第百二十九話 アルデンテの解放③
久しぶりに、珖代パーティー揃っての食事を家で楽しんだその夜。
皿洗いを担当する珖代に「手伝いましょうか?」と訊く中島だが、珖代は必要ないと断りを入れた。
「今日で最後なんですから、中島さんはゆっくりしてください」
中島 茂茂は明日の朝、ユールを出る。れいザらス新店舗開店準備に向けたオープニングスタッフ研修担当顧問に抜擢されたからだ。
「すいません……。お部屋まで与えて頂いたのに、累計で一週間も滞在できなくて」
さらに中島は「会社のベッドも居心地が良くて」とハニカミながら頭を掻いた。
「すぐに帰っては来れないんですか?」
そう質問したのは、中島とリビングでお茶を飲む薫だった。かなみとリズニアは現在、双子 (ということになっている)猫又、ソギソギとマチマチと一緒に、四人で仲良くお風呂に入っている。
「おそらくれいザらス最大級になる店舗を任されたので、二年から三年、駐在することになると思います。はい」
中島はこれまでにも何度か単身赴任することがあった。ただ、そのどれもが三ヶ月以内に帰ってきていたため、今回のように部屋の荷物をまとめて出て行く準備をすることは無かった。
中島という男の信頼度がれいザらス内で上がってきていることは、本人も有り難いことだと認識している。しかし、事実上パーティーから離脱することに負い目を感じているようだった。
パーティー(ソギマチを含む)メンバーだけで慎ましくされど和やかに行われた送別会──。
かなみとリズニアのじゃれ合っている声が、ソギマチたちのにゃ〜! という悲鳴がお風呂場から漏れて聞こえてくる。
中島の部屋はとうにもぬけの殻である。
「私の部屋は……そうですね、セバスさんかソギちゃんマチちゃんにあげてください」
中島のその言葉に、床に寝転んでいたセバスが垂れた耳をピンっと反応させ起き上がり、スキップするように中島の部屋に駆けていった。
「街もようやく落ち着いて来たのに、寂しくなりますね……。勇者の皆さんももう行ってしまいましたし」
物悲しそうに言う薫に、皿洗い終えた珖代がタオルで手を拭きながら突然、こんな事を聞いてきた。
「薫さん、今までなあなあで来てしまいましたけど、俺の償いとして貴女の答えを聞かせてもらえませんか?」
「どうしたんですか突然」
「世界が救われて、元の世界に戻れるとしたら、薫さんは戻りますか? それともここに残りますか?」
いつか聞かなくてはいけなかったことを、この際だからと珖代は聞いた。
「少し前の私なら、残ります。と、そう言っていたでしょう」
「え、」
珖代には意外に思えて声が漏れた。
長く過ごしてきたこの世界に未練はないのだろうか──。
「肝心なのは、誰と一緒にいられるか。ですよね中島さん」
「ええ。……本当に。その通りだと思いますよ」
遠く、過去を見詰めるように中島は言う。
妻と娘を裏切ったどうしようもない父親であるという自覚はあるが、それでも元の世界に置いてきた家族を心配する心は持っている。やり直しの機会があるならばと、何度も夢を見るくらいに。
「珖代さんも、次に進むんですね」
「やっぱ薫さんにはお見通しですか」
真意を見破られた珖代はどこか嬉しそうに正直に想いを伝えた。
「単刀直入に聞きます。薫さん、俺と一緒に旅をしてくれませんか?」
「リズニアやかなみにはもう聞いたんですか?」
「他の事はどうだっていいんです。俺は薫さんの気持ちを優先したい!」
珖代の考え方についてはなにかとお見通しだったハズの薫が、そのまっすぐな目を見つめたまま油断したように口を震わす。その表情は少しだけ華やいで見えた。
「あ、あの、それって私じゃなきゃいけない理由とかってぇ、聞いても……?」
自分の人差し指同士をつんつんする薫が上目遣いで訊いた。
「料理が上手くて強くて美人で誰よりも俺のことを理解してくれてる人と離れたい理由なんてありません! それに、薫さんひとりをここに残して行く気はありませんから」
「もう、決まってるんじゃないですか……」
"ひとりを" ──。その言葉で、自分の勘違いであることを知った薫は少しだけ目を細めてテーブルに寄りかかった。そんな小さなすれ違いをみた中島は居づらそうにオドオドする。
薫は珖代がどこまで本気か試すような質問をする。
「セバスさんはどうするんですか」
「もちろん連れてきます! 今さら断らないでしょうし!」
珖代の身勝手な宣言に反応して、隣りの部屋からセバスが不安そうにこちらを覗いている。
「この家は誰が守るんですか? 家までは連れていけませんよ」
「管理はデネントさん家族に頼んでます。その間、俺やリズの部屋は自由に使っていいように言ってあるので問題ありません。それからユイリーちゃんは連れて行きません。本人に了承は得てます。俺が決めました」
珖代は薫の気持ちを優先したいと言いつつ、水面下で準備を進めていたことを一度謝った。復帰してからこの二週間足らずで準備を済ませていたのだ。
「一区切りついたのは分かります。もうだいぶ言葉も覚えましたしね」
「初めて会った時に約束した通り、俺は二人の傍にいたい。返事は数日以内にお願いします。待ってますから」
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「さて……っと」
自室に戻った珖代は、燭台の灯りに源光虫を入れて机と向き合った。
光るムシといえば、ふとパーラメントと契約を交わしたケイヤクボタルを思い出す珖代であったが、今は目の前のソレが重要だと頭を切り替える。
細かい傷のついた革の手帳をおもむろに広げる──。
中身に目を通した珖代はその日、眠ることを諦めた。
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---珖代視点---
「珖ちゃん」
「ん?」
「いや、気ィつけて帰れよ」
街の復興を手伝ったその帰り際、ユキが引っかかりを残すような言い方をしたので俺は思わず足を止めて振り返った。
「……なんだよ。なんだよ言えよ、今何か言いかけただろなんか」
ユキを睨む──。言いかけて終わることは絶対に許さないというジトっとした目付きで。
あ、聞こえなかったフリをして目を逸らしやがった。
「いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえ」
「分かった分かったから! もーこれだ、コレ見ろって!」
「これって確か、ユイリーちゃんの……」
呪文攻撃に観念したユキが渡してきたのは一冊の手帳。ユイリーちゃんが大事そうに持っていたことは認識しているが、中身は全く知らない謎の手帳だ。
中身について問いたとき、裸を見られるより恥ずかしいのでゴメンなさいと断られたことを思い出す。
「それ読んで、俺と同じ意見なら、今日の夜お前をそこで待つ」
そう言い残し、ユキは帰った。俺はただ事じゃないような感覚に襲われて、一旦家に持ち帰り落ち着いてから読むことにした。
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中島さんお別れパーティーなどもあって、今ようやく落ち着けた。既に夜だが、見落としがないよう慎重にページを読み進める。
一ページ目から十数ページ目まではなんてことない『ユイリー・シュチュエートの日記』だった。内容は多岐に渡り、落書きやスケジュール管理、目標やそれに向けての意気込み、または日本語や魔法の勉強に、少女の恋心を綴ったポエムなど、その時そのままのユイリーの感情がしたためられていた。
読んでいて申し訳ない気持ちより照れが勝ってくるが、ページをめくったその先で、筆跡の明らかに違う一文を見つけた。
『おれをおぼえているか』
日本語だ。
それ以外は空白になっている。
隣りのページにはそれに返事を返すように『だれですか?』とヘタな日本語と日付けが付け足されて書かれている。
年号までは書かれていないが、ユイリーちゃんがダットリー師匠の元で日本語を習い始めた時期とちょうど一致していたといえる。
以後、この手帳はユイリーちゃんとその日本語による交換日記となっている。
「なんだよ、一年半も前からやってたのかよ……」
アイツにはユイリーと日記でも始めたらどうだと提案したことがあったが、ずっと前から交換日記がされていた事がここで明らかになった。
さらに読み進める。
「相当話し込んでるな」
日本語の正体が自分の姉であることに驚いているユイリーちゃん。十ページも語り合うと色々なことを納得して、他愛もないやり取りを文面に多く残し始める。
主に俺のことについて盛り上がっていることは置いておこう。二人の共通の話題だから恥ずかしいが仕方がない。
ユイリーちゃんの日本文がだんだん上手くなってきて、几帳面な二人がその日あったことや質問を詰め詰めで書くようになっていた頃──。
俺と一緒に旅をするかしないかでケンカがなされていた。
二人は同じ身体を共有する姉妹であり、身体の持ち主は姉のユキであることは既に語られていたし、それは事前に俺も知っていたことだ。
問題はそのあとだった。
『どうしてこうだいさんと旅をしちゃいけないの?』
『続けられないんだ。お前には期限があるから』
『期限? きげん? なんの』
『禁術の期限が15年。つまり、今年中にもう一度それを使えないとお前は消えてしまう』
それは、俺も知らない事実だった。