第百四十二話 セバスという全盛期
どうぞ、大洞窟からの続きです!
最初に見た世界は濁っていた。
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母の顔など覚えていない。
私はドブ川に産み落とされた。
大雨で氾濫する用水路の中。
息を覚えるより先に水を飲んだ。
恐怖はなかった。
まだ何も知らず。
死の感覚が生の実感を追い抜いて。
躊躇なく。
汚れた私に手を伸ばしてくれた、ひとりの少女がいた。
「⋯⋯お母さん! やっぱりまだ生きてるよ!」
ヒナ。
ヒナが言うには私は猫という生き物らしい。
大きな猫。
ではなく、ヒナは人間という生き物らしい。ヒナの母親も。
「飼ってもいいんだって。うち来るかー? ふふ」
「ニャー」
猫でも人でもなんでもいい。
とにかく幸せだった。
濁って見えた世界は彼女のおかげでどこまでも綺麗に輝いていた。
しかし。
私の命は数日と持たなかった。
それはヒナの所為ではない。
それでも彼女は泣いてくれた。
「バイバイ。天国では絶対幸せに生きるんだよ⋯⋯」
「では」とはなんだ。
それではまるで今が幸せじゃないみたいな。
その時、気付く。私は、まだ彼女に何も返せていないことを。
次は。
次があるなら彼女のそばに。
その願いは転生と共に異世界で叶う。
「──ので、転生体は原則ひとつしかご用意出来ません。ただし、二人で一つ。“ニコイチ” ならソレも可能でございます。いかがなさいますか?」
「ニャー?」
女神の計らい。
あの頃の私には理解出来なかった。
「一緒に居られるって! じゃあ、それでお願いします!」
「ではそのように登録を」
きっと忘れない。
両脇を天高く抱えられ、名前をもらったあの日のことを──。
「失礼ですが、その子のお名前は?」
「あ、そっか名前⋯⋯。んー、おヒゲがくるんと執事さんみたいだし。そーか、じゃあ君の名前は──」
その時、暖かい音がした。
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「──セバスだ! 二度と間違えるんじゃないぞ!」
騎士団に預けていた私剣を以てダットリーを威嚇する。尤も、威嚇する前からこの容姿がだいぶ面食らっているみたいだが。
「どう、う、ことだ⋯⋯? なぜそんな、瓜二つの」
私は嫌いだ。
ヒナを沢山悲しませ、沢山幸せにしたこの男が大嫌いだ。
「セバスさんニンゲンに戻れたんですか!?」
ダットリーも珖代殿も額に汗かくほど動揺している。ここは一度剣を下ろして答えたほうが良さそうだ。
「かなみ殿の┠ 限定回帰 ┨と言えば一々説明しないでも分かるかな」
「あぁ! 一定時間、全盛期の力と容姿を手に入れられるっていうあの能力ですね!」
「珖代殿、敵の前で仲間のスキルをベラベラ語るのはあまり⋯⋯」
「あっ! すいませっ」
口を手で覆ってももう遅いぞ珖代殿。とはいえ、かなみ殿がそれくらいで怒ることもないだろうがな。
「その深緑の外套⋯⋯。協会が衛生騎士にのみ支給するもんだ。それをどうして、いやそもそもその顔は一体⋯⋯」
ダットリーが執拗に答えを求めてくる。困ったものだ。┠ 限定回帰 ┨は服装まで再現するらしい。
狂犬時代はボロボロに破けたヒナの外套の上にメイルを付けていたが、今がまさにその格好ようだ。
──どうせなら彼女の魂も⋯⋯。
いや、余計な事を考えるのは辞めておこう。
しかし目ざとい。そこまで見抜くかダットリー。他人の空似ではもはや誤魔化せないか。
「師匠⋯⋯! 人型のセバスさんと会ったことがあるんですか?」
「似てるんだ⋯⋯。容姿やまとう雰囲気が。その声も、瞳の色も。あの頃の妻に」
「えっ! 奥さんて、あの、行方不明になったっていう⋯⋯」
そうか。
珖代殿も知っていたんだったな。
ヒナは私のパートナーであったと同時に、ダットリーのパートナーでもあった。歴で言えば私の方が断然長いが、向こうは夫婦という間柄にある。
ある戦争を境に行方不明になった妻を探して、ダットリーはこの街に流れ着いた。何が目的か分からないが、ユールに長く滞在し弟子が出来るまでの間、ただの酒飲みに成り下がっていた。私もこの街に来たのはイヌになってからだった。
「申し訳ないが、私の風貌やこの街にいる事情については答えられない。何故なら、その男が裏切り者だからだ」
私は日がな毎日をただ散歩して過ごして来た犬ではない。ユールを歩き回りたびたび木陰で休憩してたのは、怪しい連中の動きに常に目を光らせ監視していたからである。
そう、私は知っているのだ。ダットリーやウルゲロの裏を。怪しさを。
ほぼ野生の勘で!
「良いかよく聞け許さないぞ! お前やウルゲロが繋がっていることは、全部まるっとお見通しだ!」
「⋯⋯まるっと?」
いかん。ヒナがよくみていたドラマの台詞が出てしまった!
顔から火が出るほど熱い。
珖代殿が変な目を向けている。弁明しなくては。
「こここ、珖代殿! 誤解するな、怪しい所はもうひとつあるが、まずこの男こそ五賜──」
「おいおいおいおい無視すンじゃねーよ! って感じなーんだけど大丈夫かー?」
野生の勘が奇抜な銀髪男の攻撃を止める。しかし妙に重い。コイツの剣からは卑しさを感じる。剣で受けたのが間違いだったと思えるほど不愉快極まりない一撃。殺すなら最初だな。
「大丈夫そーだなぁ⋯⋯。気ぃ抜いてたら殺そうと思ってたんだけど。てか気の強い美人さんかと思ったら、意外とナデられただけでコロッと落ちそうな顔してね?」
「きもい、離れろ!」
剣越しに弾き返す。男は軽く宙を舞って着地し笑う。
気色悪い。ああいうタイプは苦手だ。機嫌が読めない。野生の勘が働きにくい。ナデられて嬉しいなど、その時と場合によるだろ!
「あれー? あんた、ピアシーとどっか会ってない? なーんか知ってる気ーすんですケド。んー」
何かと思えば今度はピアニッシモが目を細め、必死に思い出そうと唸っている。この姿の私を覚えているとは、小型犬にしか興味ないくせして珍しい。
「時に、パーラメント。だったか」
「ちょっとぉー! 無視しないでよーー!!」
「なんでしょう?」
「あんたもフツーに応えてんじゃ──」
「珖代殿を五賜卿にするという計画、つまるところ結婚を取り止めてもらえないだろうか?」
「その心は?」
謎かけのように帰ってくる。そうなればシンプルに返した方が良さそうだ。
「かなみ殿が祝福した結婚でないと世界がどうも終わってしまう気がするのだ」
レイザらスのレイが幼なじみのリリーと婚約を発表してから、若い女性たちの独身注目株は珖代殿に移った。そのため勝手に結婚すれば嘆く者も少なくないだろうが、問題は、結婚を認めず復讐に動き出す輩が一定数絶対いる事だ。
怒り狂った少女たちの炎を吐く光景が目に浮かぶ。とくに、自暴自棄になったかなみ殿ならチートスキルで世界を滅ぼしかねん。ゆえにこの結婚だけは割り込んででも止める。そのために私は今ここにいる。
「かなみどの? 誰でしたっけそれ」
「パーラメント様。例の⋯⋯」
ウルゲロが青い女に耳打ちをする。
「あー、いつぞやのリトルサモナーですか。彼女が世界を滅ぼしかねないといわれれば確かにー⋯⋯そんな気がしなくもなくはないですが、結婚は最早ワタクシたち『夫婦』の問題ッ!『夫婦』でない者が『夫婦』を引き裂こうなんてしちゃーいけません。ですよね? ダーリン♡ ⋯⋯キャー! 『ダーリン♡』て言っちゃったダーリン♡ て。キャー!」
青い女が一人ではしゃぎ、紫色になった顔に触れながらもじもじすると、壮絶な空気が流れ始める。珖代殿もそのノリに付き合うべきか悩むほどに。
「年増」
ピアニッシモがぼそっと言う。
「セブンスター、ピアニッシモを道連れに自爆してください」
「ンでオレがよ!? で、ンな機能ねえーし!」
「珖代殿。この結婚は政略結婚なのだろう? 自分のためではない、ユールや仲間たちを守るための」
「それは」と一度口にして、珖代殿はしばらく押し黙った。俯きながらそこで止まれば認めてるも同然。ここから心情をアバいていく。
「結婚し五賜卿になれば襲わない。そう言われたのだな? それで街は救われると。だが誰も認めないぞ、その結婚は。貴方の周りを不幸にする選択肢だけは選んではいけない」
「オラァ認めるけどなぁー。仲間の結婚は素直に嬉しいかったりなんかするわ。かわいー女と出会いの場にもなるし」
黙れ銀髪。
「ヒナ⋯⋯。オマエはヒナのなんなんだ!」
黙れダットリー。
「ダーリンに気安く話しかけるのやめてもらえます? これはもう夫婦間の問題なので」
黙れ。
「思い出したー! アンタ昔狗に変えたヤツじゃん! なんで戻ってるの!?」
黙れ黙れ。黙れ。
「血染めのバラとぉお呼ばれた少女とぉおは、別人とは思えませんねぇえ」
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
「これが一番丸く収まるんですセバスさん。だから僕のことは心配──」
「黙れ貴様らぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁ!!!!!!!!!」
「「「「「──!?」」」」」
私の放った闘気とその圧が洞窟中の大事な柱という柱に亀裂を生んだ。
そうだ。忘れていた。
今の私は、ここにいる全員を殺せる全盛期であったのだった。
剣を目線の高さに構える。ぶれないように剣先を左手の親指の隙間に挟む。
「私に異議申し立てがある奴は、全員まとめてかかって来ーい!! イヌのエサにしてくれるッ!!」
上から私を見守るエギネ殿の「どうして!?」という声が聴こえて来そうだが、気にせず蹂躙する。
これで万事解決。




