっという間に導き出せた。
『ユイリーの魂にタイムリミットがあったように、ヒナの魂はもうそこにはない』のだと。
そう思った瞬間、妻の死を自覚し生きる意味を見失った。洞窟の崩壊に巻き込まれて死のうがもうどうでもいいとすら思えるほどに。
「ヒナはそこには、居ないんだろう……?」
「……いない。それだけは分かる」
沈黙。
その後にダットリーが口にする。
「彼女の代わりに戦場でヒトを殺していたのは……お前だったんだな」
「ヒナは優しすぎたんだ。だから、ヒトを殺すのは彼女の代わりに私がやる事にしたんだ。彼女の幸せを、心を守るために」
「すまん……すまん……すまない……」
ダットリーは更に声量を落とし俯いた。その謝罪はセバスやヒナ、自分に向けたもので。それに気付いたセバスはずるいと感じため息をついた。
「ばかもの……。謝るなら、ヒナだけにしておけ」
そうこうしているうちに、セバスは鉄の扉を見つけた。
入口の幅は二メートル弱、高さは五メートルほどある割と大きめな扉だった。
「我々はもう止まっている場合ではないのかもしれないぞ」
セバスの問い掛けにダットリーは反応を示さない。
「私は彼女のおかげでここに居る。お前もそうだ。理由がどうあれ彼女のためにここに居る。なら次に行く必要がある。ヒナの果たせなかった夢を今度は私たちが果たす番だ」
扉はハンドル式のドアノブがついていたが、セバスはダットリーの肩を担いだまま✕字に斬り伏せ、下部分を蹴り飛ばして無理やり押し通った。
「夢……?」
「『ヒト助け』だ」
死んでしまった彼女の意志が、今ここに息を吹き返す。




