第百十六話 勇者は遅れてやってくる。
雨が止み。
日が差して。
濡れた大空洞の中に剣を弾き合う音と、パシャパシャと水を踏む音が木霊する。
見守るふたりの女性には目もくれず、男がふたり、しのぎを削り合う──。
想像以上に足元の水溜まりに体力を持ってかれた珖代は、肩で息をしながら聖剣を目線と並行に構えた。動くよりも、相手から来るのを待つ。
「ふー……」
「ま、いちいち意識を飛ばされるのはムカつくけど、案外楽しませてもらってるヨ。キミならボクひとりでも大丈夫そうだしネ」
そんな言葉がハッタリであることは珖代も気づいている。まずは背後を忍び寄るアンデッドを二体砕いてから、正面のアルデンテの動きを──。
居ない。
上にも。
家の中にも。
アルデンテが居ない。
水を踏む音すら聞こえない。
一通り目にした後、珖代はリズニアに目を配る。彼女なら何か目撃しているはず。
「こうだい! あっちです!」
彼女の指し示す方向は洞穴だった。確かに洞穴から走る足音が微かに聞こえる。
タタタタタタ。
珖代は目を閉じ耳を澄ませ、音に集中する。しかし、集中すればするほど全体から響いて聞こえてくるため、何処にいるか掴めない。いつでも相手が出来るようにとりあえず聖剣だけは下段に構え直す。
シュッ!
「はああ!」
足音が消えると風を切る音がした。
洞穴から黒剣が飛び出し、珖代がそれを弾き落とす。
タタタタタタ。
またしても足音が響く。集中のために目を瞑った直後──、
「──ぐぁ゛ッ!」
今度は足音が止まらないままに黒剣が飛来し、不意をつかれた背中に突き刺さる。苦痛に顔を歪ませながら剣を抜くとようやくアルデンテが姿を見せた。
「アハハ。確かキミに教えてもらったんだっケ。剣は投げつけるものだって。良かったア。そういう顔をサ、もっと良く見せておくれヨ」
「いやいやぁ、教えてもらったのは、むしろ……俺のほうだよ……ッ!」
珖代は聖剣を背面の穴に向かって投げた。聖剣は洞穴の中を移動し別の洞穴から出てくると、珖代のスレスレを通過してまた別の洞穴へと入る。
「アハ。……ん?」
珖代の背後を狙うアルデンテのその背後から、聖剣が縦回転しながら襲いかかる。
ガシャン!
聖剣に弾かれるようにアルデンテが穴から飛び出してきた。聖剣を珖代がキャッチする。
「遊びはしまいか?」
少年の進路上には跪く二体のアンデッド。彼らの差し出す黒剣を両手に取った少年は、二体を試し斬りにし、ボロボロに砕いた。
「まだまだこれからサ」
アルデンテが殺気と共に珖代に襲いかかる!
カッカカンッッ──!!
剣戟の最中に柄どうしのぶつかる音がした。少年が指を潰しに来る。二刀流になり単純に手数が倍になっただけではなく、不規則なリズムや狙いで猛追してくるアルデンテに、珖代は無数の傷を甘んじて受け続ける。致命傷になる一撃を受けそうな時は┠ 威圧 ┨を使い距離を取り、息を整えるが、珖代の出力は確実に落ちていた。
肩のホタルは依然として黄色信号。五賜卿を傷付けるのはマズイが珖代が傷付く分には契約違反にはならない。だからこそ余計に彼は、自分の傷には目もくれなかった。
しかし──、珖代はついに剣を支えに膝をついた。暴走アルデンテ、ペリー、門番、アルデンテの連戦で体力は底を尽きかけていたのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ」
「あれ? もうお終い? 前菜にしてはなかなか楽しくなって来たところだったに、ザンネン。じゃあそろそろデザート行くから、死んでくれていいヨ」
カラコロカッカ──。
壊れたような鐘の音が、珖代だけに響いた。
「ゴチソウサマ」
「待てって、デザートはまだ早いだろ。先にメインだろうが」
不気味な男の笑みに、トドメを刺そうと黒剣を振り下ろす少年の腕が止まった。
「メイン……?」
刹那──。
第一層から一条の星が降り落とされた。
リズニアもパーラメントもアルデンテも認識しきれなかった正義の鉄槌が、着弾とともにアルデンテの右腕を両断した。
落下の衝撃で洞窟内は揺れ、最下層に砂塵が舞う。
その中に紛れたシルエットがむくりと立ち上がり、珖代の方を振り向いた。
「確かな隙をありがとうございます。喜久嶺さん」
「おせーよ勇者。刺されちまったじゃん」
愚痴を言いながらも珖代は、勇者の到着に安心したように笑った。
~リズニアサイド~
切られた腕を拾い上げながら後ろに引いたアルデンテを見て、パーラメントは理解できないように目を白黒させた。
「なぜだ。アルデンテ様が斬られたと云うのに、ホタルが赤く光らない……。ペナルティはないというのですか」
つい口を出てしまった疑問に、得意げになって答えたのはリズニアだった。
「気づかなかったんです? こうだいは不利な契約から勇者が除外されるようにわざとアナタと契約を交わしたんです。もしもの時に、最後まで抗える切り札を残しておけるように」
リズニアの言葉を聞いて、パーラメントは一言一句契約内容を思い出す。
『……イザナイダケの全権利を讓渡するまで、ユールの者たちが五賜卿に危害を加えないことを誓ったものとする』
ユールの者たち。
その範囲に勇者、水戸洸たろうは、確かに入っていない。
「そうですかあれが勇者……。ユールの民でない以上、ペナルティは発生しないワケですね」
自分の指の関節を甘噛みしてパーラメントは悔しさを露わにした。リズニアは大空洞突入前、勇者が近くまで来ていることを珖代に明かしていた。そしてそれを聞いた珖代は、顎に手を当てて
「わかった。もし不利な契約を結ばれそうになったら、洸たろうパーティーが自由に動けるよう掻い潜ってみる」
と話していた。この作戦はリズニアの無知を装った名演技や珖代のひとり時間稼ぎによりギリギリで成功したのだった。
「行かせませんよ? 助けには」
剣を向けずに微笑みながらリズニアが牽制する。
「まあ、行くのは辞めときますよ。交渉で素人に上を取られた訳ですし。珖代様の実力を見抜けなかったワタクシの落ち度です」
抵抗しないことに若干の意外さを感じたリズニアだがそれよりも、ひとつ、気になって仕方がないことが。
「その『様』って呼ぶのいい加減やめたらどうです?」
「おやや? ひょっとして嫉妬ですか見苦しーい」
パーラメントが意外な方向で反抗してきた。
「なっ……!」
リズも思わず強い反応を示してしまう。
「珖代様とは初めての関係じゃないんですよワタクシ。もしかしてお聞きになっていない? あそうですか、そちらはその程度のお関係でしたか。いや失礼いたしました」
「なななン、ぬぬぅ…………」
リズニアはギリギリで煽りに耐えているが、女同士のマウント合戦は近そうだ。
~珖代サイド~
「喜久嶺さんこれでよく、僕だって分かりましたね」
そう言って勇者は壊れたアイテムを手渡した。それは〘選好の鐘〙。珖代が捨てて行ったモノで、珖代にだけ聞こえた音の正体だ。
男は頬の十字傷を掻く。
「まあな。でもそれが〘選好の鐘〙だって気付いたってことは、お前も俺が鳴らした事に気付いたんだな」
「最初は幻聴かと思いましたが、おかげで場所を知ることができたので助かりました」
「……そうか」
語るべきではないと考えていたが、カクマルのことを語るなら今しかない──。
「勇者、実は」
「おかしいな! おかしいおかしいナァっっっ! 腕がくっつかないじゃん! ボクの! 何をしてくれたんだよこレは!」
珖代の発言は、取れた腕を元に戻そうとするアルデンテの怒鳴り声にかき消された。発狂する少年に勇者は何かを悟ったようにうつむき加減で声をかける。
「やはりな……。お前はもう、今まで通りにはいかないよ」
「おにぃちゃん? やっぱりボクに何かしたんだネ。言えよ……ボクのカラダに何をしタ」
「いいや、原因はお前にあるよ。アルデンテ。ここへ来てお前が最初に殺したふたりの漢を覚えているか?」
そう言って勇者は両手に持った二本の剣を背中の鞘に収めた。柄が銀色なのが角丸の形見で、青色なのがスケインの形見。アルデンテが廃墟と化した城の門前で殺した勇者の仲間のモノである。
「あーあの二人? 覚えてるヨ。おっきい方は最後まで抵抗したけどもう一人の方はボクが不死身だと知って簡単に諦めた最ザコだよ。それがどうしタ?」
「──もしもだ、アルデンテ。もし、最弱であることが不死身のお前に勝つための手段であるとしたどうする」
勇者はアルデンテの身に起きたある秘密を語りだした。