第百二十七話 アルデンテの解放①
深夜の〈枯れない森〉──。
こんな夜更けに訪れると、いくら魔物があまり寄ってこない森と言えど、視線を感じるような不気味さがある。足元に戦死者が埋まっているからだろうか。
肌を刺す荒野の冷たさに、ローブを羽織ってきて正解だったなと思いながら森の中を三十分ほど歩くと、最近できたばかりの石の祠がある──。そこには彼の賜卿が灰のまま封印されている。
認識阻害の結界術式を抜け三つ目の木を右に曲がると、何百年もそこにあるような廃墟をモチーフとした祠が唐突に姿を現す。祠の前に人影が重なる。どうやら向こうは先に着いていたようだ。
「よぉ、珖ちゃん。本当に来てくれたんだな。……恩に着るよ」
影がこちらを振り返って笑う。
「別に、自分の意思でそう決めただけだし。気にするな」
「そう言ってくれるだけ助かる。──でだ、誰にもバレてねェよな?」
「どうだろうな。ひとりで来てるつもりだけど、巻いてこれた自信はない」
「まあ、しょうがねェか」
きっとこれは、
多くのヒトを、
多くの国を、世界を裏切る行為だ。
間違いなく信用も失う。
殺される可能性だってある。
でも俺は、ここへ来る判断を下した。
「じゃあ、やるぞ。ユキ」
これから俺は──、
──アルデンテの封印を解く。
━━━━━━━━━━━━
洸たろうが意識を取り戻して二日。
あの戦いから四日が経ったその日の昼。
俺は日課のランニングとセバスさんへのブラッシングを済ませたあと、“追い日課” になりつつある聖剣の修行を終わらせて帰路に就いた。
本当なら復興の支援を優先するべきなのだろうが、自分から声を掛けに行くのはどうも苦手だ。俺みたいなのはお願いされた時にしかまともに動けないので、ランニング中は色んなヒトに声を掛けまくりヒマですよアピールをした。しかしどーもみんなボロボロだった事を知っているせいか、俺に気を使って全然頼ってこない。
助けたいのに素直に助けられないジレンマで、今は何をしても消化不良の日々が続いている。尤も、俺が素直になれば済む問題ではあるのだが、こればかりは分かっていても直せないのだから、天地がひっくり返りでもしない限り俺から動くことはないのだ。
郵便受けに立つと玄関まで石畳五つ分の距離がある。それなのに我が家から暖かな笑い声が漏れて聞こえてくる。
「ただいまー」
リビングには薫さんやリズに混じって、珍しく中島さんや金髪オールバックのレイ、レイの婚約者のリリーさんまでもいた。しかし話題の中心に居たのは、集団の輪に溶け込むのが苦手なはずのユイリーちゃんだった。意外である。
「おせーじゃねェの珖ちゃん。今までどこで油を売ってたんだァ?」
ユイリーちゃんとよく似た少女は、座っているイスの背もたれに腕をまわして振り向きざまにそう言った。
「あれか、聖剣でも振ってたのか? なあなぁ俺にもどんなもんか試さしてくれよー」
「……。」
その少女は、剣に興味があるのか背もたれに抱き着くように座り直してコチラを見る。背もたれに潰される大きな胸が横からはみ出す。だがそんな事がどうでもいいと思えるほど、彼女の在り方に俺は開いた口が塞がらない。
彼女はニヒルに笑っている。こんな笑い方、ユイリーちゃんはしない。ましてや珖ちゃんなんて呼び方は──。
「あん? どうしたよ固まって」
「…………ユキ……なのか?」
俺の知る限り、雪谷 字しかいない。
~~~~~~~~~~~~
俺はユキに言われるがまま街を出た。『人を呼んでるからとりあえず付いて来い』とのコトだ。聞きたいことを一つずつ消化しながら一緒に歩き、今はアルデンテの所有していた城の前にいる。
雪谷 字。──通称ユキ。十五年以上前に死んだ俺の兄貴分で転生者。双子の妹の名はユイリー・シュチュエート。こっちの世界の母親が、ユイリーの魂をユキの身体に禁術移植したことにより、ふたりは一つの身体を共有する別々の人格となった。
共有する肉体はユキのものであると、俺は今しがた知った。
「マジかよ」
「ああ、マジマジ」
あの戦いで力を使い過ぎたユキは、本当ならしばらく表に出て来れないという話だった。しかし何らかの事情により、会うだけの時間が取れたんだそうだ。なんであれ、会えて話せるのなら今はそれでいい。ちなみにさっきの談笑は、俺との昔話を皆んなにしていたからだそうだ。後でリズ辺りにいじられるのが目に浮かぶ。
「自分のことはなんて説明したんだ?」
「だいぶちゃんと話したぜ。転生とか、神力とか。あと珖代とユイリーの姉とかな!」
「姉になったのは転生してからだろ」
「……からかってんのか?」
「え……、冗談だろ?」
「お、来たみてェだな」
イマイチ会話が噛み合っていないみたいだけど、そうこうしている間に誰かが来た。
「おはようございます。雪谷さん……と、喜久嶺さん?」
やって来たのは勇者の水戸洸たろうだった。
「なんだ、ユキが呼んだ人って勇者だったのか。俺はてっきりヤバいやつかと」
「僕の方そこ、喜久嶺さんが来るなんて聞いてませんけど……」
俺と勇者は目を合わせたあと、同時にユキの方を振り向いた。ユキはバツが悪そうに頭をかいた。
「まーなんだ。ここはお前たちが最初にアルデンテと戦った城で間違いないな?」
「無視かよ。確かにここが最初だけど」
「雪谷さん、ここに僕たちを呼んだ理由は?」
勇者は既に、ユイリーでないことを受け入れて話している。どうやら事情は聞き及んでいるようだ。
「おめェらをここに呼んだのは他でもない。当時の状況を聞くためだ。まっ、実況見分ってやつだな! 気楽に行こうぜ」
ユキは昔から凝り性──、というか気になる点があったら見過ごせない神経質な部分がある。大雑把に見受けられがちだが、何か引っ掛かることがある度に平気で周りを巻き込んで解決に乗り出すのだ。かなり迷惑な性格をしている。
城の周辺から内部に至るまで隅々調査するユキに協力する形で、俺たちは怪しい物が落ちていないかくまなく探し続けることを強制させられた。刃物で削られた木の幹や、壁のヒビ、絨毯の綻びやステンドグラスの破片一つに至るまで質問され、俺たちはまじめに答え続けた。しかしこれといった新しい情報は見つけられず、くたびれ損に終わる。
「うーん特に、新事実的なものは見つからねェかー……」
がに股でしゃがむユキが退屈そうに言った。今はユイリーの身体でもあるのだから、もう少し女の子らしくして欲しいものだ。
「昔っから変わらないなユキは。今回は何が気に入らないんだ?」
「きっかけから何から何までだよ。知りてェ事が多すぎンだ」
「きっかけか……。そう言えばかなみちゃんから聞いた話なんだけど、今回アルデンテと俺たちが戦うように仕向けた黒幕がいるって話は聞いたか?」
「さっき聞いたなそれ。斎藤 貫って言んだろ、そいつ」
ユキが両手を上にあげて胸を突き出すように、あるいは腰を反るように、背中を伸ばしながら立ち上がった。自分のモノの大きさを気にするユイリーちゃんじゃ絶対にしない行動を取りながら言葉を重ねる。
「黒幕はアルデンテに『城が占拠された』と嘘をつきユールに誘導。一方で勇者には五賜卿との繋がりがバレることを恐れてか女神リズニアのあること無いこと吹聴し、ユールに留まるよう促し、そして両者を対決させた。……まとめるとそんな感じだったか? ずいぶんと計算高いヤツだよなそいつ。おまけに口も良くまわる見た」
「口車に乗せられたとは言え、あろうことか女神様を討伐しようしていたなんて……。なんともお粗末な話です」
当時の勇者はリズニアを悪と断罪し、本気で殺そうとしていた。その時の過ちを未だに悔やんでいるのか俯いて謝罪する。
ユキはさらに続ける。
「目的はおそらく、勇者にアルデンテを倒してもらい五賜卿の座を確保する事だった。しかし……」
「俺が聖剣に選ばれたせいで全てが狂った」
──そうだ。
アンデッドに強い聖剣とその聖剣使い。ファーストコンタクトの時点ではアルデンテを倒せる確率は非常に高かったんだ。なのに聖剣は、洸たろうでなく俺を選んで状況を複雑化させた。
そのせいで倒すまでに相当手間が掛かったけど、きっとそれはトオルにとっても予想外だったはず。あのイケメンの思い通りに行かなかったってだけですげー報われたような気がする。ざまーみやがれさわやかフランクハンサム。
目を細めて恨みを吐くと、ユキはさらに重ねる。
「だけども結果的にそのおかげでトオルは計画を失敗し、表に出ざるを得ない状態になった。んで、かなみちゃんにバレて全てを吐いたって感じだな」
「あいつのぐだらない思惑に角丸とスケインは殺されてしまったんですね」
勇者はそう言って拳を強く握った。やるせない思いに負けないように。
「トオルは補欠だったから、次のラッキーストライクになるのか?」
「いえ、それは有り得ません」
俺の疑問に答えのは勇者だった。
「賜卿にはそれぞれなるための条件があり、例え《ラッキーストライク》が空席であっても彼が必要な条件を満たさない限り引き継ぐことは出来ません」
「その条件って?」
「最低条件は由緒あるネクロマンサーの一族に生まれること。要するに、生まれ持っての "運" です」
「じゃあアイツは何のためにアルデンテを……?」
アルデンテをわざわざ殺させた理由が分からず聞き返すと、勇者は「新しい魔称の五賜卿になりたかったのか、あるいは代役を用意していたのか」と言い、ユキに「そこは考えても仕方あるめェよ」と言われた。
面白いことは聞けたが結局、進展は何もしない。とここで、勇者がおそるおそる手を挙げた。
「あの、ちょっと良いですか……?」
「なんだ! 何か、見つけたのか!?」
空気の読めないユキが急接近し畳み掛ける。こうなりたくないから恭しくしていたのだろう勇者が、苦笑いを浮かべながら徐々に距離を取る。
「いや、……僕の勘違いだったら申し訳ないんですが、あの男斎藤は、自分のことを貫ではなく実と名乗っていたように記憶しているんですが……」
「「ミノル?」」
俺とユキは思いもよらない勇者の疑問に口を揃えて聞き返した。




