表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
178/216

第百三十四話 アルデンテの解放⑧


 「ガふっ……」

 

 ユキの吐いた血が俺の顔に数滴かかる。

 

 「どう、して……」

 

 俺の手首を掴み、掠れた声で聞いてくるユキを無視して、浮かんで来た疑問を投げかける。

 

 「ユキならしょうがないと、勝手に納得して放置していたことがある。ユキは……オマエは、魔術の里をどうやって抜け出したんだ」

 

 ユキは以前、俗世と切り離された魔術の里で産まれたことを語ってくれた。そこから抜ける為に大蛇を倒したとも──。

 しかし、その話を聞いた時点から腑に落ちない点が一つだけあった。それは、己を見つめ直した時に気付いたユキに感じる矛盾点である。

 

 「大蛇を倒したことで帝釈天(インドラ)の力を得たのは知ってる。理解できる。けど⋯⋯その前後を考えた時に、そもそもどうやって倒してから(・・・・・・・・・・)得たのかが分からない(・・・・・・・・・・)。オマエはその説明を避けていた。違うか?」

 

 帝釈天の起源とされるヒンドゥー教などに登場する神インドラ。何を司る神様なのか正直忘れてしまったけれど、大蛇(ヴリトラ)と戦ったという逸話は知っている。だから大蛇を倒したユキにインドラが力を授ける理屈はまだ理解できた。しかし、えてなのか分からないが、ユキはその大蛇を倒した方法を話していない。

 

 以前の俺は『ユキなら大蛇を倒せてもおかしくない』と根拠皆無な信頼を置いていた。その曖昧な感覚を思い出せたからこそ、今は彼女(・・)を疑える。

 

 剣を伝って滴り落ちる血が地面に小さな水溜まりを浮かべる。

 

 ユキは答えようとしない。

 ただ、その答えを、俺は既に得ている。

 

 「ピースの能力があったから大蛇を倒せた。そうなんだろ? 魔術士たちを騙して従わせて大蛇を殺した──。もしくは神すら騙して利用したか。そもそも大蛇なんていなかったかもしれない」

 「かはは……もう、これ以上はムリか」

 

 ユキは力無く笑うと、俺の手を押し退けるように腹から剣を引き抜き二歩三歩、後ろへと下がった。足元がおぼつかないのか腹を押さえながら尻もちをつく。

 

 「そうだ。……俺が、五賜卿ピースだよ」

 

 俺の推測が正しいと証明するように、ユキは自らの正体を明かした。そこそこ大きな賭けではあったけれど、あっさりと負けを認めるように吐いたのだ。

 

 「セバスさん」

 

 そう呼ぶとセバスさんは用件を伝えるより早くやって来て、腹のキズを癒す魔法をかけた。しかしあの優しい光を、直ぐに消してしまった。

 

 「セバスさん?」

 

 返事がない。背中を向けたまま動かず目を合わせてもくれない。

 

 「……無駄なんだよな。分かってる」

 

 ユキは脂汗をかいた顔で悟るように微笑んで──。

 

 「無駄……? なに言ってんだ。早くその傷治さないとっ」

 「、聖剣で付けられたキズは聖傷せいしょうって言ってな。普通にやっても塞がらねェんだ⋯⋯。俺たち魔族には」

 

 ユキは血まみれの手でとんがり帽子を脱いだ。ショートカットの頭頂部にヒツジのような小さな巻角が間隔を空けて二本生えていた。一瞬、飾り物に見えたが、思えば彼女の頭頂部を見るのは初めてだった。

 

 「分かるだろこれを見れば。俺たちが産まれた魔術の里はな……魔族領にあったんだよ」

 「魔族には──」

 

 後ろから師匠の声がして振り返る。

 

 「──聖剣で付けられた傷を簡単に癒すことが出来ない。だから、ソイツの事はもう助けようとしなくていい。良くやった。お前の勇気ある決断が多くの命を結果的に救ったんだ」

 

 励まそうという感じではなく、淡々と事実を述べているような静かな口調だった。


 「俺は⋯⋯そんなことも知らずに、⋯⋯ユキ⋯⋯を」


 頬に付いた血を拭き取った指を見ていると、寒気が止まらなくなった。受け止め切れない、こんな終わらせ方は。

 

 「あーあもうちょいだったのによ。まさか珖代に不意をつかれるとはねェ」

 「これでわかっただろこうだい。ユキタニアザナは魔族で、五賜卿で、自分を持たない、誰の記憶にも存在しないマガイモノであると!」

 

 やる気を無くしたように横になるユキとは対照的に、師匠は語気を強めていう。

 

 「オッサンの言う通り、俺はお前なんか知らね。お前らも俺を知る筈がない。誰でもなく、誰かの愛する人になり代わり、誰の記憶にも後付けで存在し、あざむき、(わら)い、そして全てをだまし続けたゼロの複製品(なもなきまぞく)。それがピースだ」

 

 『お前なんか知らない』──。

 その先の言葉がどうでも良くなるくらい腹の底に重く響く。

 

 ようやく理解した。信じてた人に裏切られる感覚。

 ことの重大さ──。

 虚無感。

 

 「ただ、一つだけ……オッサンが間違ってることがある」

 

 ユキは依然として血の止まらない腹を押さえながら横たわってそう言った。

 

 「ユイリーは実在している。俺の別人格や都合のいい設定ではなく、魂はちゃんとここにある。俺の事はもういいから、せめて……ユイリーだけでも助けてやってくれねェか?」

 

 弱い光の灯る眼でユキは訴え掛けてくる。

 俺は──、その眼に弱い。

 

 「……どうすればいい」

 「ストライクライトを……アルデンテに頼んでくれ……。それでなんとかなる筈だ」

 「俺たちのこと、ずっと騙してきたんだろう? どうしてユイリーちゃんのためにそこまで出来るんだ!」

 「耳を貸すなこうだい。ソイツの嘘に惑わされるな!」

 「……しょうがねぇだろ。【愛の卿】だし? 俺は……」

 

 初めて見た。

 悲しそうに笑う彼女の姿を。

 彼女はそのまま静かに目を(つむ)った。


 分かっていても、やはりその眼に俺は弱い。

 

 「止まれこうだい! これ以上は」

 

 弱り切った彼女の膝と背中を抱きかかえ、祠の方へと向き直ると、師匠が目の前に立ちはだかった。剣先が俺の顔と彼女どちらに向けるかで迷い揺れている。

 

 ──!

 

 剣先からゆっくりと視線を上げたその時、思わぬ事態に驚かされた。脅しているはずの俺に、師匠は真正面から目を合わせているのだ。

 

 「師匠……」

 

 立場上、ダットリー師匠は俺を止めるというスタンスを崩せないでいる。でも、きっと、最初から、俺と同じ想いを持っていたのだ。

 

 今更になって気付くなんて。

 ピースの能力に絡め取られているのは俺だけとは限らないことを。師匠もまた、愛を植え付けられた(ユイリーを信じる)ひとりなのだということを。

 

 

 ──┠ 威圧 ┨。

 

 

 シンプルに、目を見て動きを止める。

 

 

 「ありがとうございます」

 

 

 もう聞こえてはいないと思う。

 けれども、通り過ぎる瞬間にその言葉を残して行くことにした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 祠の中はやはり寒い。空気が澄んでいるせいか息は白くならない。呼吸の浅い彼女の体温が奪われないように俺の外套を掛ける。聞きたいことだらけなのに、意識は戻らない。

 

 人感センサーが付いているのか、半分辺りまで進むと祠の奥の方から薄らと暖色系の明かりが灯る。

 灯りに従い奥まで突き進む。

 

 見えた──。

 見たこと無い文字の新聞紙に包まれた壺がぽつんと一つ、置いてある。それ以外は明かりしか無い究極のミニマリストルーム。この壺の中にアルデンテは恐らく存在する。

 

 彼女を一度床に降ろし、壺の紙を剥がし、御札の貼られた蓋に手を伸ばす。一呼吸置き、意を決して蓋を開けに掛かるが、どういう原理か全く開かない。押しても引いても回してもひっくり返しても開かない。

 

 グダついている間に師匠が来るかもしれない。チラッと背後を確認し「やるか」と覚悟を決めて壺を思い切り壁に叩きつけ、ぶっ壊した。

 

 バリーーンッッ!


 大きな音がなった。


 後はアルデンテの不死能力に任せ、復活を待てば良いだけのハズだが、禍々しさや気配を一切感じなかった。

 おそるおそる破片を退かし元の灰を探すも見つからない。砂粒のようなモノはどこにも。

 

 「そこにボクはいないよ」

 

 至近距離で聴こえた愉しむような声。

 咄嗟に振り返ると二階のへりに腰掛けて笑う、グレイプ・アルデンテの姿が、そこにはあった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ