第百三十一話 アルデンテの解放⑤
「──ピースの愛は、愛を司る能力は厄介だ。お前がそいつを信じたくなる気持ちも分かる。だが真実としてそいつは今はお前を利用しようとしている。思い返せ、そいつは信用に値する人物なのかを」
理解は出来ない。でも、はっきりと。はっきりとユキが五賜卿ピースであると聴こえた。
ダットリー師匠はそれが幻聴ではないことを念押しするようにユキを指さし続ける。
「ユキが、五賜卿……?」
「おかしな話だと思わなかったか? 幼少期の頃からのお前を知る人物が、どういう因果か──。どんな奇跡か──。今、目の前に居るこの状況を──。魂が輪廻を繰り返し前世からの知り合いに出逢う偶然が仮にあったとしても。親ほどに愛した人物と再会する極々小さな偶然が今起きているということを。飛ばされた異世界で、死んだはずの親友と再会するなんて偶然をお前はまだ受け入れるのか!?」
俺に向かって問い質す。
試練のように問い質す。
「そろそろ気付け、立ち返れ。愛を疑え。包んで有耶無耶にした違和感を吐き出せ。そいつの行動全てにイエスで応えるのはもう辞めるんだ!」
──このひとは何を言ってるんだ……。
言葉の裏か?
時間稼ぎか?
俺に何を伝えたいんだ……?
「珖ちゃん、ダットリーに付けられたのか?」
「いや、そんなはずは……。けど、ゴメン」
俺が出た道から来たので、つけられた可能性はある。
まさか、師匠が。どうして。
頭がさらに混乱する。
得体の知れない気迫と狙いに思わず一歩引いた。
「おい、動くなと言ったはずだ。その場から少しでも祠に近づけば次はない。今すぐそのリモコンをコチラに渡せ」
今度は手のひらを伸ばしてきた。投げて渡せというの事なのか、目的が見えない。
「チッ、そういう戦法でくるかよ普通……」
ユキは焦っているのか爪を噛みながら言う。
まさか、いや、ユキが五賜卿なんてそんなはずはない。きっと別の何かに気付いたのだ。
「ユキ……?」
「五賜卿にはユールを襲う明確な理由があったのは覚えてるか」
「えっと、アルデンテ討伐の報復。……あ、あとイザナイダケの回収もか」
「そうだ。アルデンテは斉藤 実に唆されてユールにやって来た。だがイザナイダケの事はどうだ、ヤツ自身知ってたか?」
「いや、知らなかった……。うん、あいつは知らなかったよ」
イザナイダケの回収及び、排除が五賜卿の目的だとパーラメントから聞かされた時は、素直に驚いたのを覚えている。なぜならアルデンテはイザナイダケのことを全く認知しておらず、イザナイダケの作用で母親の幻覚を見ながら谷底へと落ちてしまったからだ。
「アルデンテがユールを訪れるよりも前に、イザナイダケを回収する任務を与えられた別の五賜卿が来てたとは思わねェか?」
「まさか、それがピース?」
「五賜卿同士の決起集会に唯一参加しなかったのがピース。きっと誰よりも前からユールには居たが、任務失敗の責任を感じて出てこれなかった。或いは、独自で任務成功へと動いていたか⋯⋯」
決起集会の話はかなみちゃんから聞いている。五賜卿全員が招集を掛けられたという話をユキも聞いたのだろう。
五賜卿がもう一人この街にいる──。
「それが……ユキなのか?」
「まてたまちゃん、状況的に"ぽい"のは完全に向こうだろ」
「た、確かに」
「自分の能力に自信があるから俺にピースを押し付けてんだ。マジで卑怯なやり方だぜ」
師匠はユキを。ユキは師匠をピースだと疑っているようだ。こんな夜中に森まで付いてくる師匠の方が少しだけ怪しく思える。
師匠は俺が疑い始めたのに気付いたのか強く否定した。
「そいつの言葉に耳をかすな! 愛する声には誰にも逆らえない。信用以外抱けない!」
「ピースフルボイスねぇ……。俺に擦り付けるにしてはヤケにもの知りじゃねェか。今日の事をどこで嗅ぎつけたか聞きてェとこではあるが、ユイリーのためだ。邪魔しねェでくれ」
師匠が言っていることはよく分からないが、ユキのおかげで確かな目的を思い出す。
「師匠! 俺たちはアルデンテを解放します……。でもそれには深い訳があって、話すと長くなるんですがユイリーちゃんを助けるためなんです……!! ここはどうか、黙って見過ごしてはくれませんか?」
俺は膝も腰も折り曲げて、少し体勢を低くして訴えた。でも土下座までは出来なかった。
「その決断が世界にどれだけの影響を与えるのか、考えたのかこうだい」
「それは……」
分かっています。けれど、その全ての犠牲を無視して俺はここに立っています──。
その一言が、目を見て言えなかった。自分自身にウソをつくような気がしたから。
「ユイリーのためなら世界が犠牲になろうと無視するんだな?」
「⋯⋯ぅ」
師匠は簡単に痛い所を突いてくる。黙るしかなく手汗がにじんできた頃、助け舟が動く。
「ダットリーさん、アンタの言う通り解放には百害ある。でも一利もある。その一利のために、俺たちは今ッ! ここに居るッ! たとえアンタだろうと、ユイリーの未来を邪魔するヤツは容赦はしない……!」
戦闘体制──。
ユキが杖をかざすと、師匠も剣を構える。
良くない流れだ。
このまま二人がぶつかってしまう姿だけは見たくない。
「やめてください師匠! そんなことしてもユイリーちゃんのためになんてそんな──」
「都合のいい解釈ばかりするな! そいつの言葉に耳を貸すなというのがなぜ分からない!? お前まで罪に加担して欲しくないと言っているんだ! こうだい戻って来い!」
「ユイリーちゃんはユキの中にあるもうひとつの魂なんです! ユキとはまた別の個なんです。俺たちが助けてやらないと、消えてしまう大切な魂なんです……!」
「その証拠がどこにあるッ?! それか⋯⋯? 手元のソレにそう書いてあったのか! それはどこで手に入れた!?」
師匠は猛り狂うような怒りをあげながら、俺に剣先を向けた。ユキに返そうと思いつつ渡しそびれた革の手帳。懐に忍ばせていたのが見えたようだ。
「そ、そうだ。ユキとユイリーの交換日記! これにアルデンテを解放するしかないと書いてあるんです!」
「ユイリーがその日記を書いてることを見たことがあるのか?」
「あります!」
「内容までもか?」
「それは⋯⋯」
見た事がない。見せてもらったことがない。だから同じ日記かどうかと問われるのは困る。
「いい加減目を覚ませ。ユイリー・シュチュエートは、そいつの創りだした都合のいい──ただの虚像だ」
どこよりも低く響く声が耳に押し込まれる。今すぐ掻き出したいのに、全身が┠ 威圧 ┨を受けたときくらいに硬直した。
師匠はもう、俺たちを止める為なら何でも言うつもりのヤケクソみたいな状態だった。でも、まるで受け入れられない。
「何を言って……、師匠。ユイリーちゃんがそんな、始めからいないみたいな……」
「ふざけんなあァァーーッ!! てめェがっ、てめェがユイリーの存在をォ! 努力を否定すンのか!? ダットリーィィイ!!」
ユキは怒髪天を衝くその怒りと共に全身に白雷を纏った。インドラ神の力を借りたのだ。
「さすが、愛の卿だな」
神の気を纏ったユキの鋭い打撃を剣で受け止めると、師匠は軽く侮辱するようにそう笑った。
「取り下げろっ、今の言葉!」
「愛の卿って言って悪かった」
ユキの怒りがさらに膨れ上がる。
「ころす」
ユキは全身に纏うあやふやな境界線を肥大化させながら、師匠に襲いかかる。師匠は片手に持った剣で何度もその猛追を軽くいなしながらステップを踏んで距離を保ち続ける。
俺に見えたのはそこまで。
「お前はこの一年半をっ、ユイリーと過ごしてきた日々をっ、全部嘘だって否定すンのかァ!!」
「そこまで言うなら代わってみろ。ユイリーがそこに居ると証明してみせろ」
「こんな状況ユイリーには見せらねェ! てめェの指図ももちろん受けねェ……! ここでテメェを──」
「──殺すか? 出来もしないクセに」
「クソ野郎……」
二人のケンカは森の奥まで進み見えなくなる。地響きと遠くで爆ぜる木の音しか分からないが、俺には手の余る種類のケンカであることは分かる。お互いの戦う理由が分かる。だから、どちらが五賜卿だとしても、俺にはどちらも正しいように思えた。
考え込んでいる間に、二人は空の上にいた。
師匠は単純に、シンプルに、剣士としてとてつもなく強い。ただ魔法を使っている所を見た事ないので剣だけを極めたヒトだと勝手に思っていたが、今は魔法陣を空に浮かべてその上に立って戦っている。怖くなってきた。俺は師匠のことを何も知らないのではないかと。
「珖代! さっさと行けェ!! ユイリーをお前が救うんだ!!」
「こうだい! 今すぐ扉を閉めろッ! そして装置を破壊しろォ!!」
「……。」
──俺は、俺は。俺は。
息が続かなくなって、膝が地面に落ちる。
気付いたら俺は両手を組んで空を見上げ、勝者の言葉を待つように拝んでいた。
「ユイリーは」
「こうだいは」
「「てめぇにはやらねぇ!!」」
この日一番の衝突は、空が白けるほど眩しかった。




